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アルジェリア人民民主共和国〜欧州とアラブの融合国家〜(北アフリカ)

基礎データ

国名 アルジェリア民主人民共和国

 面積 238万平方キロメートル(日本の約六倍) うち砂漠面積200万平方キロメートル

 人口 4222万人(2018年)

 首都 アルジェ

 通貨 アルジェリアン・ディナール

 言語 アラビア語 ベルベル語 フランス語(国民のほとんど)

 宗教 イスラム教 スンニ派

各目GDP順位 55位

一人当たりの各目GDP順位 114位

平和度指数ランキング  111位

 

・概略


 アルジェリア民主人民共和国は、アフリカ大陸北西部に位置する国家である。スーダンから南スーダンが独立して以後アフリカ大陸最大の国家だ。

 首都アルジェは北アフリカのパリと称されるほどフランス植民地時代の面影を残しており、ヨーロッパとアフリカの調和する都市を見ることができる。またアルジェ内陸部には歴史ある街並みが残されており、城壁の跡や十一世紀建造のモスクが立ち並ぶ。

 

・歴史


 古くはフェニキア人の地中海交易で栄え、ローマ時代を経て、中世になるとイスラーム圏に取り込まれる。

 オスマン帝国の最盛期には同国の西端に位置し、キリスト教圏へ向かう海賊船やオスマン海軍の停泊地として大いに賑わった。

 バルバリア海賊などの最後の海賊たちの活躍も見られたアルジェリアだったが、アメリカとの紛争に敗北するなどして衰退していく。(ちなみにアメリカ海軍創設にはバルバリア海賊対策が深く影響している)

ナポレオン戦争の後、ヨーロッパ各国が北アフリカ各地に対して海賊行為の停止を求めるようになる。こうして弱体化したアルジェリアに1830年、フランス軍が進駐。そのまま植民地化した。

 その後は第二次世界大戦中に本土を追われたフランス政府(自由フランス)の根拠地になるなどする。

 やっと1962年にフランスから独立を勝ち取った。


・経済


 一見不毛にも見えるアルジェリア内陸部の砂漠地帯には、天然ガスや石油が豊富にある。

 資源の輸出が主要産業の一つであったために、シェール革命など様々な要因による原油価格下落の影響を受けて1980年代ごろから経済が悪化。社会主義経済から市場経済へと移行した。

 現在では自由貿易を強く推進する国家の一つであり、EUやAU(アフリカ連合)の自由貿易圏に参画している。


・軍事


 アルジェリア人民国軍は常備兵力十三万を数える。徴兵制もあり、予備役は十五万人だ。

 フランスに対する独立戦争を戦って部隊が前身となっている。日本ではあまり知られていないがアラブ世界においては特によく訓練された軍隊を保持しており、世界軍事力ランキングでは二十七位に付けている。


・その他


 ノーベル文学賞で知られる作家、アルベール=カミュの出身国である。アルジェが舞台の『異邦人』などは日本でも有名だ。


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