物語2・26
東の森は魔物が滅多に出ない。
王国の東側の発展が活発で近代的なのは他より安全な土地だからなのかも、と事情は知らないけど勝手にそう思っている。
そんな森に事前調査へ出たのは三年前の三ツ目の魔物とテトラが暴れた時くらいで、それ以降危ない依頼は出されていなかった。
もともとテトラが住むような森ではないから、あれはきっと群れからはぐれた個体だったんだろう。暑い場所を好む彼らは、快適な気候を求めて移動するので通常ならば南にいることが多い。
テトラは背丈が小さくて目が大きく耳がとがった猿のような見た目で、背中に羽が生えた、魔法生物の中では圧倒的にいたずら好きの困った小動物である。
民家に入ってこっそり食べ物を盗んだり、花畑の花の部分だけを摘み取ってしまったり、巨大な虫を連れ立って町を飛びまわったり。
その行動に何か意味があるわけではなく、ただただ人間がこうしたら困るかな? というような生き甲斐を持ち動いているのだと、魔法生物図鑑にいつだったか説明が書かれていたのを見たことがある。とんだ生き甲斐である。
でも自分がもし次に生まれ変われるならテトラがいいなとも思う。
ぞんぶんにいたずらをしても「まぁテトラだから」で処分されるでも捕まるでもなく済まされるのだから、そんな待遇のいい生き物はいない。
これが魔物だったら抹殺待ったなしだ。
魔物からしてみれば、あいつらだって悪いことしてるじゃん! という感じで、この理不尽さに頭を抱えて憤怒しているに違いない。
なんならオルキニスの輸送馬車にいた人間に化けた魔物は、化けてそこにいた、だけで何もしてない。
前代未聞とはいえそれだけで亡き者にされるのだから、やはりテトラのあのちょうどいい立ち位置に憧れる。
森の先はシーラ王国と繋がっていて、あちらの国とは貿易が盛んに行われている。
ドーランは自然豊かで広大な土地もあり、安定している気候も相まってか野菜穀物類の成育がよく、食品関連の輸出が多い。
北寄りの国境だと馬車の出入りが多いので他の森より人の目があるからなのか、それとも元々魔物があまり出ないから貿易が盛んになったのかは知れないが、とにかく私たちからすればのどかで平和な森だった。
人間に化けた魔物が御者に成り代わっていたあの件はオルキニスとシーラの国境で起きたものだが、数ある隣国と比べて自然に安全な道を確保できているのは自国の強みの一つであることに他ない。
ところが最近、東の森の湖で魚釣りをしている男性から、水面にたびたび黒い影が現れてそのせいで魚が釣れなくなり困っているから何とかしてほしい、という危険だかなんだか知れない不思議な依頼が何度か出されていた。
黒い影の正体はわからないが生き物なら追い出してほしいそうで、依頼者のおじいさんはどうしてもそこで釣りをしたいらしい。
何度か、というのは、言葉通り何度も繰り返しその依頼が出されている。
つまるところ一向に解決していない。
依頼を受けた破魔士に話を聞けば、湖に三日ほど張り込んでみたものの黒い影とやらは一切見えず、よって解決には至らず、そのあとも何人か受けてくれたが全員断念してしまい、破魔士たちは報酬にもならないからと手を出さなくなってしまったのである。
本当に黒い影なんか出るの? と最終的に皆怪しんでいた。
一か月以上未解決だったり手つかずのものは依頼人が諦めて取り下げるか、報酬金額を吊り上げてもらい、再度依頼書を提出し直してもらうしかなくなる。
だけれど今回は黒い影、という謎現象を突き止めるため、破魔士側で解決はできなくてもそれが何なのかを魔導所で調査してみよう、ということになったので今日はついでに出向いているわけで。
魔法陣で二人を連れ、森の手前の草原に移動する。
見晴らしのいい場所に降り立って陣を解けば、新緑の涼しい香りが胸に流れこんだ。
はぁ、いい空気。
久しぶりに東の森へ足を踏み入れる。
舗装されていない道を木漏れ日が照らし、鳥のさえずりが聞こえる。
黒兎やピュミット(猫鹿)を見かけたり虫が飛んでいたり、赤い実がなっている木があったりと、以前来た時のような生物の気配の感じない不気味な森ではなくなっていた。
美しい森の中で、マウェリさんは空を見上げている。
「東の森は我々も滅多に来ませんが、とても綺麗ですね。南の森や山にはよく行きますが、あちらは魔物だけでなくテトラやバウドラがいますから」
「この森に魔物や危険生物が出ない理由って、何か知ってたりします?」
「それが……全く。復興後に騎士団が調べに入ったことはあるのですが、結局何の収穫もなかったんですよ」
彼は困ったように笑う。
結論、まぁ世の中には不思議とこういう場所もあるよね、という認識で落ち着いたらしい。
何かワケがあって魔物がいないのなら、今後世のため人のためになりそうな発見になると踏んでいただけに、騎士団一同は内心ガッカリしたそうな。
ロックマンがいてもそうだったのだから、この場所の秘密が暴かれることは何百年も先のことになるのだろう。
森の奥のほうへ進んでいくと、木々の開けた場所があった。
より一層涼しい風が肌を撫でる。
日の光が反射されて、水面がキラキラ揺らめいている湖が視界の先に見えてきた。
「こんなに涼しいんですね。前来たときはもうちょっと暑かった気がします」
「まー今の時期は湿気が少ないから」
湖の畔には短い草花が生えている。
セレイナの海岸のように大きな砂浜ではないが、細かい石や灰色の砂が絨毯のように湖を縁取っていた。
「見る限り普通……ひゃ~冷たい」
湖を覗き込んで手を浸してみる。
魚は泳いでいるし、手を入れると餌をくれると思ったのか近寄ってきた。
このぶんだと釣竿なくても手掴みで捕れるんじゃ、という根拠のない自信さえ湧く。
「つかぬことをお聞きしますけども、貴方恋人いらっしゃる?」
「おりませんが」
「ピジェットっていう、とぉ~っても可愛い子がいるんだけど、今度食事でも」
「何してるんですか」
尊敬する先輩が仕事中に騎士をひっかけようとしていた。
十連勤で疲弊している脳味噌は何をしでかすかわからない。
確かにピジェットさん恋人欲しがってたけど、うん、働きすぎはやっぱり駄目だ。
どうしよう、私も三日後に誰かをナンパしちゃうかもしれないんだ。怖過ぎる。
でもピジェットさんの好みって、暗い髪、優しそうな垂れ目、背が高い、穏やかな人……。
マウェリさんの髪は青みのある黒だし、泣きぼくろのある垂れ目だし、背は高いし、話してみた感じ穏やかそうだし……。
おや、ちゃんと好みの人だぞ。
「オホホホホ。ドンピシャ、だったのよ」
したり顔で親指を立てている。
恐るべし。
それはそうと、腕を引っ張ってゾゾさんをマウェリさんから離す。ドンピシャだろうが仕事中に失礼なことに変わりない。
すみませんと頭を下げたが、戸惑う彼はピジェット……と口の中で甘く優しく転がすように名前を呟いていた。
名前聞いただけなのに? 名前だけで?
まさか当人に会ってもいないのにナンパ成功じゃないだろうな。
「はいはい。水源を探してみるわね」
マウェリさんチョロいんじゃないか疑惑が私の中で渦を巻いていると、ゾゾさんがその場でしゃがみ込んだ。
そして地面を鷲掴むように片手をつけると、彼女の瞳が淡く緑色に光り出す。
「南西に伸びた水流で、根がたくさん、層は一、二、三、四……石が細かいわ……眠い」
「がんばれ!!」
「空間がある……あ~洞窟? 洞窟があるけど、どこと繋がってるのよこれ。ああこっちね、鍾乳洞ってこと? アンデル川とも繋がってるのね」
地型の魔法使いは地面の下を手のひらから放つ念力で探ることができる。
「土泳ぎ」を発動して凄く深く潜るには大量の酸素がいるのだが、それはまさしく水に潜るのと同じような感覚で、呼吸をしっかり行わなければ酸欠になって溺れてしまい、そのまま意識を失う。
精神力は削られないが体力は削られるらしい。
ゾゾさんはスーハースーハー静かに呼吸を整えて丁寧に探っている。
「なるほど~そっか。はぁー疲れた」
淡く光っていた瞳が元の黒色に落ち着いた。
地面から手を離して砂を払いゆっくり立ち上がると、ゾゾさんは私と同じように湖を覗いた。
「この湖はトールの泉と繋がってるのね」
「あんなに遠い場所と?」
「アンデル川にも繋がってるけど、そっちとは枝みたいな細さで分岐してたから、主な水源は泉だわ。途中で洞窟があったけど、入れるようなところじゃないし」
「黒い影とか物体とかありました?」
「ないわ。地のキングス級がこれをやってくれてたら世話ないのに」
記憶探知や土泳ぎができる破魔士が軒並み出払っているせいなのも依頼がなかなか進まない原因ではある。
「神殿の修繕のほうが報酬いいですから。みんな早く帰ってきてほしいなぁ……」
「湖を記憶探知で見てもらえる?」
指示されて、私は湖に向かい手を構える。
白い靄が出てきて、湖の時間が逆転していく。
依頼者の男性や依頼を受けた破魔士たちの姿が流れていくなか、男性が釣りをしている場面で湖に黒い影がある時間にたどり着くことができた。
日の登る回数からするに十日前。
一旦この場面で止めて、三人で観察する。
「大きさは、そこの木ぐらいかしら?」
「上からじゃなんとも」
湖の上から見た影は人間以上の大きさだった。
それから時間を戻しても湖から何か出てくる気配はなく、さらに時間を巻き戻したら消えてしまった。
かくなる上は、湖に飛び込んで潜って記憶探知をするしかない。
「息が続かないから駄目よ」
「じゃあ水中に手を突っ込んで記憶探知して、ゾゾさんに土泳ぎで見てもらうとか」
「記憶探知の能力にも限度がありますから、術者が目視できないものは見られないですよ」
やんわり無理だと止められる。
防御膜を張って飛び込むことも考えるが、それじゃあ沈まない。水の中で張っても水は弾かれないから息はできないし。水に濡れても大丈夫な映写機があれば湖の中を代わりに映して(見て)もらって、こう、どうにか媒体を介して時間を戻したりできないものかな。
あ、映写機に防御膜を張りつければいけるんじゃ……でも機材が高いし無理か。五千万ペガロだし。
貴族の中でも超お金持ちの人しか持てないし、現存台数が大会に使われたやつと予備三つだけって聞いたし。
記憶探知の可能性を高めたい今日この頃。
「わかりました。とりあえず左側見てきます」
「では私は反対側を調べてきますね」
周辺に異常がないか、三人で散らばり各々確認していった。
二時間ほどかけておかしな痕跡がないか探してみたが、三人とも全くそれらしきものは見つからなかった。
「これは……今日の成果は……」
「なしってことね。来週はトールの泉かしら」
依頼を受けなくなった破魔士側の気持ちがわかる。
数日使ってこれを繰り返して報酬なしは、確かにやってられない。
「黒い影とありましたので、ひとまずこの湖にも鋼山と同様の魔法陣を被せておきます。下に力が行くようにしておきますので」
「ありがとうございます~」
「いえいえこちらこそ。私が記憶探知を使えないばかりにお手数おかけしました。ここの影のことは騎士団長と第一小隊にも報告させていただきます」
「もとはハーレ都合での調査でしたので、こちらこそです」
「いえこちらこそ」
「いえいえいえいえこちらこそ」
「はい終わり! 帰るわよ!」
ゾゾさんの声で撤収した。
だが帰り際、ピジェットという方はどのような女性ですか? とマウェリさんが期待を込めてこちらに探りを入れてきたので、おそらく近いうちにあの可愛い先輩に恋人ができるかもしれないなと、結婚相談所の職員かのごとく予感を噛み締めたのだった。