32 ヴィーナス
「仕事、ですか」
俺は伸びをしながら、少し間の抜けた声を出した。
嫌だった。
この人からの依頼はムズいのが多くて。
しかも、結構規模がでかい。
しかも、無料働き。
しかも、断れない。
しかも――よく人が死ぬ。
普通に割に合わない。
あまり良い結果にならない。
断りたい。
「そうだ。仕事だ」
ドリトルミは姿勢を崩さず、微動だにせぬままに応えた。
「マチルダを起こせ。その背中に負っておるのがそうだろう」
ドリトルミは顎をしゃくった。
「別にマチルダさんに聞かせる必要ないんじゃないですかね」
俺はちらりとマチルダを見た。
「意味ないすよ。この人にあらましを聞かせても。今、寝たとこなんです。話なら俺が聞きますから。えっと、奥に行きますか」
ドリトルミは少しだけ眉をひそめた。
それからここで構わんと言った。
相変わらず眼力がすごい。
あと眉毛と髭がすごい濃い。
なんというか、めちゃめちゃ威厳がある。
なんもないのに思わず平伏しそうになる。
オーラがあるっていうのはこういうオッサンのことを言うんだろう。
「カワカミ。貴様、近頃市井を騒がせている事件を知っているか」
「いや、多分知らないっすね」
俺は少しも考えずに応じた。
「時事にはサッパリっすね。新聞は読んでないですし、俺には世間話をする友人もいないですしね。あんまり世の中に興味ないし」
「お前はもう成人だろう。俗世にも興味を持て。馬鹿もの」
ドリトルミはびしゃりというと、話というのは、と僅かに顎を上げた。
「近頃、第12地区の貧民街にあるイエローチャペル界隈に現れている謎の怪人のことだ」
「謎の怪人?」
俺はその言葉を繰り返して、ほー、と顎を撫でた。
「なんだかちょっと面白そうな話ですね」
「微塵も面白くなどない」
「そうなんスか? でもなンか、ちょっとミステリアスでファンタジックじゃないですか。俺たちの子供の頃にはそういうの流行ったンすよ。異形の怪人を倒すヒーローもの――」
「連続殺人事件だ」
ドリトルミはチャラける俺を遮るように言った。
俺はしゅんとして「……あぁ」と呻くように言った。
殺人事件ね。
そりゃあ面白くない。
「現在、被害者の数は8名。いずれも貧民街出身の娼婦――それも男娼だ」
「男娼、ですか」
「スラムに近いチャペルでは売春が横行しておってな。マフィアが差配しておって迂闊に手を出せず我々も手を焼いている地域なんだが、そこで現在、同じ手口の殺人が続いておる」
「同じ手口?」
「首をハネるのだ」
ドリトルミは自らの首、ちょうど頸動脈の辺りをとんとんと叩いた。
「凶器は恐らく大剣か、或いは何か刃の付いた鉄糸のような鋭いものだ。切り口からしてただ者ではない」
「同業ですかね」
「分からん。しかし、殺されているのはみな風来坊の素浪人たちだ。何の背景もない、ただの夜鷹どもである。そんな輩を、わざわざプロを使って殺すか」
「被害者に職業以外の共通点は」
「ない。金の線も薄い」
「はあ、そりゃないっすね」
俺は肩を竦めた。
こいつはどうやら無差別殺人の線が濃い。
劇場型や快楽殺人の類いはプロとは水と油。
金で動く俺達とは真反対の人種だ。
あり得ない、と言っても良い。
「目撃者は」
「かなりの人数がおる。が、未だ特定には至っていない。何しろ人間離れした動きをするようでな。目視だけではハッキリとは捉えられないのだ。故に貴族のような格好をしていたとか、或いは反対に、みすぼらしいもの乞いのような服装であったとか、証言はまちまちなんだが、共通しているのは――どうやら此彼は"女"のようだということだ」
「首ハネのヴィーナス、ですね」
その時、パルテノが盆に載せた茶を運んできた。
「パルテノさん。知ってるんですか」
「ええ。というより、カワカミ殿が知らなかったことに驚きましたよ」
パルテノは勘定台の上にお茶を置いた。
ドリトルミは目顔で礼をした。
そして、もう一つを俺の前に置く。
俺はちょっと口を尖らせながら、
「知ってるなら言ってくださいよ」
「これだけ巷間で話題になってるんですから、当然知っているものと思ってました。カワカミ殿が話題に出さないので、そのような話は嫌いなのかと」
「うん。まあ、嫌いですけど」
そういって、ずずとティーカップを啜った。
美味い。
このオッサン、変態だけど御茶を淹れさせたら天下一だ。
これだけでも、意外と拾い物だったかもしれない。
「とにかくそういうわけだ」
ドリトルミは杖をカッと鳴らした。
「カワカミ。マチルダを使って、この正体不明の殺人者を討伐せよ」
「はぁ、まあ、やりますけど」
俺は後頭部をぽんぽんと叩いた。
ドリトルミは懐に手を入れた。
「謝礼はいくらだ」
「あんたから金を取ろうとは思わないよ」
俺はふーと息を吐き、肩を竦めた。
「これまで通りやってくれれば良い。これまで通り、俺達の仕事を見逃してくれたらそれで、ね」
「見逃しているのではない。判断しているのだ」
ドリトルミは目を細めた。
「カワカミ。私は常にお前を監視しておるぞ。ゆめゆめ状況を間違うな」
「同じことでしょうよ。あんたと俺達は、価値観が似てる」
「どうかな」
「似てるよ。間違いない。それに」
俺はじろり、とドリトルミを見た。
「自警団だって、俺達と本気で闘りあいたくはないでしょう?」
ドリトルミは口を閉じ、しばし俺を見返した。
それから、「また連絡する」といって、踵を返したのだった。
 




