99話 荒木陸相就任
若槻内閣で安達内相が倒閣に動き、内閣が総辞職した時、西園寺にはいくつかの選択肢があった。
一つ目は犬養単独内閣、2つ目が犬養と若槻の協力内閣、そして最後が若槻に再度首相を任命させることも出来た。
これを受けて若槻は安達を外して内閣を組めたのだ。だが西園寺はこの選択をしなかった。もしこの時、若槻を選んでいたなら正平の留任する可能性は高く、陸軍の体制も変わっていただろう。
そして犬養政権になって陸相を誰にするかが懸案になる。
組閣するにあたり、陸軍では塚田正平陸相、金谷参謀総長、武藤信義教育総監の3長官会議行われ、ここで阿部信行と荒木貞夫の二人を陸相の候補に挙げた。
正平と金谷は宇垣派であり、3者で決めるなら、次も宇垣派の阿部になるはずだった。だが犬養から会議前に2,3人を陸相の候補に挙げてくれと言われており、もう一人を武藤の推す荒木が加えられた。
荒木は一夕会とつながりが深かい人物だ。
ここから、一夕会の様々な働きかけが始まる。
まず、一夕会中心人物の永田鉄山が政友会の小川平吉に「阿部では陸軍がまとまらない。荒木なら衆望は一致する」と働きかける。
小川と永田は同郷(長野出身)で前々から親しくしていた。
更に一夕会メンバーは政友会の有力者の鈴木貞一や森恪にも働きかける。
森は犬養に陸軍側からの候補を一人に絞らせないように進言する。
「陸軍側で一人に絞られたらどうしよもないから、公式に2,3人の陸相候補者を上げさせておいて、その中から荒木を選ぶ」
表向きは陸軍の顔を立てながら、裏で自分たちの都合の良い人物を選ぶ工作だ。
このような裏操作により犬養は荒木を陸相に据えることになった。
そして荒木は陸相になるとすぐに一夕会と協力して宇垣派追い落としを始める。
まず金谷参謀総長が退任して、後任に閑院宮戴仁親王がなる。そして翌年から真崎甚三郎を参謀次長に据え、参謀本部の実権を握っていく。
更に今村作戦課長を任期半年で更迭させ、小畑敏四郎を後任とした。
軍務局長に山岡重厚、情報部長に永田鉄山、軍事課長に山下奉文がなるなど一夕会が主要ポストを占めたことになる。
正平を始め、宇垣派は一夕会から完全にしてやられた格好だ。
永田達の一夕会は前々から陸大卒業者を中心に着々と勢力を伸ばしてきた。
それに対し、宇垣派は陸軍の要職をほぼ独占していたとはいえ、正平が一番若く、他の若手は育っていなかった。
水野は正平に近いとは言え、宇垣派の一員ではない。
宇垣派は世帯交代できておらず、そのために一挙に勢力を奪われたとも言えた。
宇垣も実はそんなに派閥の拡大に熱心ではない。
「宇垣派を許すな」と言いながら永田達の方が派閥人事をしていたのだ。
正月になると水野がやって来た。正平は陸相を退任し、家で寛いでいたところだ。
「先輩。これからどうされるのです」
「私は前と変わらないよ。前と同じように戦車と飛行機を見て回る」
「そうは言っても、先輩がいないと戦車関係の予算は削られませんか?」
「それはあるかもしれないが、もう戦車部隊の創設は正式に決まっている。予算は確実に入るよ」
「でも先輩の考えていた、戦車と飛行機の連携構想は無理でしょう」
「まあ、あれは私の夢物語だからいつか日の目を見ればいい」
話は次第に政治がらみに繋がる。
「全く、上層部は勢力争いばかりして、機械化や機動力の増加などには全く考えてない。」思わず水野の愚痴が出てしまう。
「まあ、愚痴はよせ。いずれ俺達の考えることが実現するさ。そのためには研究を重ねていこう」
「そうですがね、満州なんてそう簡単に片付きませんよ」水野は満州での駐留経験から治安の難しさを知っている。
正平の頭にも満蒙を占有できても日本の国力はあがらないと見ていた。
関東軍のように武力で占領すれば必ず反乱を招き、その治安維持のために、多くの兵力を割かなければならなくなる。
満州からの利権では満州出兵の費用に見合わないと、正平は試算していた。
だから、陸相時代は関東軍の暴走を止めようと超えてはならない一線を用意した。
それを超えようとしたら、司令官の更迭を含めて強く警告していたのだ。
そして、機会を待ってしかるべく責任者を処分をする。そんな腹積もりだった。
果たして荒木陸相がどのように対応するのか、やや不安をもって見ていたのだ。
そして、正平の懸念は当たる。この陸軍での勢力の激変は日本に大きな影響を与えていく。
宇垣派は政党政治には協力的で、国際協調も理解していた。だが、荒木陸相や一夕会は政党政治には否定的で、国際協調を重要視してなかった。
そのために、犬養は荒木や一夕会に押される形で、満州の独立国家建設構想に正式承認を与えてしまう。
若槻内閣では関東軍の暴走を何とかとどめようとしたが、今度は堂々と活動できるようになった。
また荒木は関東軍の要請に応じて、本土や朝鮮からの増員を認める。
それによって、関東軍は錦州を攻撃し、占領する。
正平たちが定めていた一線が遂に超えられ、防止ラインが消えた。
その意味で荒木陸相の就任は日本の政治外交の大きな変換点と言える。




