29 死
「だっるー」
マチルダは死ぬほどダルそうにダラダラヨタヨタ歩いてきた。
「あーダルい。クソだるい。鬼ダルい」
チョーマジ鬼ダルいんすけどー、と、ヘソだしルックのドレスから露出したおなかをボリボリと掻きながら、バイト明けのギャルみたいにマチルダは言った。
「ちょ、ちょっと、マチルダさん。シャキっとしてください」
俺は慌てた。
「せっかく一人称まで変えてカッコつけて紹介したんですから! いつもみたいにバシっとキメてくださいよ」
マチルダは口を三角形にして「無理」と言った。
「そ、そんなこと言わずに」
「だってダリーんだもんよー」
マチルダはそう言うと、あろうことか、その場にごろんと横になった。
「いやよー、最近よー、マリアナんちで絵本読んでたんだけどよー、それがクッソ面白くてよー、あんま寝てねーのよ。だからねみーのよ」
そう言って、猫のように伸びをする。
「じゃ、じゃあ、"仕事"はどうするんですか」
「今日はパスな。ダリーから」
「パ、パスって」
「大体よー、あたしはよえー奴に興味ねーんだわ。標的よ、見たとこせいぜい30点だ30点。赤点。落第。いやつーか30点とかマジ興味ねーし。ゴミだし。クズだし」
マチルダはそれだけ言うと目を瞑り、すぐにグースカと寝息をたて始めた。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。俺はお膳立て専門で、あんまり戦闘得意じゃないんですから。ちょっと、マチルダさん?」
俺は彼女の身体を揺すった。
だが、もう簡単には起きそうに無かった。
漫画みたいな鼻ちょうちんを作って、「うーんむにゃむにゃへいオヤジ、ラーメン大盛の麺抜きで」とか寝言まで言って、既に完全に寝入っている。
ガチ寝だ。
さて、どうするか。
俺はしばし呆然とした。
「……貴様ら、巫山戯ているのか」
アランの声がして振り返った。
かなりイラついている。
剣の柄に手を掛け、腰を落とし、既に戦闘る気まんまんだ。
殺気もヤバい。
うーむ。
強そう。
やや甘く見積もっても、俺とは五分といったところか。
「死神というのは、その娘のことだな」
アランは言った。
「巷説に聞いたことがある。この世には"死神"と呼ばれる幼女がおり、天下無双の力を持っていると。その者に出会って生きているものは一人もいないと」
そうですねと俺は言った。
「それは間違いなくこの子のことです」
「ならば起こせ」
アランはニヤリと口の端を上げた。
「くくく。長らく剣の道から遠のいていたおかげで忘れていた。強者と戦う楽しみというものを。しかし、その娘を見て思い出した。若き日、私も世界最強を目指していた。その時の野心が、その娘のおぞましいオーラで蘇ってきたぞ――」
「熱く語ってるとこ申し訳ないんですけど」
俺はアランを遮り、頭をがりがりと掻いて言った。
「どうもこの人、あなたとは戦う気がしないみたいなんですよねぇ」
「なんだと?」
アランは顔を歪めた。
「それは一体――どういうことだ」
「どうもこうも、そのままの意味ッスね。端的に言ってアランさん、あんたは弱すぎる」
「なんだとっ!」
アランは目をカッと見開き、激昂した。
「貴様! この私はルネサンス剣術の達成者だぞ! あらゆる流派の剣術をマスターした天才だ! この街で――いいや、この国で、私より強い剣士はいないのだ!」
ふむ。
どうやらこれは"本音"らしい。
ならば――と、俺は微苦笑した。
ならば、これを使わない手はない。
「でも、足りないんス」
俺は眉を下げた。
「まあ、俺から見ても、全然ダメダメですね。申し訳ないんですけど、マチルダちゃんの相手をするにはどう見ても力不足。弱い。拙い。足りない。あなたでは弱すぎててんで話にならない」
すいやせん、と俺は頭を垂れた。
するとアランの顔はみるみる内に紅潮していき、わなわなと震え始めた。
「その小娘を叩き起こせ!」
アランは剣を抜いた。
ついに此彼がその中に潜ませていた殺意を剥き出しに晒け出した。
「殺してやる! 切り刻んでやる! この私を"弱い"などと愚弄したことを後悔させてやる!」
いくら叫んでもマチルダは起きなかった。
アランは肩を怒らせてマチルダのところまで歩み寄り、それから、
「起きろ! そして闘え! 早く起きろ、このドチビが! 捻り潰すぞ、クソ売女め! このまま起きねえなら、女郎屋か見世物小屋に売っぱらっちまう――ぞ?」
アランはそこで唐突に動きを止めた。
そして、よろりと身体を傾けた――
その時である。
「なん――だ?」
アランの首に。
ピッと。
一筋の線が入った。
「なん……だ……? 視界が……変だ……が……ギギ……ギギギ……からだ……うご……かな……」
そして今度は、その線に沿って。
頭と身体が。
ズレた。
さらにそのズレは大きくなり、やがてそのまま――
ごとり、と首が地面に落ちた。
少し遅れて。
頭を無くした肉体は、どさりとその場に崩れ落ちた。
首からは大量の血液が流れ出て、辺り一面は忽ちの内に血だらけになった。
どこかで夜鳩が啼いた。
蹤血の上を、砂塵が静かに舞った。
アラン=モンタギューは死んだ。
「ごちゃごちゃうるせーんだよ、三下」
大きな満月の下。
血の海のど真ん中。
マチルダはそれだけ言うと。
大鎌を振るい、その刀身に付着した悪党の血を振り払ったのだった。




