16 マリアナとマチルダ
「ギャー! なんだここ!?」
マチルダは部屋のぐるりを見回すと、目を丸くして跳び跳ねた。
「スゲー! なんだよここは! なんなんだよ! なーカワカミ! これは夢なんか!? 夢なんこれ!? あたしはいま夢の国にいんのか!?」
「静かにしなさい。人んちだぞ」
俺はマチルダを捕まえて、その場に座り込ませた。
「でも! でもカワカミ! ここスゲー! スゲーいっぱい人形がある! カワイイのからカッケーのから、いっぱいいっぱいあるんだけど!」
「そうね。スゴいね」
「うん! スゲー! チョースゲーよ!」
マチルダは興奮のあまり鼻から大量の息を吐き出した。
そしていてもたってもいられぬと言った感じで部屋をキョロキョロと見回した。
そしてつと。
マリアナに目を止めた。
「彼女が話していたマリアナ様。この部屋の主さんだよ」
「マジか!」
紹介すると、マチルダの目がキュピーンと光った。
「おい! オメー! でかしたぞ! 褒めてやる! こんな夢の国を作り上げたことを褒めてつかわす! なあ! なあなあ! どれかあたしのと交換しようぜ!」
マチルダはマリアナの方に近づき、そしてその腰のあたりにひしと抱きついた。
うーむ、珍しいリアクション。
どうやら相当に嬉しいようだ。
ここまで興奮するとは予想外。
「えー、すいませんね、マリアナさん。この子、ちょっと礼儀作法が足りませんで」
俺はマチルダをひっぺがし、マリアナを見た。
そして、ぎょっとした。
マリアナは。
鼻血を流していた。
「あ、あの、マリアナ……さん? どうかしましたか……?」
マリアナはプルプルと小刻みに震え出した。
それから堪えられぬというように――
マチルダを抱き締め返した。
「か、カワカミさん! なんですかこのキュートな生き物は! これがこの世の生き物なんですか!? あぁ! なんて可愛いの! マチルダちゃん!」
∇
ふーむ。
なんというか。
これは予想外の展開だ。
俺はマリアナが淹れてくれたやけに上品な紅茶を啜りながら思案していた。
まさかこのような事態になるとは。
どうにかスクワード家に潜入しようと企んでいた俺からすると、まさに願ったり叶ったりの有難い誤算である。
現在。
マリアナとマチルダは楽しそうにキャッキャウフフと戯れている。
なんともデコボコな二人だが。
どうやら気は合うようである。
ちなみに。
マチルダは今、淡いピンク色の大きな襞のついた死ぬほどファンシーなドレスをマリアナに着せられている。
口には何故かおしゃぶりを咥えさせられ、マリアナの膝の上にお人形さんのようにちょこんと座っていた。
マチルダのことだから文句を言いまくると思ったら意外と気に入っているみたいで。
「バブー」とか言ってる。
どうやら、よほどこの人形だらけの部屋が気に入ってるようである。
「ねぇ、カワカミさん」
やがて、マリアナが俺に向かって言った。
「この子、私にくださいませんか?」
「……は?」
言っている意味が分からず、俺は思わず顎を付き出した。
「ど、どういう意味でしょうか」
「私が一生面倒を見るという意味ですわ。大丈夫。絶対に幸せにしてみせますから」
マリアナは大真面目に言っていた。
つか、目がマジだ。
「駄目です」
だから俺も、マジでレスした。
「マチルダさんは俺のもんですから」
「そうだぞ、マリアナー」
マチルダもマリアナを見上げながら言った。
「あたしはカワカミのもんなんだ。悪ぃけどな。あたしの身も心も、ぜーんぶ、カワカミのもんなんだ」
な? カワカミー? と、マチルダはへへと笑った。
そうですねと俺は頷いた。
「あら」
マリアナはふふと微笑んだ。
「そんなにハッキリ言われちゃ、妬けちゃうわね。まるで恋人同士」
まさか、と俺は肩をすくめた。
「そんなに綺麗な関係ではございません。私どもは少々なんと言いますか――複雑でして」
「複雑、ね」
彼女は少し考える素振りを見せ、それから目を細めて、
「……そう。なら、なおのこと妬ましい」
マリアナはぎゅっとマチルダを抱き締めた。
はなせー、とマチルダは暴れた。
「離しませんわ。こんなに可愛い生き物、だれが離すもんですか」
マリアナは笑いながら言い、俺の方を見た。
「ねぇ、カワカミさん」
「なんですか」
「あなた方、来週いっぱいはこの街にいると仰ってましたわよね」
「ええ、その予定です」
「それまではどこにお泊まりに?」
「決まっておりません。安い旅籠か、知り合いの家を転々としようかと」
「でしたら、せめてそれまではウチの客間に泊まっては如何かしら」
「それはありがたいですが……よろしいんですか?」
「ええ、もちろん。私も、一秒でも長くマチルダちゃんと一緒にいたいですから」
ありがとうございます、と俺は頭を下げた。
こいつはありがたい。
俺は心の内で手を打った。
これで調査の時間はたっぷりと作れそうである。




