14 疑惑
「パルテノさん、ちょっと良いですか」
少年から事情を聞く前に。
俺はちょっと待っててねと言い置いて立ち上がり、奥でマチルダと何やらてんやわんやしているパルテノのほうに声をかけた。
「は! なんでありましょうか」
店のほうに出てきたパルテノは鼻血を出していた。
これは性的な興奮から来るものではなくマチルダに殴られたからだと信じたい。
「すいません、今お客さんが来たので、ちょっと飲み物とお茶菓子を用意してくれますか」
「お茶菓子」
「はい。炊事場の食器棚の一番下の引き出しにありますんで」
俺が頼むと、一瞬だけ思案したのち、何事か了解したような顔つきになって、
「は! それが、わたくしめの初仕事でございますね!」
パルテノはそのように宣い、嬉しそうに敬礼をした。
声が弾み、目は輝いている。
「い、いやあの、別に雇ったわけじゃないですから。ただ、今はちょっと手が足りないから頼んだだけで」
「ありがとうございます! このパルテノ、身を粉にして働きます」
「い、いや、だから」
よっしゃ! とガッツポーズをして、彼は踵を返した。
しょうがないな、と俺ははあと息を吐いた。
まあいいや。
あとでしっかりと追い出そう。
「あ、ちょっと」
俺はルンルンと奥へと向かうパルテノを引き留めた。
「はい? なんでしょうか」
「えーと、お茶菓子はあるだけたんまりお願いしますね。甘いやつを、たんまり」
「は、はあ、分かりました」
少し怪訝そうにしながら、パルテノは奥へと戻った。
∇
「さて、お待たせしましたね」
やりとりを終えると、俺は商品の受け渡し台を挟んで、少年の向かい側に座った。
少年は俯いていた。
ぎょろりと落ち窪んだ大きな瞳が蒼白い。
「まず、名前を聞こうか」
俺が問うと、少年は小さく「ラース」と答えた。
「ふむ、ではラース君。早速だけど、教えてくれるかな。君は一体、だれを殺したいんだい」
人を殺す。
その言葉を聞いた少年――ラースは一瞬、その痩せこけたみすぼらしい身体をぶるりと震わせ、それから目を伏せた。
そして、短い時間、黙っていた。
俺は腕を組んで、彼が口を開くのを待った。
するとやがて、ラースは身をぐぐと固くし、その大きな瞳に涙を浮かべた。
「……姉ちゃんを、殺したやつ」
ぽつりと、ラースはそう言った。
「なるほど。身内の仇討ちか」
俺は頷いた。
「で、彼女はいつ、誰に殺られたんでしょうか」
「それは……分かりません」
今度はすぐに、答えた。
「分からない?」
「……はい。姉さんは先日、首を括って死んだと聞かされたんです。だから自警団から自殺と判断され、裁判も行われなかった」
「自殺、ではないんですか」
「姉さんが自殺なんてするはずがない。僕や、母さんを遺して、姉さんが死ぬわけがない」
死ぬわけがないんだ!
ラースは小さく吠えて、膝の上の拳を強く握りしめた。
「ふむ。で、君のお姉さんは、どこの家で奉公していたんだい」
「スクワード家」
ラースは言い、目をどろんと淀ませた。
「ほう、あのスクワード家ですか」
俺は少し顎を上げた。
スクワード家。
この街に住むもので、その名を知らぬ者はいない。
貴族の中でも特に金持ちとして有名で、街のあらゆる商売を裏に表に取り仕切り、領主城の近くにドでかい家を構えている大富豪だ。
王族との繋がりも深いと聞く。
はい、とラースは頷いた。
「姉のミスティは数年前から下働きの下女としてスクワード家へ奉公に入りました。奉公人ですから給金は安かったですが、姉はその中から工面して僕たちに仕送りをしてくれていた。そして、時々手紙もくれた。休みなんて無かったから、僕たちには全然会えなかったけど、その手紙のおかげで繋がりを感じていた。自分も大変だろうに、姉はいつも僕たちの心配をしていた。それがある日、いきなり手紙が来なくなって。僕と母さんはそれから毎日、スクワードに事情を聞きに行った。でも、彼女は病気で亡くなったの一点張りで、とりつく島もなかった。僕らは葬式すら参加させてもらえなかった」
ラースは怒りを滲ませた。
当然だろうと俺は短く頷いた。
「僕はそれから、スクワード家について調べた。遺体にすら会わせてもらえなかったことに不信感があったんです。姉が自殺だなんて、とても信用出来なかった。なけなしのお金も全て使った。姉さんからもらったお金だから、姉さんのことに使いたかった。無我夢中で調べを進めて行く内に、段々とあの家に怪しい噂があることに気付いたんだ」
「怪しい噂?」
俺が問うと、ラースは無言で頷いた。
「どうやら、スクワード家では姉さんと似たようなケースがたくさん続いているようだった。つまり、そこで働いている奉公の女給さんたちが、次々に亡くなっていた」
話がきな臭くなってきた。
ラースはさらに表情を固くしながら続けた。
「理由はよく分かりませんでした。何しろ中には入れなかった。僕みたいな貧乏な子供では、どう頑張っても外から漏れ聞く話しか聞けなくて……けど、どうやらスクワード家には三人姉妹がいて、その内の一人がとても気性が荒く、奉公人や使用人に対して特に辛く当たっていたようだと聞きました。噂では、その女が気に食わない下女を苛めていたのではないかと」
ラースは語尾を強くした。
つまり。
ラースはその三姉妹の内の誰かが姉を殺した仇だと考えているわけだ。
俺は顎に手を当て、ふむ、と唸った。
スクワード家の三姉妹。
彼女たちを知るには、内部に入り込まないと詳細は知れぬだろう。
内々のことなら、スクワードの力で大抵のことはもみ消してしまうに違いない。
「お待たせしました」
と、その時。
パルテノが茶と菓子を乗せたトレーを持って現れた。
「ああ、ありがとう」
俺は目顔でそれをラースの前に置くように指示した。
パルテノはまずはラースにお茶を置き、それから俺のほうにも置いた。
「うわ」
ラースは小さく感嘆の声を上げた。
彼の目はお茶ではなく、大量に盛られたお菓子の方に向けられていた。
「どうぞ」
と、俺は言った。
「い、良いんですか」
「どうぞ。とにかく、キミはエネルギーを摂らないとね。今にも倒れそうだ」
ラースはごくりと唾を飲み込んだ。
それから、タガが外れたように目の前の菓子に貪りついた。
よほど空腹だったのだろう、食べながら彼は泣いていた。
泣きながら「ありがとうございます」と繰り返していた。
「スクワード家、ですか。これはまた大きな敵だ。あの家は色々とややこしい」
胸に盆を抱えたまま、横に控えていたパルテノが言った。
「聞いてたんですか」
「申し訳ありません。聞こえてしまいました」
「いや、別にいいよ。それよりその口振り、何か知ってるんですか。スクワード家のこと」
俺はラースからパルテノのほうに目を上げた。
「ええ。あそこの主とは少し」
「へぇ。あの大金持ちと知り合いなんですか」
「知り合いというほどではありません。昔何度か、護衛の仕事をしただけで。ただ、あの界隈の方は私の腕を買ってくれているようで、今でも年に一度、パーティーに招待はされますが」
「それは、はあ、大したコネじゃないですか。しかしそれなら、わざわざこんなところで働かなくても、スクワード家当主に仕事を斡旋してもらえばいいのに」
「言ったでしょう。私は"ここ"が良いんです」
パルテノはそこで言葉を止め、ちらと俺を見た。
「私はね、カワカミ殿」
パルテノは口髭をさすりながら言った。
「この間のドミトル公の件で懲りたのです。品性というものは、どうやら金で腐るらしい。私もいつの間にか染まっていた。故に少し、お金というものから距離を置いたほうが良さそうだと、そのように考えましてね。スクワード家のような功利主義者の元で働くのはもう辞めようと」
「買いかぶりですよ」
俺は肩を竦めた。
「俺もドミトル公も大差はない。立場が違うだけで、どちらも悪。お金に拘るという意味では同じ穴の狢ですから」
どうですかな、とパルテノは苦笑した。
それから彼はお菓子にがっつくラース少年に目を移し、
「私には、決定的に違うように見えますがね」
「ま、いずれ浮世の戯れです。そんなことよりも」
俺は小首を傾げた。
「ちょっと気になったんですけどね、スクワード家が功利主義ってのはどういうことですか? 彼らは貴族じゃないんですか。確か、当主であるシード=スクワードは子爵と呼ばれてますよね」
「金で買ったんですよ」
パルテノは顎を擦りながら言った。
「あそこの家は元々、金具を造る工場をやっていた商売人だ。その後に運送業を成功させて貴族連中に金をばら撒き、強引に今の地位を認めさせた」
へぇ、と俺は少し顎を上げた。
それは初耳だ。
スクワード家の当主は、たった一代で地位を築いた叩き上げだったのか。
ふむ。
どうやら温室育ちの貴族ではなく、中々のやり手のようだ。
「しかし、スクワード家といえば、確かあそこの長女は無類の人形好きでしたな」
パルテノは少々、空々しく言った。
「人形好き?」
「ええ。コレクターというやつですか。とにかく無類のお人形マニアで。お金にあかして、世界中から名品珍品を取り寄せておりますよ。たしか、特にマイセンの陶器人形を好んでいるとか」
へー、と俺は額をほりほりと掻いた。
なるほど。
それは使えそうだな。
「それじゃあ、"お仕事"のほう、頑張ってください」
パルテノは踵を返した。
うーん。
このおじさん、ちょっと雇っても良いかも。
そのような考えが、頭をよぎった。




