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「ねーカワカミー」
いつもの昼下がり。
店内を掃除していると、人形遊びをしていたマチルダが声をかけてきた。
「なんですかー」
俺は手を止めずに返事をした。
「カワカミはさー」
「はい」
「子供は何人くらい欲しいんだー?」
「……は?」
俺は思わず手を止めた。
「な、何の話です?」
「いやさー、この前さー、マリアナが言ってたんよ。男と女が愛し合ったら子供が出来るってー。でも、ちゃんと計算して作らないと駄目よって。若さにかまけて、無節操にヤりまくっちゃ駄目よって」
あの女。
マジで子供になんてこと教えやがる。
前はちょっと情に絆されてあんなこと言っちゃったけど。
当分はスクワード家には出入り禁止にした方が良さそうだ。
「あたしはなー、やきゅーチームが出来るくらい欲しいんよなー」
「や、野球、ですか」
「そうなんよー。ほら、カワカミの国にはそういう遊びがあるんだろ?」
「ああ、ありますね。そういや、前に二人でちょっとやりましたもんね」
「うん。でもなー、やっぱちゃんとした人数でやりたいからなー、そんだけの人数が欲しい」
「そ、そうなんですか。……しかし9人は多いな。つかその前になんでマチルダさんがナチュラルに幸せな家族計画立ててんスか」
「あたし、やってみたいんよ、やきゅーっての」
マチルダは「カキーン」と言いながら、人形をトコトコと動かした。
何をやっているのかと覗いてみると、机の上には人形が野球の守備位置に配置されていた。
どうやら。
前に教えた野球のルールを覚えていて、一人で野球ごっこをしていたようだ。
うーむ。
野球ってかなり複雑なルールなんだけど。
一度教えただけで、完璧に把握している。
「ほりゃー! ムラカミ! ここで送りばんとだ! なんとかセイヤに繋げるんだ! ヤナギダ! 最低でも犠牲ふらいだぞ! いんふぃーるどふらいには気を付けろ!」
いや、把握しすぎだから。
つーか、妄想で送りバントとか犠牲フライとか、あまつさえインフィールドフライとか、どんだけリアルにシミュレーションしてんスか。
「まあ、いつか、ですね」
俺は苦笑しながら、窓外を見た。
今日は天気がいまいちで、ポツポツと雨が降り始めている。
「いつか本当に、マチルダさんを連れて帰れたら良いっすね」
俺は少し考えてみた。
もしも仮にマチルダと国に帰ったら。
みんなは一体、どんな風にリアクションを取るだろう。
どんな暮らしになるだろう。
少し想像したら、ちょっとニヤけてしまった。
まあ、いずれロクなことにはならないだろうけれど。
それはそれで楽しそうだ。
「なーに笑ってンだよー」
どさり、と背中にマチルダがのし掛かってきた。
俺は少し前につんのめった。
「いや、別になにも」
「嘘つけ。今、なんかニヤニヤしてたぞ」
「してませんって」
「あんな。カワカミな。お前な。別に隠さなくても良いんだぞ」
「隠す?」
「あんな。マリアナが言ってたんだけどな。男ってのは、可愛い女の子を見るとムラムラして、ニヤニヤするんだって。チョー絶キモいけど、それは健全な証だから恥ずかしがるようなことじゃないって」
「いやだからあの人の話はスルーしなさいって」
俺ははあと大きな息を吐いた。
それからマチルダを下ろそうとしたが降りなかったので、そのまま掃除を再開した。
すると、いつの間にか、背中からスースーと寝息が聞こえてきた。
「そうして寝ていると、本当に可愛いだけの子供ですな」
在庫管理を終えたパルテノが戻ってきた。
「とても恐ろしい戦闘能力を持った暗殺者には見えない」
こちら在庫を表に纏めておきました、とパルテノは羊紙の束を差し出した。
俺は苦笑して「ご苦労さん」と言って受け取った。
「可愛いっちゃ可愛いスけどね。まあ、普通というにはちょっとワガママが過ぎますけど」
「普通ですよ。子供というのはワガママなものです」
「おや。なんです、まさかパルテノさん、まさか子育ての経験が」
俺が聞くと、パルテノは少し気まずそうに額を掻いた。
それから「まさかですな」と首を振り、ははと乾いた笑い声を出した。
「私は紛争専門の傭兵です。家族など持てるはずがない」
「まあ、それは確かに」
俺はそれ以上は言及しなかった。
俺も大人だ。
そのくらいの分別はある。
「一つ聞いてもよろしいでしょうか」
早速、パルテノの作成した在庫表に目を落としていると、パルテノが聞いてきた。
なんですか、と表を眺めながら俺は応じた。
「カワカミ殿は、マチルダ様とはどのような関係なんでしょうか」
う、と動きが止まった。
思わずパルテノを見やる。
彼は狼狽する俺を見て、にこりと笑った。
――おっさんめ。
気を遣って損をした。
「兄妹や父子ではないと仰られてましたな」
「ええ、違います」
「では、里親というところですかな」
「うーん。それも違うかな。家族って感じじゃないし」
「ほう。では、"仲間"ですか。或いは"友人"。それとも、二人の間には何かしらの主従関係が」
「細かいなあ」
俺は苦笑して釘を刺した。
するとパルテノは肩を竦めて、すいませんと頭を下げた。
「自分でもおかしいと思うのですが、どうしても気になって」
「別に隠してるわけじゃないですけどね。俺たち、自分でもどんな関係なのか、上手く言えないンすよね。まあ……強いているなら"同志"って感じですかね。ああいや、やっぱり違うか。どちらかといえば、"同類"に近い」
「同類、ですか」
パルテノは神妙な顔つきになった。
いや、やっぱそれも違うな、と俺は首を振った。
「ま、何でも良いじゃないですか。言葉なんて頼りなくてあやふやなもンです。取りあえず認識としては、"なんとなく俺とマチルダさん"ってことで、ざっくりと捉えててくださいよ」
「なるほど」
パルテノは口の端で微笑んだ。
「それは何やらしっくりきますな」
「でしょ? 実は俺もそうなんです」
俺は笑った。
「まあ、それで良いんです。関係性なんてどうでも。俺は、マチルダさんと一緒にいられたらそれで良いんで」
パルテノは目を細めた。
それから「なんと羨ましき哉」と呟いた。
と、そのとき。
からんからん、と入り口の戸が開いた。
現れたのは老紳士だった。
清潔で高級な服装に身を包み、背筋がしゃんとして、なんとも見映えが良い。
「いらっしゃいませ」
パルテノは腰を折って慇懃に頭を下げた。
老人は目顔で挨拶を返し、俺のほうへと歩みよった。
「久しぶりだな、カワカミ」
老紳士は言った。
「息災であったか」
俺は「うん」と頷いた。
するとパルテノが近寄って来て、お知り合いですか、と耳打ちした。
「はい。ちょっと偉い人です」
「……でしょうな」
パルテノは老人の腕に巻かれた腕章に目をやった。
アザミの葉の意匠が描かれた独特のマークが描かれてある。
あの紋章は、この街の治安を司る自警グループ「アマンドール」のものだ。
その中でも金糸で縁取られたものは最上位に即する者に与えられる。
俺は少し長めの息を吐いた。
うーむ。
この人が来ちゃうか。
こいつはちょっと面倒くさいことになりそうだ。
「そんなわけなんで、パルテノさん。悪いんですけど、ちょっとお茶を淹れて来てもらえますか。あ、一番いいやつね」
「承知しました」
パルテノは老人の方に慇懃な挨拶をして、踵を返した。
「で」
と、俺は言った。
「何の用事でしょうか。ドリトルミさん」
「わざわざ私が自ら現れたのだ。言わずとも分かるだろう」
老紳士――ドリトルミはそういうと、少し顎を上げ、俺を見下ろした。
「仕事だ。マチルダの力を借りたい」




