34 住人たち
それから俺はジラールに案内を受けながら、今市井で話題のスポット、第12地区の"イエローチャペル"へとやってきた。
そこはどこにでもあるような石造りの礼拝堂で、比較的大きな建物であったものの、取り立てて特徴のあるような箇所はなかった。
ただ、これだけ物騒な事件が続いているにも関わらず、人の出入りは多く、今も身なりの荒れた貧しい人たちが祈りを捧げるためにたくさんチャペルへと入っている。
建物の入り口付近では操り人形のパフォーマンスを披露している大道芸人がおり、何人かの人間が立ち止まっていた。
「事件からこっち、ここの住人たちの様子はどうかな?」
俺は近くの屋台で買ったやけに毒々しい色合いのジュースをチューチュー吸いながら言った。
うんざりするほど甘いけど、そんなに味は悪くない。
「そっスね。最初はみんな驚いて怖がってたスけど、今じゃすっかり慣れたっていうか。割りと普通に暮らしてます」
ジラールは俺の奢りで買った棒つきキャンディを口の中で転がしながら言った。
ふむ。
さすがはスラムの住人たちだ。
こんな恐ろしい事件が起こっているというのに、もう"慣れた"のか。
「ま、標的がハッキリしてるっスからね。ただ、この辺りは今でも夜は人手がかなり少なくなってますけど」
「路上売春は減ってる?」
「当然。特に男の立ちんぼはほとんどいませんよ。ここいらの連中はみんな肝が座ってますが、そこはそれ、さすがに怖がってます」
そりゃそうか。
いくら盛り場の聖地とはいえ、命を賭けてまでここに拘る必要もない。
「ただ、やっぱりあいつらも食って行かなきゃいけねーですからね。少し離れたところで、商売を再開してるっスよ。少しづつですが、なんとなく元に戻ってきてます」
「問答無用だねぇ、生きるってことは」
俺はそう言うと、さて、と言った。
「そろそろ行こうか」
「行くってどこに」
「目撃者に話を聞きに」
「目撃者って誰です」
「ジラール君。キミ、この辺りの顔なんだよね」
「え、ええ、まあ」
「それなら、とりあえずそこから始めてみよう。総当たりだ」
俺はにこりと笑った。
ジラールはうへと舌を出した。
「まあそう言うな。晩飯くらい奢ってやるからさ」
俺はそう言って、ジラールの背中をばんと叩いた。
∇
「おー、意外と美味い」
俺はそう言うと、味も色も濃い肉入りパスタを頬張った。
破れた幌に割れた窓。
店内は油まみれの落書きだらけ。
故郷だったら二桁近い保健衛生法違反を犯してそうなレストランで、俺とジラールは少し早めの夕食を食べていた。
「でしょ? ここは見た目はヤベーんスけど、味は良いんス」
ジラールは少し得意気にふふんと鼻を鳴らした。
半日付き合って分かった。
こいつは典型的な子分肌の男だ。
本人は親分になりたがってるけど、まあ向いてない。
しかし、子分として見るなら、人懐こくてほどよく馴れ馴れしくて、なかなか可愛いところがある。
「しかしまあ、ろくな証言は無かったなあ」
俺は口の中のものを飲み込むと、天井を見上げた。
あれから。
俺達はジラールの知人から話を聞いて回った。
みな気のいい奴らでよく喋ってくれたが、結果は芳しくなかった。
女だった。
それもものすごい美人だった。
人間とは思えないほど早かった。
その程度だった。
ドリトルミの話とほとんど代わらない。
「なあジラール。お前はこの犯人、どんな奴だと思う」
俺はなんとはなしに聞いてみた。
そっスねえ、とジラールは少し考えて、
「まあ、頭のイカれた野郎でしょうね。何の恨みもねえ奴らを殺すなんてのは理解できねぇス」
「何の恨みも無ぇ、のかな?」
「そりゃそうでしょうよ。殺された奴らにゃ関係性も共通点もまるでねぇんだから。金も盗まれてない」
「共通点はあるじゃん。夜鷹をやってる」
「は。ウリをやってるから殺すってんですか? それならいよいよイカれてるぜ。奴らは生きるのに必死なんだ。確かに法律にゃ違反してるけどよ、生きるためにやってんだ。お上が助けてくれねえから、それをやるしかねえんだ。あいつらに、殺されるほどの理由はねえ」
「うん。まあ、同感」
俺はフォークを置いた。
もう腹いっぱいだ。
「きっと犯人は貧乏人ですよ」
「貧乏人?」
「そう。ここには鬱屈した奴がたくさんいる。だから憂さ晴らしをしてるンですよ。弱ぇやつが、弱ぇやつを狙ってるンです。男娼やってる連中はここいらでも最底辺の人種だ。金がなく、ツテもなく、職もない。そういう弱者を狙って、憂さ晴らしをしてやがる。マジで胸糞わりぃ野郎だ」
ジラールは珍しく語気を荒げた。
俺は少し彼を見直した。
うむ。
この野盗。
そこらの金持ちよりよっぽど道徳を心得てる。
「しかし、身なりの良い女だったという証言もあるぞ」
「俺から言わせれば、証言なんてあてになりゃしませんよ」
ジラールは呆れたように肩を竦めた。
「大体、こんなに派手な殺しが出来るのが"女"って時点で眉唾じゃないスか。被害者は皆男っスよ。女が一人で殺せるわけがない」
「しかし、"女"であることは全員一致してる。他のことはともかく、そのことはみんな自信ありそうだったし」
「恐らく、女装してる男だったんスよ。目撃者の証言を誤魔化すために、女装してから殺しをやってた」
俺はふむ、と唸った。
女装、か。
この男、学は無さそうだがそんなに頭は悪くない。
直感で言っているだけだとしても――意外と良い推理だ。
この世に強い女はいくらでもいる。
男を凌駕するほどの強者は五万といる。
プロの暗殺者だけでも相当数を知っている。
ジラールはそこを見誤っているが、しかし。
実は俺も今日、似たような違和感を感じたのだ。
即ち。
"女性"という証言だけが一致しすぎているのだ。
一瞬しか見られなかった者や、暗がりでよく見えなかったという者も、そこだけはしっかりと証言していた。
首ハネヴィーナスという字もそのせいのはずだ。
つまり、犯人は「一目で女性と分かるような服装だった」ということだ。
人を殺すのに、わざわざ女性であることを殊更にアピールするような服を毎回着るだろうか。
そこには何かしらの意図があるのではないか。
そう考えると、ジラールの言い分はしっくりくる。
つまり、目撃者のミスリードを誘っているわけだ。
であるなら。
男が女装して犯行を重ねている可能性は十分にある。
「よし。じゃあ、最後にもう一件だけ当たってみるか」
俺はうん、と伸びをした。
「え? まだ行くんスか」
「うん。つか、次が本命だし」
「いやでも、もう直きに日が暮れるし」
「日が暮れるのを待ってたんだから」
「どういうことです?」
「チャペルの神父に話を聞こうと思っててね」
俺は立ち上がった。
「昼間は忙しそうだったからさ。じっくり話を聞くなら夜だ」
「でも、それなら俺は別にいらないんじゃ」
「連れないこと言うなって。ここいらの顔役のキミがいた方が、神父も身構えないだろ?」
「まあ、そりゃそうっスけど」
まだ不満そうに口を尖らせるジラールに、俺は「ほれ」と小さな麻袋を渡した。
ジラールは少し訝しげにそれを受け取った。
それからじゃり、と音を立てるそれを開けると、みるみる内に顔が綻んだ。
「こ、こんなに良いンすか」
「うん。その代わり、ここ数日の内にまた何かあったら色々と頼むかもしれない」
「もちろん! へへ。こういうことならいくらでも手を貸しますよ」
ジラールは小僧のように鼻の下を擦った。
俺は苦笑して、それじゃあ行こうかと踵を返した。
 




