21 嫉妬
「常軌を逸した嫉妬心、ですか」
俺は顎をさすりながら首を傾げた。
「しかし、はあ、フランシーヌさんはあのように美しくてお若い。お金もあるし、家柄もある。ヒエラルキーの頂点に近い御人だ。それなのに――こういう言い方はなんですけども――フランシーヌさんほどの人が、たかがいち使用人などに嫉妬などするのでしょうか」
エマは「そうですね」と言って俯いた。
「確かに、端から見ておりましたら理解出来ないことでしょう。フランシーヌ様は一般庶民からすれば全てを持っておられる高嶺の花。何不自由のない完璧な人です。しかし、あの方の心根には、深くて決して溶けることのない、根雪のような嫉妬が根付いているのです」
俺は目を細めた。
「フランシーヌ様には婚約者がおります」
と、エマは言った。
「モンタギュー家という名家の長男でアラン様と仰います。とても頭が良い秀才で芸術文学に覚えがあり、さらに剣の才能に恵まれた武道の達人でもあります。その他にも様々な才能をお持ちの俊才人ですが、その容姿は特に秀でておりまして。往来を歩けば誰もが振り返る、まさに傾国の美男子なんです」
「け、傾国の美男子って――そんなにイケメンなんですか」
俺はごくりと喉を鳴らした。
そんなにイケメンです、とエマは頷いた。
「アラン様は時々この屋敷に挨拶に来られるので、私も何度かお目にかかったことは御座いますが、それはそれはお美しい顔立ちをなさっておられます。無学な私ではあの方を表す的確な言葉を持ちませんが、それでもあえて言うなれば――まるでお伽噺に出てくる白亜彫刻のような御方です」
はえー、と間抜けな声を出した。
「そんな非現実的な人間が、本当にいるんですね」
「ええ。私も、そう思います」
「何か欠点は無いんですか」
「無いと思います。心根もお優しいですし、悪い噂もとんと聞きません」
要するに、眉目秀麗、文武両道、清廉潔白の完璧超人だと。
ふーむ。
世の中は広い。
そんな人間が存在するんだから。
「しかし――しかし!」
エマは語気を強めた。
「それが……それこそが、悲劇の原因となっているのです」
その顔が暗い。
悲しげで、今にも泣きそうな表情。
「そのような御方が婚約者ですから、フランシーヌ様は疑心暗鬼になっておられるのです。いえ、正確に言うなら――誇大妄想ということになるでしょうか」
「誇大妄想?」
俺は眉根を寄せた。
なんだか話がキナ臭くなってきた。
「そうです」
エマは頷いた。
「フランシーヌ様は、アラン様を他者に奪われたくない一心で、その恋心を偏執的な妄執へと育て上げてしまった。何しろアラン様はおモテになられるので、婚約者を誰かに盗られるのではないかと、日々怯えておられる」
そういうことか。
俺は思わず顔をしかめた。
何とも罪深い男だ。
「しかし、少しばかり腑に落ちませんね。いくらアランさんがモテると言っても、さすがに奉公人や使用人が貴族の長男に恋い焦がれるなんて非現実的だ。ましてや、アランさんの方が庶民に惚れるなんてことも考えにくい。それなのに、何故そこまでフランシーヌさんは妬ましく思うのでしょうか」
エマははあと深いため息を吐いた。
そして「ですから誇大妄想なのです」と言った。
「ハッキリ言いまして、私たち使用人が屋敷に訪れたアラン様にモーションをかける、なんてことはあり得ません。また、万が一そのようなことがあったとしても、アラン様がそれに応じるなんて、さらにあり得ない。しかし、どういうわけか、フランシーヌ様にはその道理が分からないのです。若い下女がアラン様に色目を使っている。あの御方を誘い惑わそうとしている。そのように因縁を付け、虐めるのです」
エマは両手で顔を覆った。
「ソフィアも、アヴァも、オリヴィアも、そしてミスティも。みんな、フランシーヌ様にあらぬ容疑をかけられて追い詰められていました。今日の夕食の時に怒鳴られていたあのメイド――ライラも、フランシーヌ様の標的になっている」
エマは恐怖に震えていた。
いや、もしかすると哭いていたのかもしれない。
「カワカミ様」
エマは赤い目で俺を見た。
「どうかお願いします。フランシーヌ様の凶行を止めてくださいまし。旦那様や奥様は使用人の命などなんとも思っておりません。面倒なことが起こらぬように処理を施すのみで御座います。ですので――私たちは最早、外部の人間に頼るしかないのです」
なるほど。
エマはライラというあの若いメイドの身を案じているのか。
分かりました、と俺は頷いた。
「ただ、もう少しだけ裏付けをさせてもらいます。私も仕事が仕事なんでね。万が一にも下手を打つわけにはいかない。あなたを信用しないわけではないが、ちょっとだけ時間を頂きます」
「何卒、よろしくお願いいたします」
エマは深くお辞儀をした。
つと見ると、またぞろ柱の陰からマチルダが顔を覗かせていた。
声には出さず、「だいじょうぶか」と口を動かした。
俺はちょっと笑ってから、大丈夫ですよ、と口を動かした。
「最後に一つ、よろしいですか」
俺は指を一本立てた。
なんでしょうか、とエマ。
「あなたは先ほど、"旦那様と奥様は使用人を省みない"と仰った。わざわざ名指しをした。そこには、何かしらの意味がありますでしょうか」
エマは刹那、はっとしたように息を呑んだ。
それからゆっくりと息を吐きながら、感嘆するように「鋭い御方ですね」と言った。
「仰る通りで御座います。実は、今回の私の行動には賛同者がおります」
やはりそうか、と思った。
義憤にしても、エマの行動は大胆すぎる。
「よろしければ、それが誰であるか、教えていただけますか」
意外にも、エマは間髪を入れずええと頷いた。
それから「名前を出しても良いと言われております故」と前置きをしてから、彼女は言った。
「私と共にフランシーヌ様を止めようとしている御方。それは――次女のシャーロット様です」
 




