13 少年
「上官、この人形はどこに置けばいいのでありましょうか」
やたらと恰幅の良い壮年の男が、俺に向けて敬礼をする。
肩にマントを身に付け、胸元には立派な勲章をいくつもジャラジャラとぶら下げている。
銀縁眼鏡に、首には銀のチョーカー。
「いや、適当で良いッスよ。その辺に置いといてください」
俺は帳簿に目を落としたまま、適当に言った。
「つーか、なんでナチュラルに働いてるんですか。帰ってくださいよ。俺、あなたを雇用してないんスけど。というより、ハッキリ不採用って言ったつもりなんスけど」
「そんなこと言わず、お願いします、上官」
壮年の男はキビキビとした動きでもう一度敬礼をし、カッと軍靴の踵を鳴らした。
「そのサーっての、止めてくださいよ。俺はあんたの上司でも上官でもないんですから」
先ほど。
いきなりこの男――パルテノが店に押し掛けてきた。
そして、面接をして欲しいと頭を下げた。
どんな下働きでもいいから、この「人形屋」で雇って欲しいというのだ。
こないだマチルダさんにコテンパンに伸されたというのに。
物好きな男だ。
参ったな、と俺は腕を組んだ。
はっきり言って、人手はいらない。
それにこの軍隊のノリ。
生来の文科系である俺には合わない。
苦手だ。
つーか俺、そもそも年上の人が苦手だし。
俺はガリガリと頭を掻いた。
正直、迷惑だった。
というわけで。
実は先ほど間髪を入れずに即、断ったのだが。
パルテノは聞く耳を持たず、勝手に自己PRを始めた。
軍隊時代に王から授かった胸に付いた勲章を一つ一つ説明し、それが終わると自分が傭兵としてどれだけ紛争地帯で武功を挙げたのかを列挙した。
おじさんは話が長いというのは本当のようだ。
そして。
きっちりと不採用を伝えたのに。
こうして勝手に働き始めた、というわけである。
「あの、パルテノさん」
俺ははあとため息を吐いた。
「あなた、ある程度の魔力は戻ったんですよね? それなら、また元の私設傭兵に戻れば良いじゃないですか。あなたほどの人なら、それでもなお引く手は数多あるはずだ」
「ここが良いんです」
「どうしてですか。こんなうらびれた玩具屋に、どうして拘るんです」
「ここじゃなきゃ駄目なのであります」
パルテノは大きく顎を引いた。
「この不肖パルテノ。齢五十にして、初めて恋に落ちたのです」
「こ、恋に?」
「ええ。あの夜以来、彼女が忘れられないのです。あの悪魔のような強さ。そして、死を司る神に相応しき美しさ。彼女の肢体が目の裏に焼き付いて離れない。嗚呼、マチルダ様、マチルダ様、このパルテノはあなた様に――」
殺されたい。
パルテノはそう言うと、うっとりしたような恍惚の表情を浮かべた。
「こ、殺されたい?」
俺は思わず顔をしかめた。
何言ってるんだ、この人。
そうなのです、とパルテノは一人ごちるように言った。
「あの時言ったように、私はもう一度、彼女と闘いたいのです。そして、殺されたい。あの神々しいまでの強さに蹂躙されたい。本気の彼女との戦闘の果てに……この世から消滅したいのです」
はい。
完璧にイカれてました。
俺は頭を抱えた。
変なやつだとは感じていたが。
ここまで偏執的な狂人とは。
そもそも、それでなくともおじさんの恋バナほど興味の出ないものはないのだ。
多分、この世で最も不要なものの一つ。
ここはやはり、早々にお帰りいただこう。
「キッモ!」
いつの間にか、背後に幼女が立っていた。
「くそキッモ! ゲロキッモ! 鬼キッモ!」
心の底から嫌そうに鼻に皺を寄せている。
ですよね、と俺は思った。
「あ! マチルダ様だ!」
パルテノはマチルダを見止めると、目を爛々と輝かせた。
それから、手を広げて彼女に走りよった。
「近寄るな、このロリコン敗残兵め!」
マチルダはふわりと飛び上がり、パルテノの顔面にドロップキックをした。
「懐くな! 馴染むな! 阿るな! 近寄るんじゃ……」
ねぇええぇ!
マチルダは思い切り叫んだ。
パルテノはそのまま後ろにぶっ飛んだ。
せっかく綺麗に設えていた商品棚が台無しだ。
あーあ、と俺は頭を抱えた。
また掃除のやり直しである。
「……あぁ、この痛みさえ、今の私には快感だ。女神様からの愛が痛い。痛気持ち良い」
ゆらり、とパルテノは立ち上がった。
そしてニタリと不気味な笑みを浮かべて、マチルダの方へまるでゾンビのように両手を突き出しながらヨタヨタと近づいた。
「マチルダ様ぁ、そんな邪険にしないでくださいませ」
「ギャー! こっちに来んなっつってんだろ!」
バーカバーカ! と言いながら、マチルダは店の奥へと逃げて行く。
「待ってください。主よ」
パルテノはブツブツと呟きながら、それを追って行った。
俺は額に手を当てた。
はあ。
ダルい。
マジでダルい。
俺は本日何度めかのでかいため息を吐いて、箒を手にした。
と、その時。
がちゃりと、店の入り口が開いた。
「……ごめんください」
姿を現したのは少年だった。
マチルダよりはいくつか年嵩で、10歳を少し越えたくらいだろうか。
とても痩せぎすで、粗末な格好をした男の子。
一目で栄養が足りていないことが分かった。
手も顔も服も。
なにもかも汚れている。
「いらっしゃい」
俺は膝を曲げその子の高さに目線を合わせてから、にこりと笑った。
「さて、なにかご用かな」
言葉だけの問いだった。
聞くまでもなかった。
この子に必要なのは人形や玩具ではない。
食べ物だ。
"遊び"とは、まずは衣食住が足りているものが求めるものである。
そのような人間がここに来た。
ならば、その理由は明白だ。
彼は、おもちゃ以外のものに用がある。
男の子は少し怯えたように目線をあちこちに散らした。
それから両手を胸に当てて、消え入りそうな声音で言った。
「……あの、ここに来て、『空を飛べるオモチャを探してる』って言えば、悪い人を退治してくれるって聞きました」
追い詰められた野良猫のような、悲壮な顔つきであった。
そう、と俺は微笑んだ。
「そいつを言ってしまうと合言葉の意味が無くなっちゃうんだけどね。了解したよ。それじゃあ、話を聞こうか。おっと、だけどその前に一つ、聞かないといけないことがある」
俺は人差し指を立てた。
「キミ、お金はどれくらい持ってるかな」
少年は首をブンブンと振った。
それからまるで予め用意していたかのようにすっくと立ち上がると、瞬時に地べたへと這いつくばり、頭を地面に擦り付けた。
「すいません! お金は無いんです! でも――でも! どうしても、どうしても、許せない! あの家の人間が――」
少年は顔を上げた。
鬼のような形相をしていた。
幼さの残る子供とは思えぬ怒りを感じた。
目は血走り、顔は紅潮し、そして、両目には涙を浮かべていた。
「許せないのです」
歯を食い縛り過ぎているのか。
口の端からは泡に混じった血が流れていた。
困ったなあ、と俺は言った。
「申し訳ないんだが、いくら頼まれても無料というわけには行かないんだ。うちも商売でやっていてね。対価を払えない人間に殺しは提供出来ない。金品じゃなくとも、なにか支払えるものはないのかい」
俺が問うと、少年は気まずそうに目を伏せながら立ち上がった。
そして、ズボンのポケットからカビのついたパンを取り出し、それを俺の方に差し出した。
「……これしか、持ってないんです」
俺はふむと唸り、それを受け取った。
すっかり硬くなった乾パンだ。
俺はもう一度、少年を見た。
「パン、か。これは君の夕食かい」
「今日と、明日の飯です」
「これ以上のものは用意出来ない、と」
「……はい」
少年は少し悲しげに顎を引いた。
そりゃそうだろうなと思った。
これ以上なにか用意できるのなら、このパンはとっくに彼が食べてないとおかしい。
それほどに。
彼は痩せている。
「分かった」
俺は頷いた。
「ギャラとしては十分だ。こいつで仕事を請け負うよ」
「……え?」
よほど予想外であったのか。
少年は目を丸くし、口をOの字に大きく開けた。
俺は台に肘を突き、肩をすくめた。
「うちには珍しい決まりがあってね。依頼人の限度を払ってもらえれば、ギャラの多寡を不問に伏す場合がある。ただし、その条件が一つ。目標が、悪人であることだ。故に事情だけは確りと聞かせてもらうよ。そしてその際はくれぐれも――」
嘘は吐かぬように。
俺はそう言って、じ、と少年を見つめた。
少年はごくりと息を飲み込み、分かりましたと大きく頷いた。




