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物語3・11

「今宵は私のために、よく来てくれた」


 ゼノン王子が広間に足を着けると、片手を上げて音楽を止めた。

 静かになった会場に、芯のあるハッキリとした声が通る。


「最初に入場されたジョリー・ハーン?」

「はい」

「貴女からにしよう」


 一番手前にいた女性に声を掛けると、王子は彼女の足元にひざまずく。

 彼は戸惑う相手の腕を取り、手の甲に額を寄せた。


「私と踊っていただけますか?」

「は……はいィ!」


 王子様に跪かれるなんて夢にも思わなかったのか、裏返った声が広間の壁際まで響いた。

 でも笑う人なんていない。大切な一人目、まさか入城順なんて考えていなかったのかみんなざわついていたからだ。

 家の序列というものがある世界なので、当然位の高い公爵家の娘からか親しい間柄の人物と踊り始めるのだと思っていた人が多かったはず。

 ジョリー・ハーンという人は周りがひそひそ話しているのを聞く限り、男爵家の人だった。

 予想していた対応と違ったのと、女性の家の身分にかかわらず心からの礼を持って跪いたゼノン王子の姿を見て、ここに参加している女性陣はほぼ心を奪われていた。隣にいるハニーさんも、もちろん頬を赤らめて魅入っている。王子様最高、なんて言葉を百回くらい繰り返し言いながらカーテンの紐を握りしめて震えていたので、脚立から降りてそっと手から放してあげる。危うくカーテンが閉まるところだった。

 ……確かに、あんな風に優しく微笑まれたら誰がその隣を切望しないでいられようか。

 王族に嫁いだらきっと大変なことがたくさん待っている、そもそもどうせ選ばれないし遠くから見ていよう、などと考えていた女性たちもいただろうに。こんなの嫁いだら絶対に守ってくれるし大切にしてくれるしで幸せ確定じゃん、と気づいてしまった諦め状態の令嬢たちの闘争心に火をつけたも同然である。

 さっきよりこの広間が色めき立っているのがはたから見てもわかる。

 なんて眼福……と頬に手を当てていたら、背中をツンツン指でつつかれる感覚がした。


「な・な・りぃー?」


 私が来る前に入場していたのか、緑のドレスに身を包んだニケが後ろに立っていた。

 腰に手を当てて頬を膨らませている。

 肩の下がった部分から垂れる透け感のある振り袖が、ニケが腕を動かすたびにヒラヒラ揺れている。

 反物を扱う仕立て屋のお嬢様だからか、一見無地で控えめな衣装に見えるも、よく見れば裾に細かな花の刺繍や金色が取り入れられているのが分かる。

 総じて、上品で美しくかわいらしい、気品のあるご令嬢の姿に私の心は撃たれた。


「ちょっと待って、美しすぎる……!」

「なに馬鹿なこと言ってるのよ」

「だってだって、かわいいっ――て、あれ? ニケなんでここにいるの? あっちにいなくて平気?」

「そんなとぼけた顔して、そっちこそ何してるのよ。ラスに聞いたわよさっき、頼まれたんですって? もう……」

「ね、殿下見た?」

「この野次馬」


 ただの野次馬メイドと化した友人に呆れるニケだった。










 本格的に舞踏会が始まる。

 ニケは両親のもとへ行かなければならないと言って先ほど別れた。

 ここまでくれば私はお役御免だろう。私はメイド長を探して早退させていただくことにする。ハニーさんも了承済みだ。

 しかしメイド長がどこにいるのかが分からない。

 お見合いダンスのあいだは紳士や令嬢のご両親への給仕に男性の使用人があたり、メイドは隣の会場で立食の準備に取り掛かることになっている。だったら血敬(けっけい)の間かな。


 血敬の間というのは、食事をするためだけに作られた部屋なのだとハニーさんが言っていた。

 人間が動植物を食べるために肉や野菜をさばく、その際に出る血や汁に敬意をこめてつけられたらしい。

 うーん、そのまんまだ。


「失礼します、通ります」


 ダンスのために広間の真ん中を開けているから、壁際にまで人が広がっている。花の季節のせいもあって、じわじわ熱気がある。

 抜けてあっち側に行こう。足がもつれたり歩きの邪魔にならないようにスカートをぴらっと摘まんで、裾を上げた。

 快適。

 サッササッサ早歩き虫みたいに(ゴーキンブリンという俊足の虫がいる)隙間を縫って歩いていく。

 間違っても飲み物を持っている人にぶつからないようにしなければ。その人にも悪いが、なにより服の弁償代が恐ろしい。


 うわっ、 足! 今踏みそうだったあぶなっ。ちょっと、大げさに手を振って話さないでくださいぶつかります。

 下を見たり前を見たり、これならよちよち歩きの赤ちゃんのほうが歩くのうまいだろうに。

 さーてどこに。


「ナナリ~、何をされていらっしゃるの?」

「うわっ」

「うわって失礼ね」


 閉じた扇子で肩をパシッと叩かれる。

 中央から移動して来たのか、マリスがグラスを手に一人ぶらついていた。いつも赤いドレスを着ていた印象だったけど、今日は青いドレスに身を包んでいる。赤茶色の髪によく映えていて素敵だった。

 こんな魅力的な女性が、誰も連れずに舞踏会で単独行動をしている。

 身内が近くに控えているわけでもなく、しかも微かに鼻と頬が赤い。化粧じゃないなこれは。

 え、まさか酔ってる!?


「そんなふらふらしてどうしたの! これからダンスなんでしょう?」

「まだよ~。おそらく私の番は、すご~くおっそ~いのよ」


 今にも転びかねない酔っぱらいの肩を支えて、椅子がある場所まで連れていく。

 ドレスで座ってもくつろげそうなカウチを発見したので、ひとまず腰を落ち着けてもらおう。こんな日にこんな場所で酔う奴があるか。

 私がここにいることを突っ込みもしないのを見ると、いったいどれだけお酒を飲んだのか心配になる。


 同年代の女性は結婚していて招待をされていないか、招待されていて中央にいるかのどっちかだ。

 周りにいる男性たちは花嫁候補に声をかけるわけにもいかず、手を出しあぐねていた様子。

 参加者の母親世代は自分の子どもが気になって仕方ないので、内側のよく見える場所に集まっている。

 なるほど、腑に落ちた。だから誰もいないんだ。でもマリスの両親はいるはずだし、どこにいるんだろう。

 あ、そこの人、お水ください。

 

「あんなにバラバラな順番で踊ってるんだから、早く済ませてきちゃえばいいんじゃない?」

「そーねぇ」


 マリスは渡した水を一気に飲み干す。


「殿下は……まだ踊ってはくださらないわ。結局わたくしも殿下も、机上で振り回されるしかないのですから」


 サリーたちは見当たらない。お酒をこんなに飲むなんて、せめて給仕が止めなかったのか。止めたくても止められなかったんだろうけど。邪魔したら扇子でボコボコにされそうだもん。

 自暴自棄という言葉がぴったり当てはまるこの状況。ゼノン王子はマリスの気持ちを第一に考えたいと言っていたけど、そうもいかない難しい理由があるのだろうか。貴族社会はまだ理解できないことが多いが、何かのために心を押し殺すことが当たり前の社会なのだと、見ていて思う。


「でも酔うまで飲むなんて」

「これはこれは、かわいいお嬢さん」


 耳慣れないけど聞いたことのある男性の声。


 心拍がうるさくなる。

 胸が高鳴るとかそういうのじゃなくて、走って逃げなきゃ、とかそんな感じのやつだ。


 マリスに気を配りつつ肩越しに後ろを見ると、長い白髪を耳にかけて笑う貴公子が立っていた。



「またお会いできましたね」


 ヴェスタヌのコック王子だった。

次回は月曜日更新予定です。

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