27 犯人
フランシーヌが死んだ。
アランは人気のない深夜の往来を一人で歩いていた。
満月の夜。
彼はなにか楽しいことや可笑しいことがあると、こうして裏路地を散歩する倣いがあった。
中でも今日は格別だった。
いてもたってもおられず、家で大人しくなどと出来るはずもなかった。
この興奮を。
この猛りを。
どこかで発散せねば、到底眠れそうになかった。
アランは再び、つい先ほど刷られたばかりの瓦版に目を落とした。
スクワード家の3女が観賞用の剣を喉に突き刺して自害した旨が書かれてある。
自殺を止めようとした次女も軽傷を負ったようだ。
何があったかは分からぬが。
どうやらその場にはシャーロットもいたようだ。
フランシーヌが死んだ。
自分の婚約者が自ら命を絶った。
自分と使用人との恋仲に嫉妬して狂い死んだ。
にも関わらず、アランは笑った。
ニヤニヤとして笑みが堪え切れなかった。
そのことが気持ちよくて仕方なかった。
アランはつと足を止め、口に手を当てて、くつくつと笑い声を漏らした。
それから往来に誰もいないことを視認し、人気が全くないことを確認すると、今度は「あははは!」と身体を反らして大笑いをあげた。
彼には特殊な性癖があった。
人から嫉妬されることに、異常な性的興奮を覚えるのだ。
人の妬みや嫉み、悋気にやきもち、そういった類いに触れると、なんというか、その人間を支配し、征服し、弄んでいるような心持ちになる。
肉体の痛みなど一瞬だ。
本物の苦痛とは精神の苦悩。
その中でも特に、恋の懊悩こそ加虐の極みだ。
フランシーヌはどれだけ悩んだであろう。
どれだけ苦しんだであろう。
どれだけ苛まれたであろう。
それを考えると、たまらなく愉快だった。
アランは生来の加虐趣向者であった。
そんな彼にとって。
フランシーヌは実に好みの女だった。
彼女の嫉妬深さは常人のそれでは無かった。
アランが少し他の女に気がある素振りを見せるだけで、嫉妬に狂った。
しかし、フランシーヌはアラン本人には直接なにも言ってこない。
彼女には貴族としての常識と臆病さがあった。
そのことが、またアランの嗜虐性を刺激した。
フランシーヌは苦しんでいた。
自分のやっていることがどんなに馬鹿げており、愚かで、惨めで、そして人道に背いているかを知っていた。
だから苦しんでいた。
人を傷付けたくないと考えながら、しかし、恋人を盗られると感じると我慢が出来ない。
赦せない。
感情が制御出来ない。
それが、たまらなく愉快だった。
だから。
アランはあえてスクワード家で働く若い女中に手を出した。
アランには自らが容姿に優れているという自覚があった。
自分がモーションをかければ、ほぼ全ての女は心を許した。
どんな女でもすぐに男女の関係に持ち込むことが出来た。
女中など赤児の手を捻るようなものだった。
甘い言葉をかければすぐに堕ちた。
アランは、フランシーヌにだけ分かるように、彼女にのみ見せつけるように、わざとスクワード家で逢瀬を繰り返した。
会うたびに窶れ、痩せていくフランシーヌ。
何の落ち度も無いのに殺されていく若い使用人たち。
それを見ながら、アランはスクワード家で何度も絶頂した。
しかし。
ただ一人。
ミスティという女だけは違った。
あの女は、自分がいくら優しく微笑んでも、高価なプレゼントを渡しても、決して靡こうとしなかった。
アランの誘いを、最後まで頑なに断った。
だから、あの日の夜。
フランシーヌが決まって大広間を通る、月の照らす明るい夜。
アランはミスティを呼び出して――強姦したのだ。
ミスティは抵抗したが、武道の達人であるアランの力の前にはなす術も無かった。
かといって、彼女は誰かに助けを求めることも出来なかった。
アランが本気になれば、ミスティは簡単にこの家から放逐できる。
そうなれば彼女は路頭に迷い、家族への送金も出来なくなってしまう。
奉公人は、どうあっても貴族には勝てないのだ。
アランはミスティを何度も犯した。
フランシーヌが隠れて見ていることも知っていた。
そのことで、彼は脳が焼ききれるかと思うほどに興奮した。
そしてしばらくして、ミスティは死んだ。
フランシーヌに殺された。
何も悪いことなどしていないのに。
私に犯され、濡れ衣を着せられたまま。
無惨に生き絶えた。
そして今日。
そのフランシーヌも、死んだ。
この私に弄ばれていることにも気付かず。
人を殺し。
自分も殺した。
「あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは」
アランは息が出来ぬほどに大笑いした。
なんという滑稽さだ。
なんという無意味さだ。
これほど愉快な死があるだろうか。
これほど無様な死があるだろうか。
人の死とは、それも理不尽な死というものは――
どうしてこれほどに甘美なのであろうか。
ひとしきり笑い終えると、アランは背を丸めて再び歩き出した。
どこかで女を抱かねばこの火照りは静まりそうになかった。
いつでも犯せるような女郎などでは勿体ない。
またぞろ、どこかで目ぼしい貧乏貴族の女を襲うか。
アランはニタリと笑うと、兼ねてより目を付けていた女の屋敷へと向かうため、四つ角を左に曲がった。
――チリン
と、その時である。
どこからともなく、鈴の音が聞こえた。
「――誰だ」
アランは足を止め、辺りを見回した。
しかし、どこにも姿は見えなかった。
いや。
それだけではない。
気配すら感じない。
空耳であったか。
よもやこの私が、人間の気配を察知できぬはずはない。
そのように判じて、アランが再び歩きだそうとした、その時。
チリン。
もう一度、鈴の音が響いた。
やはり勘違いなどではない。
今度は気配を感じた。
それも、強烈な気配。
アランは思わず帯刀した剣に手を掛け、振り返った。
誰もいない。
アランはいよいよ顔をしかめた。
どういうことだ。
今しがた、確実に気配を感じた。
あれは確かに"殺意"であった。
アランはごくりと喉を鳴らした。
そして、彼の額から一筋の汗が垂れた、そのとき。
――穢土にのさばる悪の業
声がした。
どこからともなく。
不気味な男の声がした。
アランは辺りを見回した。
すると。
先ほどまで誰もいなかった往来に――男が立っていた。
フードを目深に被り。
鈴を手にした、若い男。
――哭いても晴れぬ怨みの夜に 月が助けてくれようか
閑散とした住宅地に男の声が響く。
アランは身構えた。
この男、只者ではない。
剣を振るう者としての本能が、そう囁いている。
――この世の善にあてはなし この世の悪に果てはなし
声は林立する建物に木霊する。
その時、アランははたと気付いた。
この声。
どこかで聞いた。
――黄昏義民に代わって 今宵はこの僕が
そうだ、この声は。
――己が欲望を撒き散らす 悪辣非道のこの悪党に
どこかのバルで弁護士を名乗っていた、あの男。
――正義の鉄槌死神人形を 怨みを乗せて届けに参りました
「貴様! あの時の公儀を騙る詐欺師だな!」
アランは大声を張り上げた。
「どこでなにを調べたのかは知らんが、この私を"悪党"呼ばわりとは! このような無礼は許さんぞ!」
ふ、と男の声が消えた。
同時に、姿までも。
「ど、どこに消えた!」
チリン。
そのすぐ後。
再び、鈴の音がした。
今度は背後から。
アランは慌てて振り返った。
男は闇夜に半身を溶かしながら佇立していた。
「アラン=モンタギュー様」
そして、今度はハッキリとした口調で、こう言った。
「その命、頂戴致します」
 




