物語2・27
くたくたになりながらハーレに戻り、業務報告を終えてさっさと寮に帰る。
体調不良だった人達がちらほら寮の廊下に出ていて顔色も良くなっていたのを見る限り、明後日には人も戻ってくるのだろう。
ゾゾさんと、本日連勤九日目を迎えていた職員のアガタさんは所長に「一週間とは言わないから四連休を私たちにちょうだい!」と危機迫る勢いで訴えていた。いいぞもっとやれ。
病気で休んでいたので休んでいた人達もけして休めていたわけではないが、七日を超える連勤に加え三日間くらいは夜間までぶっ続けで働いていた私とゾゾさんや他三名の職員たちの疲労は際骨頂。好きな仕事であってもやはり休みは大切だ。ナンパなんてしてたまるか。
所長とアルケスさんも風邪と高熱が出て五日ほど休んでいた。
二人が同時に休むことはなく、いつもどちらかは出勤していたので、これが初のことである。
いない間に何かあったらどうしよう、と無駄に健康体な私たちはビクついていたが、案外何にも起きなくて普通に仕事ができた。構えた時ほど物事はよく上手く行く。
そうして所長は気づいた。
なーんだ私とアルケスがいなくても大丈夫じゃん。と。
たぶん翌月の出勤表から二人揃っていない日が増える。
それはそれでいい変化だと思う。怪我の功名というか。
「久しぶりかな」
郵便があったと寮母さんから渡された手紙には、ここのところ見ていなかった名前が書かれていた。
寝台に腰掛けつつ、丁寧に封を切る。
マリス・ヘスティア・ラブゴール・キャロマインズ。
『忙しいせいでお手紙を書く時間がないのが最近のちょっとした悩みです。あなたは元気で過ごしていらっしゃるかしら? 殿下に聞きましたよ、船でお会いしたのですって? 本当に神出鬼没……。それはそうと、私が王女様のお世話係についているのはご存じよね。ゼノン殿下に近い場所で働いているせいか、親族がやたらと期待してきて困ったものだわ。期待というのは、わかるでしょう? あ、いえ、貴女は分からないかもしれないわね……。近々殿下の伴侶を決める舞踏会が開かれるかもしれないの。私は家を継ぐつもりですから興味はないのだけれど、祖父母から王子妃候補として王妃様に進言したと聞いて、もう、もう、腹部の臓物がそれはもう猛烈に熱くなって』
はらわたが煮えくり返ったんだな。
手紙越しにウンウン頷く。
『熱くなってしまって、このやるせなさをどう発散すればよいのか、何か良い方法がありましたら教えてくださいまし。今更真実の愛ですとか、絵本のような王子様を探しているなんてそんなことは言わないけれど(殿下のことは臣下の一人として物凄くお慕いしているのよ。見目麗しくお優しい方ですから、よき妃様が現れるようにと心から願っているわ。そうねぇ、あんまり野心がギラギラした女性には隣に立ってほしくはないわねぇ。物腰柔らかで、あと可愛いより綺麗な人がいいわ。刺繍は必須よ)』
小姑みたいなこと言い出してんな。
『とにかく、私は家を継ぎたいのに女だからとその選択肢を軽く扱われるのは心外よ。悔しいし、悲しくもなったわ。父と母は寄り添ってくださるけど、祖父たちには頭が上がらないの。はぁ、ここが寮だったら貴女やサリーたちに泣きついて愚痴を聞いてもらえるのに』
マリスにしては珍しく悲観的な手紙だった。
ロックマンが留学という名の魔物探しに行った時も涙に暮れて白髪が生えただのなんだのという様子のおかしな手紙を寄越してきたわけだが、それとはまた違う、からかう隙のない神妙な内容。心配になる。
彼女だってそりゃ大声で文句を叫び愚痴りたいときもあるだろう。
自分が決めた道、夢を遠回しに否定されているようなことを言われれば腹も立つし悲しくもなる。私だって最初は両親が渋い顔をしていたのを今でも覚えているし、そのあとはずっと応援してくれていたのでそこまで嫌な思いはしなかったけど、この年齢まできて否定されたらたまったもんじゃない。愚痴って当然だ。
だけどマリスの友人は貴族令嬢にまみれているし、妃にどうかと王妃様へ薦められた! 嫌! だなんて周りに言おうものなら侯爵令嬢がなんか言ってるな、くらいで自慢にもとられかねなく白い目で見られるのも想像がつく。
サリーあたりならその辺は分かってくれそうでもある。たぶんサリーにも忙しくて直接会えてないんだろうな。
机の引き出しから便箋を取り出して筆を立てる。
休みの日で予定が合えばいつでも話を聞くよ、と返事を書いた私は、すぐに届くように寮から出て走った。
友達大事。
*
訴えが聞き入れられ、私たちは四連休を見事もぎ取ることができた。
よっしゃあ!
わーい、とこの地獄のような期間を乗りきった仲間たちで輪になって飛び跳ねたが、その四日間、仲間の誰も寮から出ることはなかった。
五日ぶりの出勤で部屋から出たときにゾゾさんと鉢合わせし、お互いの顔を見て確信する。
「あっという間の睡眠だったわね」
「腰は痛いけど頭は爽快です」
四日すべてを寝台の上で過ごした。
みんな言う。悔いはない。
「おはようございます~」
「おはよう。眠れた?」
魔導所に入ると晴れやかな笑顔のピジェットさんが出迎えてくれる。
「はい。もー寝すぎちゃって腰が痛くて」
「睡眠は大事よぉ。……それって破魔士の完遂報告書?」
「見たいものがあって」
「まだこんな時間なんだからゆっくりしてていいのに~。お水入れてあげるわね」
「はぁぁ天使。おいしくいただきます」
業務が始まるまで時間もある。
お礼を言いながら、うっとうしいくらい長く伸ばしっぱなしの髪を後ろで丸く束ねた。このほうがいくらか作業がしやすい。
出勤して早々、トールの泉で気になったことがあった私は、過去の依頼を調べるため事務机に座る。
確か去年あたりに、その泉に不審な生物がいるから調べてほしいという依頼があったのを覚えていたのだ。
ベリーウェザーさんの兄であるベギーさんに出したやつだ。
「あったあった、これ」
大会の前に出した依頼。
夜になると泉に不審な生物が出る、大きな影、怪しく怖いのでその正体を調べてほしい。という泉の付近に住む住人からの依頼だった。
完了された依頼は、完遂報告書と共に保管されている。
今回は結果が知りたいので、破魔士による記録を開いて読んだ。
【月が真上に来た時間帯に、泉の上に黒い影が現れる。風の魔法で取り囲み、保護膜で捕まえる。グランピーの赤子が夢遊病でさ迷っていた。寝ぼけて攻撃してきたが、保護膜の中で暴れたため問題なし。周辺に親がいなかったため、比較的近い生息地である西の森に放つ。その後二日間に渡って泉の監視をしたが、黒い影の出現はなし。依頼人の目撃した影は、このグランピーの赤子であると思われる。放した場所、発見した状態は下記に図あり。以上、報告】
グランピーだったんだ。
しかも泉の中じゃなくて上にいたってことは、東の湖にいた影とは生物の種類が違う。グランピーは陸の生物だから、水の中には入れない。泉の影も、浮いていたグランピーのものが映っただけなのだろう。
何か参考になるかと思ったが、何にも引っかからなくて肩を落とす。
そううまくいかないか。
ピジェットさんが入れてくれた水を飲んで一息つく。
「ふー。おいしい」
依頼書と報告書の束をまとめて籠に入れて、腕をぐっと伸ばす。
始業までまだちょっと時間あるから、何かしてようかな。
カウンター前の本棚が乱雑になっているのが目に入る。
整理でもしよう。暇つぶしに。
腰を上げて、周りに軽く挨拶をしつつ本棚に向かう。
この本棚は私が入ったときからある。側面の汚れや古い傷がついているのを見るとだいぶ長いこと使っている様子。
「いち、に、八番はこっちと」
背表紙に書かれている番号を見て振り分ける。
昆虫図鑑やお菓子の作り方、絵本や辞書など、本棚いっぱいに雑多な種類の本が置いてある。大人も子どもも楽しめる内容だ。
子ども向けは下のほうに、大人向けは上のほうにと分ける。時々中の紙が破れていることがあるので、ペラペラと捲って確認しながら閉じてを繰り返していく。
地味な作業に没頭していると、声もなく肩をつんつん叩かれた。
あったはずの本がなくなっていたことにちょうど気づいたところだった。表紙の赤いやつがない。
薬草の本どこにいった、と気もそぞろに振り返れば、黒髪を乱雑に伸ばした少年がうしろに立っていた。
「よぅ、ナナリー」
笑顔なようでそうでないような微妙な表情を浮かべたベック君がそこにいた。




