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物語2・21

 怒涛の出張期間は終わった。

 セレイナからドーランへ帰ってきた私は、どっと溜まっていた疲れに身を任せて寮の寝台へ倒れるように寝転がる。

 てきとうに置いた荷物も土産物もあとで片付けよう。


「はぁ~」


 枕をぎゅっと抱き締めて顔をうずめた。

 なんか色々あったせいで、出張だったのに出張の記憶がほぼ無い。

 きっと残り一日と半分の内容が濃すぎたせいだ。

 私が行ったのあれ出張だったっけ、旅行? というような感じで仕事が終わったという充実感もない。

 旅行は旅行でも楽しくない旅行だったし、何と言うべきか、傷心旅行じゃなくて傷心するために行った旅行というのがしっくりくる。

 そんな旅行誰が行きたいんだ。

 私だって嫌だ。

 あんなに濃い一日を過ごしたら細胞に負荷がかかりすぎて老化が早まるんじゃないかと、私も年頃の女なので少々肌が気になる。


「確かゾゾさんから貰ったやつがあったような」


 重い身体を起こし鉛でも付けられたような足取りで台所に向かった私は、赤いチキチキ瓜を籠から取り出しスパパパンと薄く切り、頬や額にベタベタ貼りつける。

 チキチキ瓜には赤い瓜と青い瓜と種類があり、赤い瓜は酸っぱくて青い瓜は甘く、酸っぱい瓜のほうは美容にいいのだとチーナが言っていた。


「完璧」


 初めてやってみたけどこれでいいはず。


「ちょっと沁みる……効いてる気がする」


 沁みているなら普通にやめたほうがいいのだが面倒くさいので効能を信じることで手を打ち、また寝台へ戻って両手を広げて仰向けに寝転んだ。

 疲れた。

 まぁでも無事に人魚の鱗の許可は取れたし、ペトロスさんも喜ぶに違いない。

 ついでに彼の薬を待ち望んでいた患者も喜ぶだろう。

 長く待たせてしまったのでさっそく依頼を出してもらって、早めに鱗が彼の手に渡ればいいなと願うばかりだ。

 というか、たまたま生きて帰れたからいいが、普通ならあの旅船にひかれたところで私の人生は終わっている。

 あんな魔法のきかない場所で助かったのは運が良かったとしか言いようがない。

 運が良いのか悪いのか。

 やっぱりあの港のじいさんがすべての元凶だ、といまだに消えない逆恨みを抱きながら瞼を閉じた。

 やっぱり自分の寝床が一番だ。





 仕事が始まれば私の日常は元に戻る。

 母のことが唯一気がかりだが、いつまでもしんみりとした顔をしてはいられないので、本日も笑顔絶やさず受付の席に座った。 


「鱗の許可ありがとうございます!」


 昨日依頼者であるペトロスさんにお知らせを送っていたので、今朝それに気づいたらしい彼は一日も間を空けることなく魔導所を訪ねて来た。

 予想していたよりはるかに早い来所にこちらとしても嬉しく、では依頼書の紙です! と言われてもいないのに提示した。

 私の行動は間違っていなかったようでペトロスさんはいつもの三倍の速さで依頼書を書き上げていく。

 出張から遅れずに帰ってこられて良かった。


「掲示しますね」


 複写して掲示板に貼る。

 魔導所から出ていく彼の背中を見送り、昼休憩の時間になったので交代のため席を離れた。

 ペトロスさんの笑顔を拝めて始めて出張の達成感を得た気がする。


「人魚の鱗ってどんな見た目なの?」

 

 交代で入ってきたピジェットさんが興味津々な様子で私の手にある依頼書を見た。


「龍の鱗って刺々しいじゃないですか。人魚のものはそれに比べて丸みがあって」

「へぇー! それが浜辺に落ちてるのね」

「潮の流れで海の中に溜まり場? みたいな場所ができているらしくて、そこでも採れるそうです」

「実物は見た?」

「綺麗でしたよ。セレイナの輸出管理部門の方に参考で見させてもらって……ああっ、念写したものを貼るの忘れてました! 追加してきます!」


 危ない危ない。

 鱗の特徴がわかる絵がないと破魔士が仕事で困ってしまう。

 念写した紙を小さく縮めて急いで依頼書の下に貼り付けた。


 人魚の鱗はハーレで依頼されたものだけがドーラン王国へ持ち込めることになった。

 旅行などで気軽に持って帰って来ても検問所で取り上げられて王国内へは持ち込めない。

 しかし鱗はそれほどまでに貴重なものというわけではなく、むしろセレイナの輸出管理の人に「こんなもん何に使えるのか」と聞かれたくらいだった。


「はさみ焼きと野菜棒ください」

「はーい二ペガロね」

 

 魔導所にある食堂でいつもの軽食を頼み、裏庭へ向かう。

 外に続く扉を開ければ、晴れやかな空に小鳥のさえずりが聞こえた。

 今日は一日いい天気に違いない。

 そうして和やかな気分で休憩所につくと、チーナが珍しく新聞とにらめっこしているのが目に入った。

 あんなに真剣に新聞を読んでいるチーナは初めて見る。

 新聞と目がくっつきそうな、というかあれ字読めてるのかなってぐらい至近距離で読んでいた。

 字なんて読んで数秒で眠くなりますよむしろ子守唄ならぬ子守字ですよ、と豪語していた彼女はいったいどこへ行ったのか。

 社会人を得て色々変化したんだなぁと感慨深く思いながら外の椅子に座った。

 ゆっくり座ってもミシ、と嫌な音がするこの休憩所唯一の古木の椅子は、誰が座ったときに壊れるのかという暗黙の遊戯が職員の中で流行っている。

 ちょうど空いていたから座ってみたが、うん、まだまだ大丈夫そうだ。

 ささくれのある硬い背もたれをよしよし撫でていれば、先輩! とチーナがこちらに気づいたのか走り寄って来た。

 肩上の髪がぴょこぴょこ跳ねている。

 

「大変ですよこれ見てください!」


 険しい目つきでどこか慌てた様子の彼女は、両手で握りしめてグシャグシャになった新聞を私に押し付けてきた。

 そんなに必死になっていったいどうしたのかと、仕方なく新聞を受け取って広げる。

 さっきから穴が空くほど見ていた理由がここにあるのか。


【クィック・クィックの宝石、また盗まれる】

【影が濃くかぶる王都、太陽が近づく?】

【不倫は駄目絶対と語るマーニャ夫人】

【舞台俳優ハバラキは肉食だと相手女優が暴露】


 今日も賑やかな見出しが並んでいる。

 この前も同じような記事が出てたし、ハバラキが肉食なのは暴露するほどのことじゃないだろ。

 食べようと思って片手に持っていた軽食はテーブルの上に置いた。


「ここですよ!」

「なになに……」


 チーナが指した記事を読む。


【英雄もやはり年頃の女性! セレイナへ恋人とお忍び旅行】


 ……。

 目をぱちくりさせて数秒、私は新聞を引き裂いた。


「んのぉぉぉぉぉおお!!」

「きゃー! 先輩ー!」


 荒ぶる私をチーナが後ろから抱きしめて宥める。

 新聞にはヤヌスと私がセレイナの服を着て並んで歩いている姿が念写されていた。


「落ち着いてください! 私は信じてませんから! だってこれ出張のやつですよね? ……んまぁ、出張というより確かに旅行みたいで楽しそうにしてますけども」

「ちょっと浮かれてて」

「誰も信じませんよこんなの」

「でもさぁ!」


 そんなこと言ったって、こんな根も葉もないこと書かれたら誰だって爆発するし、しかも相手として載ってるのヤヌスだし、もう、もう……。


「潰してやるぅぅぅう!」

「きゃーせんぱーい!!」


 騒ぎを眺めている他の同僚が持つ新聞が目に入る。

 同じ新聞だ。

 みんなこれが根も葉もない嘘記事だとわかっているので、気の毒に……という表情で私を見ていた。

 そういえばやけにハーレに来た人が「恋人いるんだって?」とか「結婚適齢期だもんねぇ」と根拠不明なことを私に向かって言ってきていた。

 こんな会話日常茶飯事なのでいつものように流して気にしてはいなかったが、やたらと多かった。

 これか。

【泊まった宿は安いコーベル亭。財布のひもは固いようだ】

 泊まった宿まで書かれている。

 失礼極まりないこの記事を書いた人間の鼻の穴に魔法陣の研究で使っていた豆を喉に届くくらいまで詰め込んでやりたい。

 いったいどこに隠れて見てたのか。

 無礼千万記事に怒りつつも、この記者はどこまで私を見張っていたのかと心配になり最後まで読んでみる。

 セレイナに行って宿に泊まり、海に小舟で出たところまでの詳細が書いてあった。

 どうやらその先までは追えなかったらしい。

 あの小舟に乗った選択が結果的に良かったのだ。

 私は心を改めて港のじいさんに感謝する。

 主犯とか言ってすみませんありがとうございます。


「というか、先輩たちが頑張ってくれたから世界が平和を取り戻したのに扱いが酷すぎません? 感謝しろよ記者ども」

「ま、まぁまぁ……。しっかしよく恥ずかしげもなくこんな記事書けるよ」

「売れればいいんですよこの人たちは」

「そうなのかなぁ」

「しかもなんで先輩だけ。文句言わなさそうな人間しか狙わないのって卑怯ですよ」

「私だって言うときは言うよ。んん、ゴホン、…………おいコラァ!」

「全然怖くないです」


 こうなってくると、これから自分の行動は誰かに常に見られていると思って生活していかなきゃならない。

 セレイナの宮殿に行ったときにベラ王女の言う通りベールを被っていてよかった。隠していなかったらどこからか見ているソイツに行き先がバレて、そこからまた、なんであいつは宮殿に向かったんだ? 怪しい! となってさらに調べようとしてきたかもしれない。

 こんなの犯罪だろと法律を思い出してみたがそんな罪は特になかった。

 世間はもう少し厳しくなった方がいい。


「どこに隠れてるんだろうねこういうの」


 こういう目ざとい人間があれこれ色んな手を使ってこちらの情報を掴もうとしてくるのだから気が気でない。

 よく演劇女優の私生活がネタにされたりしていて大変だなぁと思ったことはあれど、それが自分に降りかかるなんて思いもしていなかったから単純にびびっている。

 人魚のことについて調べようと思っていた矢先だったので、この重い事実に私はセレイナから帰宅したとき以上の疲れを感じた。

 元気を出してくださいとチーナは変顔を見せてくる。

 彼女は私が笑顔になるなら鼻の穴を全開にして白目をすることもいとわないようだった。

 そんな姿にむしろ涙がこぼれた。


「でも私、不思議に思ってたんですけど~」


 白目から正常に戻ったチーナは再度新聞を持ち上げる。


「なんで隊長さんとは記事にならないんですか? ご飯に行ったりしてたじゃないですか」

「隊、ああ……んー、……ん?」


 確かに。


「あと事故チューとか」

「自己中?」

「街で一緒に歩いたこともあるんですよね?」

「あるけど」

「書かれないのおかしくないですか」


 確かに。


「新聞社の上の人が隊長さんのこと好きだったりしませんかね。だから良い感じな先輩とのことじゃなくて馬鹿たれヤヌスのことを記事にして二人を仲違いさせようとかそういう魂胆が」

「良い感じじゃないし考えすぎ」

「納得いかなーい!!」

「俺も納得いきませんよ!!」


 突然青年の高い声が加わった。

 黒い制服を着たヤヌスがドカドカと足音を立てて近づいてきて、テーブルをバシッと叩いた。

 くしゃくしゃに握り締めた新聞を手に顔を真っ赤にしている。

 私のせいで新聞に顔を載せられて申し訳なく思う。

 朝は何も言ってなかったし仕事中は落ち着いていたから、私と同じく今さっき知ったみたいだった。


「こんな記事嘘ですよ! 俺が街で叫びまわりながら間違いを晴らしてあげます!」


 そんな奇行すんな。


「侯爵様が悲しみます。許せません、俺が裏切ったみたいなこんな記事……」


 至極深刻な面持ちで新聞を見つめては肩をプルプル震わせているヤヌスに、私は感情の一切こもらない視線を送る。

 あの日以降、ヤヌスはロックマン信者になったのかことあるごとに会話にアイツの名前を挟んでくる。

 万華鏡は肌身離さず持ち歩いているらしい。

 変な薬や魔法でも使われたんじゃないのかと失礼ながら聞いてみたが「なんて失礼な!」と軽蔑した目で見られたので重症度が高いことが伺えた。

 正直凄まじくうっとうしい。


「だってナナリーさんは、だって侯爵様とあんな、熱烈な、あんなに」

「興奮して鼻息凄いところ悪いけど違うからね」

「でも侯爵様は否定してませんでしたよ!」

「肯定もしてなかったんでしょ? 面白がられてるだけだよ気づきなよもう」

「このアホたれは私が回収しておくので先輩はゆっくり休憩しててください」

「何するんですかチーナさん! 俺にはやるべきことがっ」

「お前がやるべきことは仕事」


 腕っぷしの強いチーナは魔法を使わなくても怪力で、片手で難なくヤヌスの首根っこを掴んで引きずっていった。


 一段と強い風が吹いて、頬に新緑の木の葉が当たる。

 背もたれはミシミシと鳴き続けた。

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