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物語・22

 ロックマン公爵邸。


「どうぞお入りになって。アルウェスのお見舞いに来てくれてありがとう、トレイズさん」

「いいえ、わたくしこそお見舞いすることしか出来ませんが……ほんの少しだけお顔が見られればと思いまして」

「この子が寝込むなんてそうそうないのだけど、お友達や部下の方も来てくださって、なんだか私のほうが嬉しくなってしまうのよね」


 不思議だわ、そう感慨深げに言うアルウェスの母ノルウェラ・アーノルド・ロックマンは、公爵夫人にしては派手さの少ない紫のドレスを翻し、息子が眠る部屋の扉を僅かな隙間を残して、そっと閉めた。


 アルウェスが訓練中に倒れたという報告は城を通し、生家である公爵邸へ伝えられた。

 幼い頃の魔力過多や戦闘中に傷を負わされたというならばともかく、身体を内側から壊すということは彼に限っては稀であったため、公子に起きた事態に屋敷内は一時騒然とした。

 容態が安定したアルウェスを公爵邸で引き受けてから、それはもう目まぐるしく、現在は自分の領地で生活を送っている長男のビル・アーノルドが妻を連れて見舞いに訪れたり、その妻でアルウェスの義理姉となるメリー・アーノルドの両親が数時間後には花を持って顔を見に来たり、現王妃の生家であり三大貴族のブナチール家次期当主タフナス・ブナチール・アッカルドが頭痛に効くという外国の柔い菓子を届けに来たり、同じく三大貴族モズファルト家の使者が大量の果物を届けに屋敷の扉を叩いたりと、来訪者があとを絶たなかった。


 貴族、特に親族間の情報の流れは凄まじく早い。


「……」


 部屋から遠ざかる足音を、トレイズは目を閉じて確認する。

  

 トレイズ・ドレンマンはドレンマン伯爵、ジョグセッド家の三女だった。ジョグセッド家は三大貴族ではないものの、それに次ぐ家の歴史の古さから親交は幅広く、歴史を重んじる国家の中での地位は高い。

 血がなにより尊いとされているこの世界では、一族が途絶えずに今もなお繁栄しているということが誇りとなっている。


 レースの薄いカーテンの隙間からあまく光がさしている。まばゆい宝石のような夕陽が沈んでいくのが見えた。

 それと同時に窓硝子に反射してうつる自分の暗い色のドレスが目に入ったが、そこからすぐに目をそらす。

 汚ない色だ。


 アルウェスの寝室の壁は一面書棚に囲まれていた。

 意外とは思わなかった。勤勉な人だというのは昔からわかっている。部屋の装飾も最低限で色味は少ない。


 だというのにこんなにも部屋がまぶしく見えるのは、目の前の寝台に横たわる男のせいだった。

 瀬戸物のような真白い額が金色の髪の隙間からのぞき、薄く色づいた形の良い唇が僅かに開いている。目蓋は閉じられたままで、長い睫毛には小さな塵埃がついているせいか、夕陽にあたりきらきらと星のように輝いてみえた。


 白い寝着の上を滑る長い金糸の御髪にそっと触れる。

 とても柔らかかった。


「アルウェス様……」


 ドレスの胸元に手をさし込み、隠していた短剣を取り出す。

 剣の柄には七色の宝石が煌めいている。

 紅玉髄、藍玉、黄水晶、翠玉、天青石、金剛石、黒縞瑪瑙。散りばめられたそれらは、トレイズの薄い手の平に冷たい温度を与えた。

 短剣を握りながら両手を肩に回し、震える自分の体を押さえつける。

 こんなみっともない姿は誰にも見られたくない。


 視えないものに常に監視されているような圧迫感。

 息苦しい。


 日が沈んでしまわないうちにやりとげなければならない。

 もうあとにはひけない。

 契約してしまったのだから。


 意を決して短剣を振り上げる。


「アル、」


 ずっと貴方を、あの子よりずっと昔から見てきたのに。

 幼い頃、王宮の庭で出会ってお互いのことを話した時からずっと。

 

「う、うっ……」


 ポタポタと涙がシーツの上にこぼれ落ちる。

 手に握る、冷たく硬い無機質なそれがゆらゆら揺れた。どうにも振り上げた短剣の行き場が定まらない。

 早くこの人の心臓に刺さなければならないのに。


 ほんの少しの良心が邪魔をする。


「……泣いてるの?」


 下から聞こえた声にハッとする。

 冷や汗がじっとりと肌にしみた。

 バレてしまったかと思い顔を強張らせて彼を見るが、目は瞑ったままだった。

 良かった、寝たままだ。

 けれどホッとしたのも束の間、


「泣き虫だよね……昔から」


 寝惚けているのか、起きているのか、どちらなのか分からない。

 トレイズは眠ったまま話を続けるアルウェスを見つめた。安らかな表情で、声さえ出していなければ、寝ているままだと誰もが思うだろう。


「城で……初めて会った時も泣いてたね」


 低く、途切れ途切れに紡がれる言葉に耳を澄ます。

 短剣を持つ手はその反動で、ぶるぶると震えていた。


「その短剣で僕は殺せないんだろう」


 この人は、いったいどこまで知っているのか。


「たぶん命じゃなく、記憶を殺すんだね。……それに、僕が狙いじゃないらしい」


 途切れ途切れだった喋りは、だんだんハッキリとしたものになっていく。


「誰が君の心の隙に入り込んだのかな」


 強く閉じられていた目蓋が、ゆっくりと開かれていく。


「話してごらんよ」


 短剣を床に落とした時にはもう、


「君に呪いをかけた奴のことを」


 その赤い瞳が私を捕らえていた。


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