物語2・12(ゼノン視点)
「救助に入りますので、一度ここで船を停船いたします!」
突如、セイレ・ウィリク号の船長である男が甲板に現れた。
外に出ている者達はいったい何事かと騒がしくなる。
慌ただしく船尾から船首へ掛けていく婦人や、柵から海を見下ろそうと乗り出して覗いている者が多数がいた。
「何があったの?」
「観光客の小舟に当たったようだ。投げ出された人間が海面に浮いているとか」
ミスリナの疑問の声に、離れた場所にいた筈のヴェスタヌ王国第一王子コック・ジオル・ヴェスタヌが、こちらの輪にするりと入りこみ船先を指差した。
「それよりデグネアが君を探していたぞ?」
美しい白髪を見せつけるように靡かせ、コックはニヤリとアルウェスに声をかける。
こちらが避けていたのを知っていてのことか、目敏い男だ。
「貴方は人が悪いわ」
ミスリナは第四の兄と言っても過言ではないアルウェスに変な虫をつけようとしているコックもまた嫌いなようだった。
だが本人に悪びれる様子はない。
「にしても王太子ではなく何故ゼノンが船にいるんだい?」
アルウェスから満足のいく反応が返ってこなかったからか(無視されていた)、標的を俺に移して話題を変えてきた。
それなりに外交を意識して接してはいるものの、自分にも得て不得手があり、面には出さないが苦手な人間もいる。
率直に言えばこの男だ。
性格が更にひねくれた性悪版アルウェスのような奴である。
「兄は都合がつかなかった。父にはお前が行けと」
「だがここにいるのは次の権力者や未来を担う人間だぞ。もしやドーラン王は君を」
不躾な男だ。
彼が言わんとすることに異議を唱えようと口を開いたとき、船首のほうが騒がしくなった。
『何と美しい……』
『これはこれは、肌が宝石のように光り輝いているのは錯覚でしょうか』
『人魚の肌は日に当たると波間のように麗しく輝くと聞くわ』
『だが彼女には足があるぞ』
『こちらの男性は普通ね』
『皆さまお下がりください。万が一のこともありますので』
そんな声が聞こえる。
普通の人間を囲むにしても異様な雰囲気に俺たちは首を傾げた。
観光客が男女だということは、流れてくる会話を聞いて分かった。
ミスリナとベラは興味がおさえられないのか野次馬のごとく船首の方へ進んで行くと、それにコックとシーラ大臣も追随していった。
いったい遭難者を見てどうしたいのか。
野次馬の心は解りかねる。
「まぁ! この方って」
しばらくしてミスリナの声が響いた。
この方?
普段はそういう所へ自らは行かない質なのだが、ミスリナの声が気になり、アルウェスと共に船首へ足を向け群集の中へ歩みを進める。
開けた場所に出ると、人々の視線が向かう遭難者の男女の姿が目に入った。
俺は思わず目を見張った。
「あれは」
そしてこれまた滅多にいつもは何があろうと動じないアルウェスも、周りと同じように目を見張っていた。
「う…っ、ん……」
大勢の人間に囲まれ、その中心にぐったりと横たわっていた遭難者の女性は閉じていた瞼を険しく動かしている。
日中の今、気温は高い筈だが寒さに震えているようにも見えた。
「お嬢さん、お嬢さん」
意識が戻る気配を感じた副船長の男が彼女の肩を叩く。
海水に濡れた女性の真白い肌は、太陽の光にあたりまゆばい輝きを放っていた。
薄らと七色に光る、魚の鱗とも見紛う煌めき。
およそ常人ではないその異質な肌の美しさは、見ている者の視線を奪っていた。
むき出しになっているか細い腕と女性が着ている白いセレイナ衣装特有の臍が覗く露出過多な服装が、目にした人間をより一層惑わせている。
同じ遭難者であろう男のほうには誰も目もくれない。
「彼女は……どこかの姫君だろうか」
横でコックが瞳を輝かせて見入っていた。
宝石が散りばめられているとでもいうのか、生きた宝石があるとしたならば彼女のことを意味するのであろうと、興奮覚めやまらぬ様子で固唾を飲んでいた。
「ん……」
女性は長いまつ毛を揺らし、薄く瞬きをしている。
意識が戻ったのか、抱き起こした彼女と視線が交わったであろう副船長の男の頬には、ほんのり赤みが射していた。
「お嬢さん、お嬢さ……ま? ご、ご気分は」
副船長のカスケイドという男は目に見えて狼狽えていた。
翠の潤んだ瞳。
赤みの戻った頬。
薄桃色のふっくらとした唇。
晴れの空より澄んだ、水色の長い濡れ髪。
息が当たるほど近づいた距離に、彼は周囲の目も忘れて吸い込まれるように唇を寄せていく。
まずいことになった。
「おいアルウェス」
名前を呼び隣にいる男に目をやれば、わずかに顔をしかめていた。
俺の視線に気づいたアルウェスはこちらを横目で見る素振りを見せると、口角を上げて笑顔を見せる。
後ろ手に指を振りだしているが、静止か何かの魔法でもあの男にするつもりなのだろう。
「わたし、なんで」
渦中の人物、目の前に迫る男を気にすることなく小さく何かをつぶやいている彼女は自分を囲んでいる群衆に向けて目を丸くしていた。
自分の置かれている状況を飲み込めていないのだろう。
そしてこちらを見ると、途端大きく口を開いた。
「ーーんいやぁぁっ、ロックマン!」
先程までのしおらしげな姿を感じさせぬ、副船長の男も吃驚するほどの、開口一番怪物を見たような雄叫びを上げる女性、自身と友人と深く関わりを持つ彼女。
ここにはいないはずの人物、ナナリー・ペルセポネ・ヘル。
「……」
「……」
いつかアルウェスに聞いたことがある。
好きになった理由は何かと。
『凄く笑えるんだよね。突拍子もないというか』
我ながら何故こんなことを今思い出すのだろう。
アルウェスと視線を交わす。
俺たちは彼女を襲おうとしていた災害が引いたのを感じつつ、次には大袈裟すぎるほどの大きなため息を二人揃って吐いた。




