36 疑惑
「怪しいねぇ。くっそくそに、めっためたに、怪しいねぇ」
次の日。
俺は早朝からジラールを呼び出し、昨日のレストランで朝食を食べていた。
「怪しいって、誰がですか」
ジラールは形の悪いパンを頬張りながら聞いた。
俺は手のひらを上に向けた。
「決まってるだろ。当然、クリフ神父だよ」
「神父が?」
ジラールは眉をしかめた。
俺はうん、と頷いた。
「ちょっと待ってくださいよ。それってつまり、神父が連続殺人犯だってことスか?」
「そうは言ってない。俺はただ、"怪しい神父様だ"と言ってるだけ」
「どういうことスか」
「つまり、"犯人かどうか"は分からないけれど、"悪党かどうか"はかなり怪しいなと」
「いや、モロに疑ってるじゃないですか」
「うん」
「いや、うん、じゃなくて」
分かってないなあ、とジラールはパンを咀嚼しながら大きく首を振った。
「いいですか、カワカミの兄貴。言っときますけど、それは無いスよ。あの神父は筋金入りの善人ですよ。貧民を救い、手を差し伸べ、仕事をあてがい、助けてきた。ほとんど無償で、です。大体、こんな荒れた街で教会を開いていること自体がその証じゃないスか。スラムの貧乏人を救うより、貴族の金持ちに説法した方が儲かるし、地位も名誉もアップする。それなのに長い間、あの場所で人の役に立とうとしてる。善人じゃないと出来ないね」
ジラールはそこまで一気に捲し立てると、牛乳をがぶりと飲んだ。
そうだね、と俺は背もたれに体を預けた。
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。或いは、昔はそうだったのかもしれない」
「今もそうですよ。そうに決まってます」
「しかし、この世には善人を装った悪人もいるだろう?」
「いますよ。クソッタレだけど、山ほどいる。でも、クリフ神父は違う。俺はそう信じてる。あの人は、神に仕える本物の信徒だ」
「うん。まあ、そうかもね。ただ、どんなに崇高に見えても、彼は人間だ。神様じゃない」
「そいつは一体、どういう意味スか」
よくわからない、という風に、ジラールは首を捻って眉を寄せた。
「神父も言ってただろ。人間は人間である以上、間違いを犯すもの。全能じゃないってね。ま、いずれにしても、まだ可能性の話だ。断定は出来ない」
「ちぇ。絶対にカワカミ兄貴の勘違いっスよ」
ジラールは結局、最後までクリフ神父を庇い続けた。
うむ、と俺は唸った。
ジラールはこの街を映す鏡のような男だ。
つまり彼のこのリアクションこそが、この街におけるクリフ神父の評価なのだろう。
つか、そんなことより俺を兄貴って呼ぶな。
「よし、それじゃ、そろそろ行こうか」
俺は立ち上がった。
ジラールもそれに倣って立ち上がり、「今日はどこに行きやすか」などと前のめりに言った。
昨日のギャラが余程お気に召した様子だ。
「聞き込みだよ」
と、俺は言った。
「俺の故郷には"現場百辺"って言葉があってね。捜査においては、実際に現場に赴いて足で聞き回るのが最も大事なの」
俺はそう言うと、がぶりとチキンにかぶり付いた。
朝食のセットのくせに、相変わらずすこぶる味が濃かった。
∇
俺たちはそれから、イエローチャペルの周辺やスラム地域に住んでいるマグノリア教の信者の家を廻った。
念のため、神父と交流のありそうな人間を、その中でも女性を中心に回ってみた。
結果は芳しくなかった。
しかしそれでも幾人か、容疑者と呼べる女性もいた。
熱心な信徒で、クリフ神父と懇意にしており、そして事件当日のアリバイが無い、女性。
その中でも特に、アヴァ=リーベルトという女の人。
チャペルから少し離れた場所で織物工場に勤務しており、毎日のようにチャペルへと足を運ぶ、若くて美人のマグノリア教の信者だった。
リストの観点から見るとピシャリと当てはまる人物だ。
しかし。
俺が話をした結果、彼女には"嘘"の色が見えなかった。
あまり強そうにも見えなかった。(腕のある人間ほど能力を隠すことに長けているのであまり参考にはならないけれど)
アヴァは少しだけ怪しい色は見せていたので、完全なシロとは言い難いが、クリフ神父のような明らかな"嘘"は吐いておらず、なんとも判断が難しかった。
「これだけ歩いて収穫ゼロ、スかね」
ジラールは不満を隠そうともせずにそう言った。
俺たちは再びイエローチャペル近くの空き地に戻ってきていた。
半日歩き回ったおかげで既に陽はすっかり傾き、辺りはオレンジに染まっている。
相変わらずチャペルには多くの人が足を運んでおり、人気は多かった。
昨日の大道芸人は今日も来ていた。
同じように器用に人形を踊らせて、拍手を浴びていた。
「いやいや、十分だよ」
俺は空き地内の隅っこでやってた屋台で買った、肉まんとハンバーガーの中間みたいな食べ物を買って食べながら言った。
「ところでさ」
俺は口の中のものをコーヒーで流してこんでから言った。
「あそこのあの大道芸人。あの人は毎日ここに来てるの? 昨日もいたけど」
俺が指を指すと、ジラールはその先を目で追った。
それから芸人を視認すると、「ああ、あいつですか」と即答した。
「人形使いのガロワって奴ですね。この辺じゃ有名な奴ですよ。何しろ、毎日の辺りの広場に来てますからね」
「随分と器用に人形を操るね」
「そりゃもう、プロですからね。あれが出来なきゃおまんまの食い上げだ」
「こんなところで大道芸をやってるなんて、彼もマグノリア教の信者なのかい?」
「さて。そんな話は聞いたことがないスけど。何しろ正体の掴めない男でね。俺も、あんまりガロワのことは詳しくないんス。ただ」
「ただ?」
俺が先を促すと、ジラールは肩を竦めた。
「ただ、まあなんというか、あの男はクセが強いですよ」
「というと」
「変人っつーんスかね。人嫌いというか。まともに会話をしようとしない。極度の人見知りって言うのかな。悪い奴じゃあねーんだけど、まあ、人と接するのが苦手なタイプ」
ふーん、と俺は短く頷いた。
「なんか気になりますか」
ジラールが問う。
俺は「ちょっとね」と応じた。
「ほら、俺の本業は人形売りだからさ。人形にはそこそこ詳しいのよ」
「あー、そう言えばそうでしたね」
「で、あの人形の動き、すげーなと思ってさ」
「だからプロだって言ってるんスよ」
「うん。ま、そうだね」
そういうと、俺はハンバーガーまがいの包装紙を丸めて立ち上がった。
「それじゃ、今日はここまでにしようか」
「あら。今日は早いスね」
「うん。これから人と会う予定があってね」
「女、スか」
「そうだね。女にも会うかも」
「かー! いっスね! あー俺も彼女欲しっス」
「彼女じゃないけどね」
俺は懐から今日のギャラの入った麻袋を取り出した。
そして、それを放り投げながら言った。
「それじゃ、また明日」




