38 人形使い
「ご苦労さんっス」
声がして振り替えると、ジラールが酒の入った小瓶を一本、俺の方に差し出していた。
「ありがとう。けど俺、酒は駄目なんだ」
俺が首を振ると、彼は少し残念そうな顔をして、そっスか、と呟き、それを引っ込めて懐に仕舞いこんだ。
そして、自らが持っていた酒瓶をくいと呷る。
「で、まだ接触していないんスか」
ジラールは赤ら顔で、イエローチャペルの方に目をやった。
礼拝堂は相変わらず日の高い内は人の出入りが激しい。
チャペルのエントランスの脇には、今日も小さな人垣が出来ていた。
例の人形を操る人形使いが、本日もいつものように操り人形を使ってパフォーマンスを行っている。
ボサボサの髪にヨレヨレの服を来た大道芸人。
ガロワだ。
俺の今日の目的は、彼に会うことだった。
「うん。もうちょっと見たくてさ」
「いや、もう声をかけりゃ良いじゃないスか。もう夕方スよ。さすがに張り付きすぎッス」
「いやーもうちょっとだけ」
「もうちょっともうちょっとって、カワカミさん、いつからここにいるンすか」
「ん? 朝からだけど」
「げ。カワカミの兄貴、今日は半日、ずっとあれを見てたんスか?」
「そうだよ。つか、ずっと見てたい。それくらい見事だ。あのガロワという男。彼は天才だね」
変わった人っスねえ、とジラールは大袈裟にため息を吐いた。
「ねぇ兄貴。兄貴は、どうしてあの男にそんなに興味あるんスか?」
「どうしてっていわれても」
「もしかしてあいつを疑ってるんですか?」
「うん」
俺が躊躇いなく頷くと、ジラールはやれやれというように首を振った。
「兄貴。言っときますけどね、あのガロワは今回の事件と関わりはないスよ。確かにあいつは女物の服を着せりゃ女に見えそうなくらい痩せてますけどね。俺ぁ前に一度、やつとショバ代のことでかるく揉めたことがあるんスけど、おどおどして、てんで男らしくなかった。力も全然なくて、ひ弱を絵に描いたような軟弱野郎だ。あんな飯もろくに食ってなさそうな弱々しい野郎に、人を殺せるわけがない。ましてや今回のような大事件を起こせる訳が無ぇ」
「そうかな。まあ、そうかもね。おっと」
俺は素早く立ち上がった。
ちょうど、ガロワが休憩に入ったのを見計らった。
「よし、それじゃあそろそろ行こうか、ジラール」
「はあ、やっとッスか」
ジラールはうんざりしたように言った。
∇
「ガロワさん、ですよね」
俺が声をかけると、道具箱に座って休んでいたガロワは、ジロリと俺を見た。
目の下のクマが濃く、でかい。
頬がこけるほど痩せていて、目はぎょろりと大きく、年齢不詳な面差しをしている。
顔には少し皺が目立ち、一見すると四十路を少し越えた辺りに見えるが、しかし近くでよくよく見ると総髪にはまだ油気が残っており、意外と若いようにも感じられた。
しかしとにかく身なりが悪い。
ほつれだらけの外套。
穴の空いた靴。
延び放題の山羊髭。
まるで浮浪者だ。
あいつは変人スよ。
ジラールの言葉が頭によぎった。
「そう……ですけど」
ガロワは俺から目線を外し、キョドキョドと視線を泳がせた。
「ごめんなさいね、いきなり声をかけちゃって」
「……いえ」
「俺は新聞記者なんですけど、最近、この辺りで起きてる事件について調べてまして」
俺は嘘を吐いた。
その横でジラールが「え?」と声を出してリアクションを取ったので、肘で脇腹を小突いた。
ジラールは蹲った。
「……そうですか」
と、ガロワは言った。
最初の一言こそ驚いていたが、あまり物怖じした様子はない。
ブン屋連中から散々こうして話を聞かれ、少しは慣れたのかもしれない。
「いえね、このジラールさんから聞いたんですけど、ガロワさん、このイエローチャペルの近辺ではよくパフォーマンスを行ってるらしいですねぇ」
「……」
「いや、実はさっきからしばらく拝見させてもらってましたが、いやはや、見事なもので」
「……」
「それで、ですね。ガロワさん、事件のことなんですけども」
「……」
「えっと、その、何て言うか……なにか知りませんかね?」
俺は色々と考えを巡らせた挙げ句、最も頭の悪い質問をした。
この男にはああだこうだと回りくどい言い方はせず、率直に聞くのが一番だと感じた。
「その、なんでも良いんですけども。怪しい人間を見たとか、犯人に心当たりがあるとか」
「……知らない」
「ここで芸をやってて、変な奴に絡まれたとか、妙な噂を聞いたとか、そういうの、ないですか」
「……知らない。僕は何も知らない」
「そうですかぁ」
俺はうーんと唸り、空を見上げた。
やはり、こうなるか。
「えっと、ここからはちょっと余計なことになるんですけど、ここで商売をすること、許可は取ってるんです?」
俺は質問の矛先を変えた。
「……許可はもらった」
「それは誰から」
「……神父様」
「なるほど。クリフ神父とは懇意にしてらっしゃる」
「……神父様は、好い人だ」
「そうですね。俺もそう思います」
俺はにこりと微笑んだ。
懐から小さな羊紙を取り出し、適当に何かメモをするフリをした。
それから、今度は御座の上に置かれてある操り人形の方に目をやった。
「いや、しかし可愛らしい人形ですね。こちら、どちらで購入されたんです?」
「……」
「いえね。実は俺、娘が一人いましてね。その子が無類の人形好きなもので、少し人形の世界には明るいんです」
ガロワはぴくりと右の眉を上げた。
初めて、こちらに興味を持ったようだった。
「いや、珍しい操り人形だ。そして、素晴らしい出来映え。俺、こんなに美しい傀儡人形は見たことないですよ」
「そうか」
「ちょっと触っても良いですか」
俺が手を伸ばすと、その手をぴしゃりと叩かれた。
「……駄目だ。こいつは大事な商売の道具なんだ」
「ああ、そうですよね。すいません」
ふむふむ、そっかそっかと一人ごちると、俺はその場に居座った。
ガロワは明らかに迷惑そうな素振りだった。
しかし俺はお構い無しにその場から動こうとしなかった。
すると、ガロワはやおら立ち上がり、人形を道具箱の中にしまい始めた。
「あら。どうされるんですか?」
「……今日はもう終まいだ」
「ああごめんなさい。もしかして、お邪魔でしたか」
「……」
ガロワは無言で俺を見つめたあと、大きな道具箱を胸に抱えて歩きだした。
「ね? 変な野郎でしょ?」
ジラールは夕焼けに滲むガロワの背中に目を細めながら、そのように言った。
「そうだね」
俺は苦笑しながら言い、「ただ」と頬をほりほりと掻いた。
「ただ、人間なんてみんな変人だよ。要はそれを隠すか隠さないか。違いはそれだけだ。例えば俺と彼には、然程の違いもない」
俺が言うと、ジラールは「え? どういうことスか?」と眉を寄せた。
「それじゃあ、行こうか」
俺はガロワの背中が小さくなると、ゆっくりと歩き出した。
「へ? 行くってどこに」
「決まってるじゃん」
俺は肩を竦めた。
「ガロワの後を尾けるんだよ。こう見えても、尾行は専門分野なんでね」




