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物語2・18

 あまり眠れなかった。

 というか全然眠れなかった。

 あんなことを聞かされてぐっすり眠れるわけがなく、寝起き早々寝不足で頭がぼやっとしている。

 窓から射し込む朝陽が目に眩しい。

 寝坊もしたことないし寝起きは比較的いいほうなのに、日の光をこんなにも遮断したいと思ったのは初めてだ。目は細めるどころかもはや糸になっている気がする。


「葛の実でもいかが?」

「クズ? ……むぐ。あひがほう、ございまふ」


 朝食の代わりにこれでもどうぞと丸くて小さな淡緑色の食べ物をベラ王女が差し出してくれた。と思えば唇に直接押し当てられたので、圧を受け入れてそのまま口に含むことにする。

 ふむ、噛むとモチモチしていて美味しい。

 目を糸にしたままモグモグ咀嚼する私を見て彼女は何を思い浮かべたのか、生き物でも飼ってみようかしらなんて冗談か本気か言っている。

 ちなみに飼うなら青い小鳥がいいらしい。

 それなら兎鳥はかわいいし、いざというとき食用になるからいかがかと薦めてみたがそれは違うと首を振られた。

 さすがに私も愛玩動物に食用はないよなと反省した。


「おいしかったです」

「元気出たかしら?」

「はい!」


 それはともかくこのモチっとした奇怪な食物。

 葛の実は海の中で獲れる海草の一種だそうで、海のものに疎い私は草にとうてい見えないその形姿に最初は珍妙に思えたものの、食べてみればほんのり塩味のきいた旨味と食べごたえと弾力のある柔らかさに感動する。

 一気に眠気が吹っ飛んだ。

 美味しい食べ物がすごいのか気分の問題なのか、単純な自分の身体にたくましささえ覚える。

 しかしなるほどクズの実か。あの男に食べさせてやりたい。




 今日は朝一番でベラ王女付き添いのもと彼女の使い魔に乗り、セレイナの王宮まで飛んで行くことになっていた。

 急がば急げとばかりに彼女は段取りを立ててすぐに向かえるようにしてくれていた。

 こんな人が次期女王になるなんてセレイナの国民が心底羨ましい。

 それにベラ王女を近くで見ていると、なんとなくベンジャミンやベリーウェザーさんが思い浮かぶ。二人ともセレイナ生まれだし、個性はそれぞれ違うけれどなんだか根性的な部分というか気質が近いのかもしれない。


 樽から出て甲板に向かうと、二人の男性が立ち話をしていた。

 ヤヌスとロックマンだ。世間話に花を咲かせているのかヤヌスは出張の疲れを感じさせないほど笑っている。どんな話だろう。

 ロックマンは昨日と変わらず同じ白い召し物で、ヤヌスは遭難時に着ていたセレイナの衣装を纏っていた。


「おはようございます! ナナリーさんと、あ……」


 近づいてくる私たちを目にとめると、ヤヌスのほうはベラ王女に見惚れて照れてしまったのか、なよなよと動く海草みたいにモジモジチラチラクネクネを繰り返し始める。

 初な反応に親心がわき上がり、その気持ちめっちゃわかるわ、と肩に手を置いて共感してあげた。


 ヤヌスはセレイナにとってあった宿へロックマンに送って行ってもらい、私はもう少し用事があるからと別々で帰ることを伝える。

 ロックマンはヤヌスを送ったあと、またこの船に戻ってくる算段だ。

 もちろんこの男も私たちがどこへ何しに行くのかを知っている。


「宿の荷物はどうします?」

「用事が済んだらあとで取りに行くよ」


 貴族の人間は朝が遅いのか日が昇っていても船の上には誰の姿も見られなかった。

 潮風は昨日ほど寒くなく、衣装から晒された肌は心地よさを感じる。

 白く透けたベールを被る私をヤヌスは不思議そうに見ていたが、日除けですね、と結論着けていた。


「ハーレには私が行くから、ヤヌスはそのまま家に帰っていいからね」

「いいんですか!? やったー! 侯爵様にいただいた万華鏡早速試してみますね!」


 両手を上げて喜ぶヤヌス。

 朝から、というかさっきからやけに上機嫌でいた彼は、なにやら赤い筒を手に持ちロックマンにベッタリくっついていた。

 ベッタリというと抱きついているみたいだが、今にも抱き着きかねないほどの親しみようなのであながち間違ってもいないだろう。

 今まではハーレに来るロックマンを見ても隊長さんとか魔術師長殿とか呼んでいたのに侯爵様て。

 いったい何をしたら私の後輩があんなやつの舎弟にくだり、私が空気のような扱いを受けねばならんのか。

 昨日一緒に小舟に乗った仲じゃないかこの裏切り者めが。


「部屋でこっそりやってね」


 その一方、爽やかな好青年顔でヤヌスに耳打ちして仲良さそうに語りかけるロックマンに、ベールの内側からとても人様にはお見せできないような怨み節全開の顔で邪念送っていると、


「大丈夫?」


 私の顔を覗くロックマンを認識して初めて指先でベールをつまみ上げられていることに気がつく。

 妬み嫉みに気を取られていたせいで、手が伸びてきていたことに気がつかなかった。


 白がかった景色が払われて、視界にくっきりと輝かしい金髪が映る。

 互いの鼻先がくっついてしまいそうなほど、とても近いところに顔があった。

 反射的に顎を引いてしまう。

 だが人様にお見せできない顔をロックマンに見られたところで、きゃあ恥ずかしい! 見られちゃった! とかそういう乙女心が羞恥にさいなまれるような気持ちにはならなかった。

 なぜなら昨日のことがある。

 復習が得意な私は失敗した問題を二度も間違えることはない。

 同じ轍は踏まないのが己の誇り高き長所である。

 軍服の白さと自慢かと思えるくらいジャラジャラ飾られた金銀赤青の勲章が日の光に反射して目に眩しく少し睨んだような目つきになった私に対し、昨日のは本心からだったとロックマンは困ったように眉尻を下げた。

 今ここに貴婦人たちがいたら、きっとこの顔に同情を誘われて加護欲を発揮する彼女たちに私が責められていたに違いない。

 むしろ私が同情してほしいくらいだというのに。


 ベールを少し捲りロックマンが腰をかがめて首を傾けて覗き込んでいる形になっているので、私の表情は他の誰にも見えていない。


「来月はコックがドーランに来るから、城には来ないように気をつけてね。ちょうど番人も神殿預かりになるから」

「……王子様のこと悪くなんて思ってないけど、頼まれても近づかないわよ」


 ちょっかいだとか処置だとか何をそんなに大袈裟に警戒しているのか知らないが、万一にも海の王国のことが知られたらいけないので自分から近づいたりはしない。

 近づきたくても近づけなんてしないだろうけど。

 だから昨日のことは経緯はともかくとして、助かった部分もあるのでいちおうお礼は伝える。

 ベラ王女の記憶についてもそうだ。

 記憶を残しておいてくれたから、こうして問題が起きたときに助けになってもらえて、すぐに駆けつけることができる。

 今日も私たちを陸へ帰すために動いてくれているのに、こんなことをしてもらっておいて嫌味しか言わないのはただの小生意気で失礼な奴でしかなく。

 私はそこまで礼儀知らずな女ではない。

 感謝の言葉を言われると思っていなかったのか、ロックマンは一瞬口を引き結んでまた困ったように笑うと、ベールから顔を離した。


「お、おおおおお二人とも、ね、熱烈ですね!」

「?」


 ヤヌスが顔を真っ赤にして私を見ていた。

 クネクネしたり喜んだり赤くなったり忙しい後輩に、あらあらまぁまぁと微笑ましくなる。

 ベラ王女かわいいもんね。直視できないから私で視線を落ち着けてるんだね。


 ユーリに乗ったロックマンの背中にしがみついたあとも、飛び上がる直前まで彼は頬を紅潮させたままブツブツ独り言をぼやいていた。

 ロックマンはそんな様子のヤヌスを気にもとめずユーリに陸へ行くよう指示する。


 宙に舞う二人へ手を振りながら、目の前で口づけなんて本当に仲がいいのね妬けちゃうわ、と頬に手を添えて恥ずかしそうにこちらを見るベラ王女に、おや? と、角度的に見てヤヌスが何を勘違いしていたのかを遅まきながら徐々に徐々に察知する。


 熱烈? 

 違うんだヤヌス待てヤヌス戻ってくるんだ。


「ちがーう!! 待ってぇヤヌスー!!」


 飛んで行ってしまった彼へ向けてこれは違うのだと大声叫ぶも虚しく、涼しい朝に日が昇っていった。




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