物語2・15
目が覚めると寝台の上だった。こんな状況は何度目か。
慌ててむくりと起き上がる。
部屋は暗く、レースのカーテンから薄い夜の光が漏れていた。
ここは誰のどこの部屋なのか。
私が起きた場所は寮の部屋や実家の部屋、学校の寮の三人部屋よりもっともっと、二倍どころではない広さの部屋だった。
しかもこの寝台、私が昔憧れていた天蓋付き。
かわいいフリフリのレースで覆われているそれは私のちっぽけな乙女心をくすぐる。窓際にはテーブルと椅子があり、その向こうに海が見える。
確かベラ王女に手を引かれて、伝えたいことがあると言われたところで眠ってしまったのか。怒涛の一日で仕事を終わらせたうえ海に落ちたこともあってか自分で思っていたよりも大分疲れていたらしい。
滑らかなシーツをはがして床に足をつける。
窓の外を見る限り、陸へ返されたのではなく船の中の部屋で休ませてもらっていたようだ。
そういえばと、ベラ王女が自分の部屋で休め的なこと言っていたのを思い出す。
まさか、ここもしかして王女の部屋……?
かわいい寝台からバババッと素早く離れた。私が寝ていいところではない。
なるほど王女様の部屋なら納得の広さと可愛らしさである。
王女様から私のような他国の平民ごときにお話したいことがあるということだったので(話ってなんだろう地下牢にぶち込まれるのか)、すれ違うのも迷惑になるかと思いこのままここで立って待っていようとしたが、ふと部屋の扉が目に入った。
途端ヤヌスのことが頭に浮かび、心配で落ち着かなくなる。
足先を鳴らして拳を口に当てる。
私は貴族がたくさんいる場に慣れているから良いものの、彼はそうではないかもしれないし、海の上でしかも外国の船の中、おそらく不安を感じているだろう。
旅船の範囲だし、ほんの少し探すくらい良いだろうか。
十分ほどで戻るなら。
意を決してドアノブに手をかける。
扉を静かに開けると、夜とは思えない暖かな光が射し込んだ。
部屋からそっと顔を出せば、なるほどこれがこの船上パーティーの本番だったのか、視線の先では色とりどりのドレスが蝶々の羽根のように広がっては縮まり、男女が向かい合ってくるくるとまわり踊っていた。音楽が鳴り響く。
私がいた場所は船の中央端の樽置き場だった。
どうやら自分が寝ていたここは樽部屋らしい。
「樽」から身を乗り出して、すぐに端へ寄る。初めて入ったけどあんなに広いのならもうみんな樽の中で暮らしたほうが良くないかと真面目に思った。
セレイナの民族衣装は綺麗だけれどパーティー向けではないので、不相応な格好をしている私はできるだけ精一杯隅にへばりついた。
足音が聞こえないように背を丸めて器用にササッと歩く。
さながら泥棒である。
*
船の帆の上に浮いた大小三つのシャンデリアは、夜空にある月の光を受けて不思議な輝きを放っていた。
チカチカ瞬いている。
歩きながら思わず一瞬ボーッと見とれた。
「セレスティアル王にお会いできるのが楽しみですな」
「恥ずかしながらわたくし、物語の中だけの存在だと思っておりましたの。帰国したら母にお話ししてさしあげないと」
「船には画家も呼んでいるので、明日の光景を絵に残しておくのもよいかもしれませんぞ」
昼間にはなかった活気が漂っている。
身動きができないほどの人だかりとはいかないまでも、傍では終始誰かがグラスの中身を飲んでいる音や、貴族流のお上品な世間話に花を咲かせている声が聞こえてきた。セレスティアル王という言葉に気をひかれたが何かあるのだろうか。
音楽が変わると今度は女性たちが一輪の花のような輪を造り踊り始めて、中心にはシーラ王国のカーロラ王女がおっとりと優しそうな瞳をした男性の手をとり跳ねるようにまわりだす。
あれがカーロラ王女が好きになったという臣下の男性だろう。
とてもお似合いだった。
どうか末長く幸せに暮らしてほしいと心の中で花束を贈る。
湿った木の手すりを腰を低くして伝い歩きながらヤヌスはどこだろうと、そもそもいるのか、私と同じく樽部屋にいるのではと考えていると、人の密度が高い場所が目につく。
ゼノン王子がミスリナ王女と腕を組んで見知らぬ老紳士と談笑している姿があった。
そこには昼間の白髪の男性もおり、傍にはデグネア王女もいた。
やはり訛りからするにヴェスタヌの貴族かあるいは王族だったりするのかもしれない。
遠目だが一瞬だけ男性と目が合ったような気がした。
はやく降りたいこの船。
「そっちは駄目」
「うわ! びっくりしたー……」
ぐい、とまた首根っこを掴まれたので上を向けば、やはりこの男、アルウェス・ロックマンである。というかもう見なくてもわかる。気配なく私の首を掴むのは奴くらいだ。
昼間とは装いが違い、白い軍服を身に纏っていた。じゃらじゃらと色んな勲章が胸元についている。
コイツは私を野良猫か何かだと思ってるんじゃないだろうな。まぁこの場においては間違っていないけれども。
「な~によもう、駄目駄目ばっかりじゃない」
「そんなこそ泥みたいに歩いてたら目立つよ」
こそ泥呼ばわりである。
こんな人混みの中よく見つかったな目ざとい奴めと思っていたが結構目立っていたらしい。
ちょうどパーティー会場からは死角になる位置に引きずり込まれる。
大量の酒樽が積まれており、薄汚れた白い布が散乱していて埃っぽい。
夜空の明るさだけが届くほの暗い場所だった。
陸の夜は草と水の匂いがするけれど、ここは海風にのる潮の香り、雨上がりのようにしっとりと、でも冬の夜みたいに冷たくて透明な空気の匂いがする。
すぐ傍で楽団が演奏しているはずなのに波の音が心地よくきこえて、まるでここの空間だけ切り取られたような感覚に陥った。
頭をぶんぶんまわし、大きく骨張った手を首から振り落とす。
ぐわんと揺れた視界には私を見下ろす男がいる。
「体調はもう大丈夫?」
「お陰さまで治癒魔法が効いたみたいね」
ぶすっと下唇を出しながらありがとうと返す。
意識を失う前にかけられたのはロックマンの治癒魔法だった。
魔法にも癖があり、同じ魔法でもあたたかさや冷たさ、かかったときに光る色や香り、纏う空気が違う。近しい人間ほどその癖はわかりやすく、昼間に私へかけられた魔法には寒い日にあたる暖かい暖炉のようなぬくもりがあった。
悔しいが治癒魔法としては優秀な心地よさがある。学校の治癒の先生が「彼には治癒の使い手になってほしいくらいだわ~」と言っていたのを思い出す。
「三ヶ月くらい会ってなかったけど」
元気にしてた? と腕を組みながら酒樽に寄りかかったロックマンを見上げると、その顔にはほんのり笑みが浮かんでいた。
緩く編まれた金色の長い髪が、身体の動きに合わせて肩から滑り落ちる。
海の水面に反射された月明かりの光が、薄く細められた赤い瞳の中で揺れていた。
「ふふん。三ヶ月と十六日よ。それよりヤヌスを探さなきゃ」
行く手を阻むロックマンにあっちへ行けと背中を向けて手をヒラヒラさせる。
しかしすぐにハッと思いついた。
私よりはロックマンのほうがヤヌスのいる場所に心当たりがあるのでは。
「違うよ、十七日」
は? 十七日? んな馬鹿な、と居場所を聞こうとしたのに寝こけていた対抗心が剥き出しになった瞬間、右手を掴まれて後ろに引き寄せられた。
よろけてロックマンの胸に背中を預ける形になり二人して倒れ込む。不覚だが私の体当たりごときで倒れる男じゃないのに、そういえば私はロックマンを押し倒すことが多い気がするのだけどそんなに軟弱なのかコイツ。
踏ん張ればいいのに何でだろう、もしかして私めちゃくちゃ重いのかなとか思いつつ足に力を入れて急いで立ち上がろうとすると、後ろから腹のあたりに手をまわされる。
「明日からまた数え直しだね」
首元にあたたかい息遣いを感じた。
セレイナの衣装はお腹が出ているので相手の手のひらの体温がじかに伝わる。少し締め付けがきつくなり、より身体がぴったりと後ろに重なると、静かで規則的な心臓の音が背中から響き渡る。
べつに強い力で抑えられているわけじゃなくて、抜け出そうと思えば抜けられるくらいの力だった。
泣きやしないけれど泣くんじゃないかってくらい一気に顔に熱が集まって、耳や首までなんなら全身が真っ赤になっているのが自分でもわかる。
思わず下を向くと私の動きを止めている手が目に入った。
うん、そうだ、これがいけないんだ。
お腹に当てられた手をどかそうと腕を掴もうとする。
「へ、へー……じゅうしちにち」
しかし気恥ずかしくなってできなかった。
私は両手で顔を覆った。
ねぇちょっと待って見た見た見たよこれ見たことあるやつこれ。ベンジャミンから借りた小説で見たというか読んだことある、恋人とかご夫婦とか今にも付き合いだしそうな男と女がやってたやつ。
こんなの生き恥だろう。
心臓が激しく動いて苦し過ぎておそらく今日寝る前に思い出してそのまま死ぬ。たぶん心臓に元気な何者かが住んでるんだと思う。元気過ぎて心臓突き破ってきて私死ぬんだ。
そもそも私みたいな恋愛のれの字もかすってこなかった人間が急にこんなことされたら脳みそが大爆発するに決まってる。
「ヘルは今日ベラの部屋でそのまま休んでもらうことになったから、休みたくなったら彼女に声をかけるといい」
「そ、そう」
ただそんな馬鹿丸出しみたいな反応をするわけにはいかないので心臓の住人をなだめつつ平然を貫き通す。私も気高い女なので自尊心は人一倍強い。
一方ロックマンは取り澄ましたような涼しい声で私を腕に囲いながら話し続けた。
「ヤヌスって子は僕の部屋で預かってるから心配しないでいいよ」
「そうなの? 良かった……ありがとう」
聞こうとしていた居場所がすぐにわかりホッと息をつく。ロックマンならドーランの人間だし安心だ。仕事の話もあるので後で会わせてもらえるように頼まなくては。
「仕事もあるだろうし、明日には二人がセレイナへ戻れるよう使い魔の許可をとるから」
「使い魔……そっか、勝手に飛べないものね。ありがとう」
それはありがたい。何から何まで世話になり申し訳ない気持ちになる。
……というか淡々と喋ってるけどコイツ平気なんだ。あ、慣れてるのか。
女の子好きだし。
そんなの昔からわかってるけどちょっとモヤモヤする……モヤモヤ? モヤモヤしてんの私。いやイライラしてるのかも。 ……イライラ? 情緒がわけわからん。
「なんだかイライラする……」
「え」
お腹にある手がピクリと動く。
私だけこんな死の淵にいるのおかしくないか。
色々と考え込んでいたおかげでさっきまで感じていた恥ずかしさが吹き飛び、腕の中で振り返った。
ロックマンは面を食らったのか、ぽかんと目蓋を大きく開けると瞬きを繰り返した。
「なんでそんなにペラペラ喋れるの? 私なんか心臓の人に殺されそうだってのに」
「殺される……?」
口を半開きにしてしばらくそのまま、こいつ何言ってんだというような訝しげな視線を向けられた。心臓の人って誰と聞かれたので心臓がうるさくてたぶん人が住んでるんだと思うわ云々と説明すれば、ロックマンは馬鹿にするように笑うと鼻を鳴らし、瞼を閉じて人差し指でこめかみをおさえる仕草をとる。
「難しすぎる」
一言呟く。
私もアホなことを口走っている自覚がないわけではないが、そうしていないと落ち着かない自分がいる。最近知ったが緊張すると私は早口になるようだ。
手紙で二人でどこかに行こうかと言われたときも、これが直接口で話されていたらどうなっていたことかと戦々恐々とした。ちなみにその件は魔物のことなど色々あって現在保留中である。
とはいえこのようなことをされて私も正直どんな反応をしたらいいかわからないためモゴモゴ口ごもっていると、お腹にあったぬくもりが離れて今度は私の両腕を大きな手が包んだ。
「けっこう好きなんだけど」
顔を寄せられて額が合わさり、ロックマンは伏し目がちにそう言った。
「もうひと押ししないとわからない?」
睫毛の本数がわかるくらい近くて、頬には息があたり、金色の前髪が私の鼻先をくすぐる。
とても優しくゆっくりな口調なのに、見たことないくらい真剣な瞳で、さっきみたいな馬鹿にしたような笑顔は見えなかった。
私はとうとう呼吸の仕方を忘れたらしい。
「あら! こんな所で逢瀬なんて、あなたたち大胆ですこと~」
え、と声がしたほうを向くと、酒樽の上から私たちを覗くベラ王女がいた。グラスを片手にニヤニヤしている。
私は渾身の力でロックマンを突き飛ばし、白い布の山へ頭を突っ込んだ。




