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物語・26

「上第室でもねぇみてーだな」


 三年時から六年時まで上第生だったサタナースが、毛先を見つめてから教室を流し見た。


 髪の毛が指す方向へ進んで行くと、実験室の前まで来る。

 これ以上先に道はない。毛が示しているのは実験室なのだろうかと扉に手をかけた。

 相手を警戒して開ける前に耳を澄ましてみるが、中から物音は何一つ聞こえない。


 カチャリと音が立ってしまうのは仕方ないが、様子をうかがいつつ扉を開けて中へと入る。窓のカーテンは開いているものの、薄暗い。


「っ、ちょっと」


 すると毛先がぴょんと飛び跳ねて私の手から離れてしまった。


 なんだなんだ、急に元気になったぞ。


 突然のことに慌てて掴もうとするが、空気を切るだけで毛はどんどん奥へと行ってしまう。

 動き回る一本の毛を遠目から、しかも薄暗いなか目視して追うのは容易じゃない。


「宿主に近づいたから元気になったのか?」


 王子は長いローブの裾を翻して額に手を当てると、人の気配なんてないが、と呟き私と同じようにグッと目を凝らして一緒に毛を探してくれた。

 見えやすいように指を鳴らして部屋に明かりを灯す。


「えっと……いた!」


 眉間にシワを寄せながら、なんとか白金の毛を見つけた。

 部屋の隅の木箱の前で直立している。

 駆け寄っていくと髪の毛は途端にシオシオと倒れ、それを最後に魔法はかからなくなった。


「ありがとうな、毛」


 ちょっと愛着が湧いていたらしいサタナースが、髪の毛を床からすくい上げて近くの机の上にのせた。

 そして全員の視線は木箱へと注がれる。

 私達の膝上まで届くくらいの大きさの、古そうな木箱。微かに埃がかかっている。


「まさか……そんなことあるか?」

「でも髪の毛はここで止まってしまいましたし……」


 目に見えて鍵はかかっていない、が。

 左隣にいたニケが膝をついて、木箱の蓋に手をかけた。


「開けるわよ」

「……待って」


 木箱に対しひっかかりを覚えた私は、腰に下げていた棍棒に手をかけてひき伸ばす。

 杖先をトンと箱につけた。


「たぶん魔法がかかってる。魔法陣かも」


 おそらく鍵の魔法だ。

 しばらく棍棒を木箱に当てていると、蝶々結びになっている蔓の絵が蓋の表面に浮かび上がった。

 これを解いてからでないと、どんなしっぺ返しの魔法が来るか分からない。女神の棍棒があって良かった。


「さすがナナリー」

「えっへっへ。いやまぁ女神の棍棒のおかげなんだけどさ」


 何かひっかかるとか言って、実は棍棒が震えていたから分かっただけなのである。

 前はこんなことなかったのだが、シュテーダルの事件以降いつからかこういう反応を示すようになっていた。武器も成長することがあるということなのだろうか。


 蝶結びになっている絵を、杖の先で違う形にする。

 これで解錠だ。


「今度こそ開けよう」

「いや、俺が開けるからお前らは下がってろ」

「大丈夫だって、私が」

「いーから」


 サタナースは私達を背に追いやると、木箱の蓋に向かって手を向けた。

 もうちょい後ろに下がれと言うので、言われる通りに木箱から離れていく。何があるかわからないから、私達を退かせてくれたのだろう。こんな時になんだが、勇ましい一面を見るとドギマギしてしまう。ベンジャミンはそんなサタナースを揺れる眼差しで見つめ、両手をぎゅっと強く握っていた。


 木箱からだいぶ距離があくと、部屋の窓は開いていないはずなのに頬へそよ風が当たった。

 ヒュウと室内に音が鳴り、サタナースの魔法によって木箱と蓋の間に風の刃が切りこまれ、古びた蓋が弾かれるように教室の隅に飛ばされる。


 吹き飛んで数秒後、箱の側にいるサタナースが、開いたそれにゆっくりと近づいていった。


「おいおい、こりゃ」

「どうしたの?」


 サタナースが呟いた言葉につられて、後ろに下がっていた私達は木箱まで近づく。


 するとそこには、白い寝間着に身を包み膝を抱えて箱の中で眠る、幼いトレイズがいた。


「な、なにこれ……どういうこと!?」


 ニケは奇妙な物でも見つめるかのように口の端を曲げた。


「さっきと違って頭には何も憑いていない……が、身体は教室にいたトレイズと同じだぞ。やっぱり、あれは誰かが彼女に化けていたんじゃなく、確実になにかが乗り移っていたんだろう。確かアルウェスが言ってたんだよな? 魔物がなんとか、と」


 念のため魔法で視てくれているゼノン王子が、トレイズから視線を移して私を見た。


「え?」


 じゃあ、



「だからよぉ、邪魔すんなって、言ったよなぁ?」


 部屋の中に響いた、濁った声。

 トレイズに集中していた私達は、教室の入り口を振り返った。


「やだ、ナナリーがっ」


 ベンジャミンが叫ぶ。


 そこには気を失っているであろう幼い私の首元を掴み、それを引きずり歩きながら怪しく笑う生徒、アルウェス・ロックマンがいた。


 赤い瞳は、ギラギラと妖しく揺れていた。

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