98話 犬養毅
31年12月元老西園寺は政友会総裁の犬養毅を首相に任命する。犬養の政治経歴は以下の通りだ
1855年6月4日、岡山県岡山市で大庄屋の次男として生まれ、90年の第1回衆議院議員総選挙で当選し、それ以来連続当選しており、政党政治家の最長老でもあった。尾崎行雄(咢堂)とともに「憲政の神様」と呼ばれた。
初議員となり出身議員とともに中国進歩党を結成し、進歩党・憲政本党の結成に参加、その後立憲国民党などにも所属する。ただここで、政府の切り崩し工作により立憲国民党は大幅に勢力を削がれるなどして、小政党を率いることとの悲哀を受けている。文相や逓信相なども歴任をし、加藤高明の護憲内閣成立にも協力している。
長らく政友会を目の敵にしていたが、小政党を率いることに限界を感じたのか、率いていた革新倶楽部を立憲政友会に吸収させ、自らは政界を引退し、富士見高原の山荘に引きこもった。だが、これを地元の岡山では認めなかった。彼を勝手に衆議院選挙の立候補とし、当選させ続けてしまう。更に政友会総裁の田中義一が亡くなると後継総裁をめぐって鈴木喜三郎と床次竹二郎が激しく争うようになり、党分裂の危機になる。そこで党内の融和派が引退状態の犬養担ぎ出しに動き、嫌がる彼を強引に説得して、総裁に担ぎ出したのだ。こうして原敬、浜口雄幸に続く3人目の衆議院議員の首相となる。
ここで犬養は組閣の大命が下るとただちに解散・総選挙を実施する。
32年2月に行われた総選挙では、蔵相に高橋是清を当てて直ちに金輸出再禁止を行い、積極財政にして景気を回復させると訴える。こうした姿勢が国民から評価され、政友会は300議席を超す大勝利した。
高橋蔵相のしようとすることは、井上準之助の“健全財政”の否定である。
昭和恐慌の対処として、赤字公債を発行して、景気を刺激し、景気回復を図った。一見無謀にも思えたがこの策が功を奏して、世界各国が未だに恐慌から抜け出せない中で、日本はいち早く脱することが出来たのだ。
それは犬養と高橋の老練な手腕であり、高く評価できる。浜口内閣の経済の失敗を見事に克服できた。民主政治の良さは国民の意思で政治を掛けられることにある。選挙によって国民の意思が示され、それに後押しを受けて高橋蔵相は大胆な経済政策を打ち出すことができた。
その反面、前政権からの課題だった満州問題には頭を悩ますことになる。
犬養は満州における支那の主権をある程度認めながら、日本の利権を確保しようとして、国民政府との妥協を考えていた。腹心で元記者の萱野を支那におくり交渉させるが、内閣書記官の森 恪や軍部が妨害して失敗する。陸軍や森は満州に親日の独立政権を目論んでおり、犬養の計画は最初から破綻の要因を抱えていた。
もう一つ負の面を犬養は抱えていた。犬養は野党時代に鳩山一郎などと共に、浜口政権の進めていたロンドン軍縮条約締結に反対し、「統帥権の干犯」を持ち出し非難した。これは統帥権が政治利用できることを軍部に教えたようなもので、それ以後軍部は政治に強く関与するようになり、暴走することになる。これが日本の民主主義と政党政治の衰退を招く結果となったのだ。
鳩山の様に政治信念が右にも左にも変節した者ならともかく、犬養は長く政党政治、民主主義を掲げ、引っ張って来た政治家だ。それが、自ら政党政治、民主主義を壊す行為を行ってしまった。犬養の政治経歴に最大の汚点と言える。
それがまた彼の政権運営に影を落とす。軍部の圧力により、増大した予算の多くを軍事支出に当てなくてはならなくなった。“統帥権”と言う護符を持った軍部に彼は抵抗できなくなっていた。犬養も高橋も軍事予算の増大に歯止めを掛けようとするのだが、これが軍人たちの反発を呼び、やがて彼らの“悲劇”を呼ぶことになる。
「どうだ、政権が変って、何か変化ができたか?」たまたま家にやって来た安田に正平は聞いている。半年間政権に関わることで、経済の重要性を改めて認識した。経済状況が振るわない中での軍事費拡大など出来ない。それだけに周囲の中で、景気のことに一番敏感な安田の意見は貴重だ。
「明らかに世間の雰囲気が変わりましたね。今まではお先真っ暗で、誰も足元ばかり見て、前を見て歩いていませんでした。その日の生活をするのが精一杯でしたよ。
今でもその日暮らしに違いありませんが、何かこう明日のことも考えられるようになってきたんではないでしょうか」
安田の「足元ばかり見て、前を見て歩けない」とは彼らしい表現だが、人々が俯いて希望を持ってなかったことをうまく表している。確かに政権が変って、世間の雰囲気が明るくなったのは分かる。
「就職状況はどうだ?」
「そっちのほうはまだまだですね。企業の就職窓口は少しは人を雇いたいと思うようになっていますが、会社全体では雇用を増やすまで行きませんね」
景気の循環で株式などはいち早く現れるが、就職や設備投資などは後からついてくる。企業が人を増やすと考えるとしても、まず仕事の経験者からになる。新卒のまして女生徒の受け入れはまだ先のようだ。
「こればかりは留松の努力だけでは難しいだろうが、今後も努力してくれ」
そう言って、送り出した。




