24 フランシーヌ
「なんなのよ、あの下女は! 生きる価値もない家畜の癖に!」
フランシーヌはヒステリックな声をあげ、近くにあった燭台を石壁に投げつけた。
それでもなお怒りは収まらず、彼女は肩を怒らせながら鏡台の方へと移動し、化粧台の上に置かれてあった手箱を思い切り床に叩きつけた。
ひとしきり暴れ終えると、ハアハアと肩で息をしながらベッドへと倒れこんだ。
先程降り始めた雨足が強くなり、雨音が激しくなった。
香の香りに混じり、水と土の匂いがし始めた。
許せない。
あのライラとかいう女。
絶対に許せない。
アラン様を――私の大切な婚約者を、あんな下女に取られてたまるものですか。
フランシーヌは鼻に皺を寄せ、美しい顔を歪めて憎々しげに呟いた。
ふいに、ライラとアランが抱き合っているシーンが頭に思い浮かんだ。
彼女は顔を真っ赤にしてシーツを思い切り叩き、枕を投げ捨て、さらにその場でめちゃくちゃに地団駄を踏んだ。
どうしたって怒りが収まりそうになかった。
頭がどうにかなりそうだった。
――仕方ない
やがてフランシーヌは動きを止め。
くつくつと嗤った。
偏執的な笑みだった。
これ以上、あの女ギツネがアラン様を誘惑するなら仕方ない。
ライラも、あの糞女どもと同じように、殺すしかない。
フランシーヌはふふと微笑んだ。
さて、今度はどうやって殺してやろうかしら。
相手はどうせ卑しい身分の貧乏人。
どうやってもお父様がもみ消してくれるというのは既に証明済みだ。
であるなら。
次は、もっと苦しめてやろう。
奉公人風情が。
この私から婚約者を寝取るだなんて赦せない。
それが軽い浮気だろうが。
一時の気の迷いであろうが。
断じて赦さない。
――コンコン。
と、その時。
扉がノックされて、フランシーヌは反射的に身体をびくりとさせた。
壁掛け時計を見ると夜中の12時前。
フランシーヌは訝った。
こんな時間に人がやってくるなんてことはまずない。
彼女は恐る恐る扉に近づいた。
そして、小さな声で「どなた」と聞いた。
扉の向こうは短い時間、沈黙した。
だがすぐに、聞き覚えのある声が聞こえて来た。
「私よ、フランシーヌ。少し話があるから、開けてちょうだい」
姉の、シャーロットだ。
∇
この女。
一体、何をしにやって来たのか。
フランシーヌは警戒しながら、少し離れたところからシャーロットを見た。
シャーロットは入室してからずっと黙ったまま、鏡台の前の椅子に座っている。
昔から、姉はいつも何を考えているのかよく分からない人だった。
口数は少ないし、感情を表に出すこともしない。
両親の言いなりだし、反抗心もないように見える。
時々、癇癪を起こすことはあるけど、それだけ。
「……ねえ、フランシーヌ」
やがて。
シャーロットが口を開いた。
「なにかしら。シャーロット御姉様」
フランシーヌは少し斜に構えながら答えた。
「あなた、もういい加減、止めなさい」
「止める?」
フランシーヌは眉根を寄せた。
「止めるって、何をかしら」
「言わなくても分かるでしょう」
シャーロットはフランシーヌを見た。
見る、というよりは、ほとんど睨んでいた。
フランシーヌはごくりと喉を鳴らした。
「ねえ、フランシーヌ」
シャーロットは続けた。
「あなたは病気なのよ。アラン様を想うあまり、精神を病んでしまっているの。自分では分からないかもしれないけれど――あなたのやっていることはあまりに非道だわ」
フランシーヌは顎を上げた。
「……なんのことか分からないけど、御姉様には関係のないことでしょう?」
「関係ないことなんてないわ。私はあなたの姉ですもの」
シャーロットはフランシーヌの方に近づいた。
それから外には漏れぬ程度の声で、次のように言った。
「ねえ、フランシーヌ! うちのメイド達がアラン様を誘惑してる、なんて、あなたの妄想なのよ! いい加減に目を覚ましなさい!」
フランシーヌは三白眼になり、どろんとした瞳でシャーロットを睨み返した。
「……妄想なんかじゃないわ。私はハッキリ見たもの。アラン様とあの売女――ミスティが、夜中に大広間でまぐわっているのを」
「だからそれが妄想だと言っているのよ!」
シャーロットは叫ぶように言った。
「良い? よく考えなさい。アラン様はあなたの婚約者なのよ。もしも仮にミスティに唆されて夜伽をしたとしても、この屋敷内で、しかもあなたが家にいる時を狙ってすると思う? あまつさえ、あなたが夜空を見るために夜中によく通る大広間で、ですって? あり得ない! そんなことは、絶対にあり得ない! あなたも、本当は分かっているはずでしょ?」
フランシーヌは目を細めた。
話にならぬ、と思った。
「……落ち着いてよ、御姉様」
フランシーヌはうっすらと微笑んだ。
「少し、話し合いましょ。御姉様は――誤解をしているの」
「話し合いなんてもう不要よ」
シャーロットは決意を込めた目で、フランシーヌを見つめた。
「もう、何もかも遅いわ。だって、あなたはもう4人もの人間を殺してしまったんだもの。私も馬鹿だった。薄々気付いていながら、目を逸らしていた。フランシーヌ。あなたは私のことが嫌いだろうけれど、私はね、あなたのこと、愛しているのよ」
フランシーヌはふふん、とせせら笑った。
「だったら放っておいて。私の好きなようにやらせて」
「駄目よ。もうこれ以上、罪を重ねては駄目」
シャーロットは泣いていた。
「今、マリアナ姉様の知人で屋敷に来ているカワカミという御人。あの方は、きっとあなたを調べに来たのよ。もう何日も前から、ミスティの死について使用人に嗅ぎ回ってる」
「……なんですって?」
「もう、時間の問題よ」
「時間の問題?」
フランシーヌはくくと笑い、首を横に振った。
「どうせどこかの自警団風情でしょ。私たちは貴族なのよ。労働階級なんていずれ大した人間じゃないわ。またぞろ、お父様がどうにかしてくれるはず――」
「無理よ」
シャーロットが遮った。
「私が全てを話すわ。あの男に。そして、全てを白日の元に」
「な――」
フランシーヌは口を大きく開けた。
「な、何を仰るの御姉様――そんなことをしたら、スクワード家は終わりだわ。あなたも御父様も御母様も、みんなおしまい」
フランシーヌはここに至り、ようやくことの重大さに気付いた。
シャーロットのやろうとしていることの恐ろしさに気付いた。
彼女はガタガタと震え始めた。
「私はもう限界なの」
シャーロットは続けた。
「実の妹が罪の無い人たちを殺すことに、耐えられないのよ」
「罪のない? まだそんなことを言っているの!? あの女たちは、私の婚約者を誑かしたのよ! 使用人の分際で、主のフィアンセを――」
フランシーヌはそこで言葉を止めた。
瞳の焦点が定まっていなかった。
ざあざあと雨の音がする。
つと、シャーロットとの幼いころの思い出が頭を過った。
子供の頃、雷の音が怖くて眠れない日があった。
フランシーヌがシャーロットのベッドに潜り込むと、彼女は震えるフランシーヌを抱きしめて大丈夫よと言った。
あなたは私が守ってあげるからね。
何があっても怖いことなどないからね。
シャーロットとフランシーヌは本当に仲の良い姉妹だった。
いつも一緒にいて、いつも護られていた。
フランシーヌはシャーロットから愛されているという自覚があった。
降りしきる雨の音を聞いていると、どういうわけか、不意にそのことが思い出された。
だがそれは、彼女に殺意が芽生えるまでのほんの刹那の出来事に過ぎなかった。
彼女は覚束ない足取りで、よろよろと天蓋ベッドの方へと歩み寄った。
そして、ベッドの下に這いつくばるようにして蹲り――
そこから、大きな剣を取り出した。
「あの女ども。私のアラン様を、寝盗ったの」
フランシーヌは鞘から刀身を抜いた。




