悪役令嬢、忍者を拾う
わたしはナタリア・アルフェッカ。アルフェッカ公爵家の長女にして、第二王子ヒューバートの婚約者だ。
誰にも明かしていないが――わたしには大きな秘密がある。
前世――かつて日本人として生きた記憶があると言うことだ。
前世のわたしはいわゆる『オタク』という人種だった。当時ハマっていたのがコンシューマー向けのゲーム『星空の姫巫女』。いわゆる乙女ゲーという奴なのだが、このゲームのRPGパートが非常によくできていて、ずいぶんとやり込んだ記憶がある。
で、わたしのゲーム内の立ち位置なのだが……。
いわゆる『悪役令嬢』だ。様々な場面で主人公に難癖をつけてくる厄介者。お邪魔キャラ。
まあいざナタリアの立場になっていれば、それは自分にも他人にも厳しいからだと分かるのだが。
主人公の立ち回り次第で和解するルートもあるのだが、第二王子ヒューバートを攻略するとなると、どうしても対立せざるを得ない。
まあわたし――このヒューバートが一番嫌いだからぜひ主人公キャロルとくっついて婚約破棄していただきたいのだけど。
他のキャラは婚約者とかいないんだけど、ヒューバートだけはわたしという婚約者がいるんだよね。それで身分の低い娘に手を出すとか普通に二股じゃない?
女ったらしで性格もチャラいし。
他の攻略対象はそれなりに好きだったけど、このヒューバートだけはどうしても好きになれなかった。なのにその婚約者に転生するなんて、控えめに言って、最悪だ。
これでヒューバートとキャロルがくっついてくれればいいんだけど、ヒューバートはキャロルに熱を上げているようだが、キャロルの方はまるで相手にしていないらしい。
いや、考えてみれば当たり前の対応だよね。
いくらイケメン王子とは言っても婚約者のいる相手のアプローチを受けることはできないだろう。常識的に考えて。
むしろ騎士団長の息子クリフォードや平民の少年ノエル(実は国王が侍女との間に作った庶子なんだけど)とつるんで、冒険や訓練に熱中している。
まあそれならそれでクリフォードかノエルとくっつくのだろうから別にシナリオを違えているわけではないのだけど――。
とにかく、わたしとしてはヒューバートと結婚するなんて御免だ。愛妾や側室を作るのは王家の者ならおかしなことではないと思うけど、なんというか無理。生理的に、ムリ。
とはいえ相手は王族だ。こちらから婚約破棄を申し出ることなどできない。
『彼』に出会ったのは、わたしがそんな風に悩んでいる時のことだった。
***
学園からの帰路。憂うつな気分を抱えながら、わたしは馬車に揺られていた。
貴族街には魔術による灯りが灯されているが、やはり街灯の光だけでは薄暗い。
あのバカ王子なんとかならないかなとか考えていると、急に馬車が止まった。
「何事?」
わたしは身を乗り出して御者に尋ねる。
「いえ、道のど真ん中でガキが倒れてるんでさあ。今すぐどかしやすんでお嬢様は少しお待ちくだせえ」
ちょっと悪人面の御者はそう言うが、
「いえ。臣民を助くのも貴人たる者の義務でしょう。間者の類であれば切って捨てるまでですが、そうでなければ我が家で保護しましょう」
「ははあ、お優しいこって」
従者の皮肉とも賛辞とも取れない言葉を聞き流すと、わたしは従者を伴って馬車を降りる。この世界のわたし――ナタリアは『ラスボス』と呼ばれるくらい強い。王族の伴侶として釣り合うよう、厳しい教育と訓練を課されてきたからだ。
実際ヒューバートを攻略する場合、主人公キャロルはナタリアから決闘を挑まれるのだが、これがまためちゃくちゃ強いのだ。主人公の育成方針によっては詰んでしまうくらいに。
だからよっぽどの相手でなければナタリア――わたしが不覚を取るというようなことはない。
「もし? そこのあなた聞こえるかしら。意識はあって?」
「うう……」
近寄ってみるとローティーンの少年だった。黒髪に褐色の瞳。ここらでは珍しい。
「お腹が空いて動けないでござる……」
どうやらただの行き倒れらしい。――にしては服装が。
どう見ても忍者である。
NINJA。
……この世界に存在したっけ、NINJA。
まあ砂漠の国があるくらいだから和風の国もあるのかも知れない。しかしこの国にまったく情報が入ってきていない以上、相当遠い国だと思われるが――。
もしそんな国が実際にあって、交易などのパイプを持てるとしたら――公爵家としてはおいしい話である。
「――いいでしょう。わたくしの屋敷においでなさい。その服装から見て異国の方ね? 色々と伺いたいこともあります」
「お嬢様!? そんなどこの馬の骨ともわからないような輩を――」
従者が反駁するが、
「お黙りなさい」
わたしは閉じた扇で手の平を叩くとぴしゃりとその言葉を跳ね付ける。
「公爵家に利益があると判断してのこと。反論は許さなくてよ」
こうしてわたしは屋敷でNINJAを飼うことになったのである。
***
食事を与えるとNINJAはハヤテマルと名乗り、すぐにわたしに懐いた。
NINJAって諜報とかが仕事だよね? それでいいの?
「実は拙者、いわゆる『抜け忍』というものでござって――」
とハヤテマルは身の上を教えてくれた。
ハヤテマルは遥か東方の島国――JAPANだよねこれ――にある忍びの里で生まれ育ったらしい。忍びとしての才能は天才的で、齢十三にして数々の任務をこなしているという。
で、なぜ忍びの里から逃げ出したのかを問うと――。
「退屈だったでござる。東方のちんまりした島国は拙者には狭すぎたでござる!」
と来たもんだ。
それで交易船に忍び込んで密航、傭兵まがいの仕事をこなしながらこの国まで辿り着いたのだという。
いや、大した根性である。無駄な根性だが。
「それで? ハヤテマルはこれからどうするの?」
ハヤテマルが今後どうするか問うてみる。できればしばらく滞在してもらって、東方の国に関する知識を得たい。
もし東方との交易が実現すれば――。
白米! しょうゆ! 味噌! 梅干し! たくあん!
懐かしき日本のあの味にもう一度舌鼓を打てるかも知れない――!
「ナタリア殿にせめて一宿一飯の恩義を返したいでござる。あそこで拾っていただいけなければ、拙者行き倒れで死んでいたところでござるからして」
「ふむ――」
一宿一飯の恩義を返すか。と言ってもやってほしいことが――。
いや、ある。目下わたしをずっと悩ませている事案があるじゃないか。
「それならちょっと頼みたいことがあるんだけど――」
わたしの目的は――相手有責の婚約破棄だ。
***
「なるほど、ナタリア様は相手有責で婚約を白紙に戻したいと」
「そう。相手は王族だからね。いくら浮気性と言ってもこちらから破棄するのは難しいのよ」
わたしはハヤテマルと自室で密談をしていた。
「ふむ。さすが貴族のお嬢様でござるなあ。化粧道具は一通りそろっている様子でござる。その――ヒューバートでござったか? 王子殿が入れあげている女子の姿がわかれば――」
目の前の少年をよく見る。まだ十三歳。声変わりしたばかりの少し甲高い声。骨格も華奢で背も低い。顔だちは一つ一つのパーツが小作りにまとまっていて中々かわいらしい。
なるほど、これは――化ける。
「学園の警備は厳重だけど、平民の生徒に対しては少し雑なところがあるわ」
「ふむ。ふむ。ではこういう策はどうでござろうか?」
そうしてハヤテマルが提案した作戦は――。
***
さて。その後のハヤテマルの行動であるが。
彼? いや彼女なのか?
完璧にヒューバートがご執心のキャロルに化けて見せた。
背丈が近かったのもあるだろうが、変装の技能は魔法でも使ったのか? というぐらいすさまじい技術である。
仕種や表情、声色までも完璧に真似て見せたのも恐ろしい。
そうして何食わぬ顔で学園に潜んだハヤテマル。
普段は気配を完全に消し、絶好のタイミングでヒューバートの前に現れる。
これを繰り返していた。
キャロルに成り代わったハヤテマルこれ見よがしに見せつける。
学習用具を隠されて困っている姿とか。
水を浴びせかけられた姿とか。
服を切り裂かれた姿とか。
これを繰り返せば繰り返すほどヒューバートのキャロルに対する庇護欲は強まって行く――。
いや、さすがNINJAである。
一方のわたしはいつも通りの学園生活を過ごす。
我が愛しの婚約者殿が平民の娘に入れあげている――そんな噂を聞いたが、どうでもいいことだ。
***
そしてその日はやって来た。
最上級生たちの卒業パーティの日。
シャンデリアに照らされた華美な大広間には、食べきれないほどの豪華な食事。卒業生、在校生が入り混じり、最後の親交を深めている。
ヒューバートはわたしのことなど一顧だにせずキャロルの腰を抱いて耳元で甘い言葉を囁いている様子だ。いや、なんであんな近くて気付かないかな。骨格とかで気付くもんじゃないだろうか。
ま、翻せば最後の一線は越えていないということではあるだろうけど。
ちなみに本物のキャロルもこのパーティに出席している。平民である彼女は王子様とは距離を置いていて、イツメン――クリフォードやノエルと料理にがっついていた。
うん、まあ……それでいいのかヒロインよ。
ともあれこの場には二人のキャロルがいることになるのだが、当の本人たちは気付いていない。何人か目を擦っている人はいたけど。
まあそんな平和な光景を打ち破ったのが――。
我が婚約者、第二王子ヒューバートである。
ヒューバートはわたしの前につかつかと歩いて来た。
その後ろにはキャロルが付いてきているものと思っているのだろう。
バカだなぁ。
「ナタリア・アルフェッカ公爵令嬢!」
ヒューバートは胸を張ってわたしを睨みつける。
「今宵を以って貴様との婚約を破棄する!」
キタァ――――ッ!
わたしは内なる興奮を抑え、冷静に返す。
「理由をお尋ねしても?」
「白々しいことを! 貴様は本来守るべき臣民のキャロル・アディル嬢に数々の陰湿な嫌がらせをしてきただろう! 前々から気に食わなかったのだ! 公爵令嬢という地位に盾にした他の生徒への高慢な態度! 貴様は王家に加わるにふさわしくない女だ!」
「わたくし個人への批判はこの際聞かなかったことにいたしましょう――わたくしがやったという証拠はございますの?」
「キャロルがお前の仕業だと言っている!」
話になんね~。いや、もうちょい賢い人だとは思ってたんだけど。ハヤテマル、見事に骨抜きにしてるな……。NINJAすごい。
「何より僕は真実の愛を見つけたのだ――! キャロルへのこの思いは揺るがない」
「はあ、それはそれは――。ところでそのキャロルさんはどちらに?」
わたしが胡乱な目をヒューバートに向けると、彼は自分の後ろを振り返り、
「それはもちろんここに――あれ?」
すでに偽キャロルは姿を消している。騒ぎに乗じて大広間を出たのか、それともNINJA的なパワーを使ったのかはわからないが。
「はーい、あたし、こっちでーす!」
口をもごもごさせながら本物キャロルが元気よく手を上げる。あの一帯、もう完全に色気より食い気である。
「え? あれ? どうなって……? だってさっきまで……え?」
ヒューバートが目を白黒とさせるがまあ知ったこっちゃないよね。
「ではキャロル嬢ご本人にお尋ねしましょう。殿下のおっしゃるような嫌がらせを受けた覚えは?」
「ないですね~。いたって平和に過ごしてます!」
キャロルの答えを聞いて、わたしは悠然と微笑み、ヒューバートに言葉を投げつける。
「とのことですが――事実がどうであれ婚約破棄のお話、謹んでお受けいたしましょう。この場の皆さんが証人です」
わたしはにっこりと微笑み、言った。
「ヒューバート殿下はキャロル嬢とよく似たどこの誰とも知れない娘と添い遂げるためにわたくしとの婚約を破棄すると。父上にはそう報告いたしましょう」
「ま、待て――これは何かの間違いだ!」
ヒューバートが焦った様子で言う。
「あら? 何が間違いなのでしょう」
「そ、それは――!」
「根拠もないわたくしへの中傷。大変心を痛めております――ですので今日この場は失礼いたしますわね」
わたしは悲しげな顔を作って優雅にカーテシーして見せた。
「それでは皆様、ご機嫌よう」
わたしはまっすぐに背筋をのばし、しっかりとした足取りでパーティ会場を後にした。
本当はスキップしたいくらいの気分だったが。
***
その後。
王族からの一方的な婚約破棄に父はブチ切れた。
しかも理由が理由、やり方がやり方だ。王家は高額の慰謝料の請求を余儀なくされ、第二王子ヒューバートが王太子になれないことが確定した。
代わりに王太子に選ばれたのが――。
平民として過ごしていた国王の庶子、ノエルである。
そして王太子ノエルとキャロルは甘酸っぱい愛を育んでおり、二人は正式に婚約することになった。
このドラマティックな逆転劇に、国中が沸いた。
貴族たちの間ではかねてから囁かれていた第二王子の醜聞をなかったことにするためではないかと言われているが、王家の真意など知ったことはない。
そしてわたしは――。
「ちっ。往生際が悪いわよハヤテマル! 一号は右、二号は左から回り込みなさい!」
『かしこまりましたお嬢様!』
今日も屋敷でメイドたちを巻き込んでハヤテマルと鬼ごっこである。
有体に言うと。
ハマってしまったのだ。
見目麗しい男子を女装させることに――!
父上は「娘が変な趣味に目覚めた……」などと嘆いているが、そもそも第二王子なんて不良物件をわたしに宛がわなければこんなことにはならなかった。自業自得である。
「か、勘弁でござる! あれは任務としての変装であって、女装をするのは趣味ではないでござるぅ~!!」
必死で逃げるハヤテマルはその優秀さから正式にわたしの従者になった。
どうやらこの国が気に入ったらしい。野良猫に餌をやったらそのまま住み着かれたみたいな感じだが、まあ悪い気はしない。
「あなたの趣味じゃなくてもわたくしの趣味なの! あなたも公爵家の人間なら主人の言うことに従いなさい!」
「い、いやでござるぅ! 拙者にも男としての、ぷ、プライドがあるでござる!」
じりじり、じりじり――。
わたしとハヤテマルの間で睨み合いが続く――。
今日もアルフェッカ公爵邸は平和であった。