37 報告
「ったく、人形屋。オメーはよくわかんねー野郎だな」
クルッカは狭い椅子の上で器用に胡座をかき、背を丸めて口を尖らせた。
あれから。
俺はジラールと別れたあと、第12地区を出て、自分の城「人形屋」に戻っていた。
「何がだよ」
俺はパルテノの淹れた上手い茶を啜りながら、そのように応じた。
目は、手元にある、俺の参考資料かつマチルダの愛読書でもある【世界人形史大全】を追っていた。
これは世界の古今東西普く人形の歴史をカタログしてある、言ってみれば歴史書に近い総目録である。
「ドリトルミ公爵のことだよ」
と、クルッカは言った。
「オメーはよ、使えねー自警団やら胡散臭ぇ公儀やら、ましてや偉そうな大義なんてものは大嫌いなくせに、あの爺さんには何かと協力するよな。今回のこの件も、あの爺の依頼なんだろ?」
「んー、そりゃ、旨味があるからね」
「そりゃ分かるけどよ。でも、お前らしくねーっていうか。言っとくけどよ、あの爺さんだってかなりの鵺だぜ。ただのお人好しじゃねえ」
「そんなことは知ってるさ。それでも、だよ。それでも、あの人には恩を売っておく価値がある。まあ、色んな意味、全部ひっくるめてお互いさまなのさ」
会話を続けながらも、俺はパラパラとページを捲っていた。
それからようやくお目当てのページを見つけて、あったあったと付箋を貼った。
「よし。お待たせしたね」
俺は目録から目を上げ、クルッカを見た。
「人形屋。オメー、さっきから何をやってんだよ」
「いや、今日ちょっと珍しい人形を見かけたんでね、調べてた」
「珍しい人形、ねぇ」
「ま、こっちの話はいいから、本題に入ろうか」
「へいへい。ったく、マイペースな野郎だ」
クルッカは億劫そうに立ち上がり、ばさりと紙の束をこちらに寄越した。
過日。
俺はクルッカにクリフ神父の身辺を洗うように依頼していた。
この事件を聞いたときに、俺の頭に真っ先に浮かんだのが、その"動機"だった。
男の夜鷹のみが襲われる。
現場はマグノリア教のチャペル付近。
この状況から、この事件の動機は"男娼への強烈な嫌悪"ではないかと考え付いた。
であるなら、一番怪しいのは当然、そこを担当している司祭である。
この事件を調べるなら、まずはその男を知っておくべきだろうと判じていた。
無論、そのときはただの直感に基づく保険だった。
しかし、クリフ神父との面会をした後、俺の疑惑は深まった。
彼は、嘘ばかり吐いていた。
やはり調べておいてよかったと、俺は思っていた。
とにもかくにも。
今夜はクリフ神父に対する調査報告会である。
「さすがにマグノリア教の司祭だけあって、今回はちょっと骨が折れたぜ。ただよ、途中から笑けて来たぜ。この爺さま、まー、絵に描いたような変態だぜ」
クルッカは顔をしかめ、嫌そうにベロを出した。
「ったくよ、久々に反吐が出るクソジジイだわ、こいつは。調べれば調べるほどボロが出るわ出るわ。聖職者の風上にもおけねーってのはこいつのことだぜ」
「へー」
俺は【世界人形史大全】を鞄に仕舞い込むと、渡された書類に目を通しながら相槌を打った。
紙束の表紙には「クリフ神父要綱」と書かれてある。
「まず、神父はマフィアと繋がってる。あそこでタチの悪い奴らを改心させる体で人を集めて、裏でクスリだのなんだの、まあ色々と差配してやがる。要するに、あの辺りで売春が横行してたのは、あの神父の尽力だったっつーわけだ」
「うん。やっぱそうか」
「んだよ。驚かねーのか。つまんねーな」
クルッカは不満そうに言い、続けた。
「さらにこの生臭神父、どうやら男娼の一部を買っていたようだな。どうやらそういうのがお好きなようでよ。排他するよりゃ、むしろ大歓迎ってとこだろうぜ」
俺はうんうんと頷いた。
それもおおよそ想定内。
「な、なんと! イエローチャペルの神父様が、裏では売春斡旋を牛耳っていたんですか!」
他方。
パルテノの方は予想外だったようで、目を皿のように丸くした。
「ま、よくある話みたいだよ。聖職者が実は裏の顔を持ってるってのは」
俺はくあ、と欠伸を噛んだ。
よくあるのですかっ、とパルテノはさらに目を大きくした。
「しかし、ちょっと待ってください」
パルテノは小首を捻った。
「これは一体、どういうことでしょうか。このクリフという男が、"首ハネのヴィーナス"だということになるでしょうか?」
「いいや違う。それはまるで反対だ。これで、クリフ神父は連続殺人についてはシロである可能性が極めて高くなった」
「神父は――シロ?」
「うん。ただこれは、あくまで"首ハネのヴィーナス"の犯行動機が"男娼の排除"だった場合だけど」
俺はふー、と大きく息を吐いた。
「いいかい? これだけ戒律を破ってる神父だ。彼が主犯だとしたら、そもそも男娼だけを狙って殺す"動機"がない。夜鷹たちを追い出したいどころか、彼自身が斡旋しているんだからね。この前提条件なら、どう考えてもこの人が首謀者ではない。実行犯ではないのはもちろん、計画犯でもなければ教唆犯でもない。他の犯罪は山ほど犯してるんだろうが、やはり連続殺人については"シロ"ってことになる」
パルテノは腕を組み、なるほどそういうことですか、と頷いた。
「教唆の線もねーのか? 誰かに頼まれたとか、そういう風を装うとか、まあ、言ってみればマッチポンプやってるとかよ。或いは、"男娼への嫌悪が動機"という前提条件自体が間違っていて、実は神父自身が快楽殺人者だったとかよ。そういう可能性はねーのか?」
クルッカが聞いた。
俺は「無いね」と即答し、首を振った。
「どうして言い切れる」
「俺がこの"目"で見たからさ」
俺は自らの右目を指差した。
「俺が見たところ、そんな"色"はしてなかった。つまり俺の現地調査とクルッカの調査報告を合わせて鑑みると、少なくとも殺人に関しては、神父はほぼほぼ無関係だと分かる。さらにクルッカ。お前のおかげで、今回、ドリトルミの爺さんがわざわざ俺のところにやってきた理由も分かったよ」
「どういうことです?」
と、クルッカではなく、今度はパルテノが聞いた。
つまり、と俺は人差し指を立てた。
「公儀連中も"神父の裏の顔"は知ってたんだよ。いや、正確に言うならそうだろうと疑っていたって感じかな。恐らくは、この神父がキナ臭いということくらいは嗅ぎとってた。ただ、確信は持てずにいたはずだ。何しろ、相手は礼拝堂を任されるほどの神父様だ。あまり立ち入った調査は出来ない。だがもしも彼が犯人だった場合、或いは、犯人と繋がっていた場合、マグノリア教と昵懇の仲にある自警団のお偉方には都合が悪い。クリフ神父を逮捕してしまい、神父の悪事まで露見してしまったら、マグノリア教の名前に傷がついてしまう。だからこの事件は自警団では調査することが出来ず、迂闊に手を出せないなんとも処理しにくい案件だった。恐らくは内々で揉み消そうという勢力が強かったんじゃないかな。そんな中でも、ドリトルミのおっさんはこの事件を看過出来なかった。あの爺さん、年の割に青臭いとこがあるからね。しょうがないから、なんのしがらみもない俺たちに頼みに来たってわけ」
パルテノははあなるほど、ともう一度、今度は深く頷いた。
「ドリトルミ公爵は、自警団がこのまま"首ハネヴィーナス事件"もろとも神父の悪事を有耶無耶にすることを良しとしなかったわけですな」
「そゆこと。ま、損な性格してるよね。組織では鼻つまみものだ」
俺は肩を竦めた。
「んなことよりよぉ」
クルッカは眉を寄せた。
「神父が犯人じゃねーなら、それじゃーまた、一から12地区をしらみ潰しで探すのか?」
「いや、実はもう一人、容疑者がいてね。ぶっちゃけ、そっちが本命だ。そいつのこともちょっと調べて欲しいんだけど――」
「カワカミー」
と、その時。
部屋の奥からマチルダがやって来た。
「げ」
瞬時に、クルッカがパルテノの背後に隠れた。
どうやら本能的に恐怖を植え付けられて、すっかり怯えてしまっている。
「なーなー、あたし、今度はいつ"シゴト"なんだ?」
「んー……ちょっとまだ詳しいことは分かりませんね。何かあるんですか?」
「うん。実は、ちょっとおもしれーおもちゃ屋見つけてよー」
「あら。それは良かったですね」
「そーそー。だから、あたしも、ちょっと忙しくなるんだよなー」
「分かりました。仕事の時は、出来るだけ早くお伝えします」
「おー、頼んだぞー」
マチルダは部下を労う部長のように俺の肩をポンポンと叩いた。
それから踵を返して、またぞろ奥の方へと戻っていく。
「あ、マチルダさん」
俺はその背中に声をかけた。
んー? と、マチルダは半身だけ振り返った。
「マチルダさん、人形、好きですか」
「うん」
「どれくらい好きですか」
「大好き。超好き。ウルトラ好き。カワカミと同じくらい好き」
「そうですか」
「それだけー?」
「すいません。それだけです」
マチルダはちょっと口を尖らせて、「変なの」と言って、また駆け出した。
その背中を眺めながら、俺は少し陰鬱なため息を吐いた。




