97話 若槻内閣不一致
この陸軍首脳部と内閣の行動は一夕会のメンバーを戸惑わせた。彼らは満州事変の対応で若槻首相や井上蔵相、幣原外相と正平たち陸軍首脳部が対立して、内閣が割れ、総辞職するのを狙っていた。
事実、若槻首相と塚田陸相の初期の対応は異なっていて、いつ総退陣してもおかしくない状況だった。それが意外にも若槻が関東軍の行動を黙認し、責任追及しない考えを取り、陸相中心にして戦線拡大防止に動いている。事態は沈静化されてゆく気配だ。
「まずい。このままでは人事交代(3月)を迎えてしまう。今のままなら陸軍首脳は宇垣派が握り続けるだろう」一夕会リーダーの永田は手詰まり感を持ち始めた。
「石原たちもこれ以上関東軍を暴走できない。このまま事態が収まり、そうなれば、今回の満州事変の責任を問われかねない。明らかに関東軍の独断越境行為は重大だし、それを支持した我々の責任は免れない」
だが、永田にはそれ以上打つ手がなかった。
その上で、新たな軍部の騒ぎが国内に持ち上がる。
10月17日に陸軍の桜会を中心にした軍事クーデター計画が発覚した。
前に書いた3月事件に似通ることが多い事件だ。
橋本欣五郎参謀本部ロシア班長が中心になり、桜会メンバーが近衛師団・陸軍第一師団を動員して、主要閣僚や宮中重臣を襲撃して、荒木貞夫教育部本部長を擁立しようとするものだ。明らかに机上の空論の域を出ず、計画は幼稚としか言いようがない。
橋本らの計画は桜会会員から直接今村作戦課長に知らされ、これが永田にも伝わる。
「たとえ志は良かったとしても、こんな案で、大事を決行しようとは驚くばかりだ。考えた者達の頭の幼稚さには恐れ入る。」とばかりため息をついた。
結局橋本たちは憲兵に拘束され、クーデターは未然に終わる。
永田にとり、この騒ぎは良い事態と考えなかった。
「いずれ事態が収拾すれば、今度の事件も問い直される。我々には責任はないが、陸軍の不祥事として残る。」
正平はこの3月と10月の事件を一緒に、事件関係者を処分してやるつもりだった。
「一夕会に関係ないようだが、事件を軽い処分にしたのは、あのメンバーたちだ。俺のクビと一緒に彼らも葬り去る。
満州事変の俺の責任は免れないとして、この際、俺の道連れに奴らも引きずり込む。」
正平の一夕会一掃計画は次第に具体化していく。水野の報告で、一夕会メンバーのリストはほぼ出そろった。
後は、後任人事に手を付ければ出そろう段階になっていた。
「年末を過ぎればほとんどの人事は固まる。もはや永田達に手出しさせない」
正平にとって今回の事件は一夕会の敵失と考えられ、またとない好機に思えていた。
ところが、この事件が若槻首相の神経に相当な負担を与えてしまった。
彼は清廉潔白で、官僚上がりの理路整然とした考えがある。正平の説得を受けて、関東軍の行動を追認する形になったが、それは彼の本意ではない。その本心になかったことをしなくてはならないことに加え、10月事件が彼の心に重くのしかかる。
「なんで、こうも思う通りならないのか?」夜も眠れない日が続いた。
彼が、浜口の様に早くから党人政治を目指していたなら、このくらいの逆境は何も思わなかっただろう。だが、彼は官僚意識が抜けきらなかった。
官僚なら、上意下達が当たり前で、上司の命令に部下は従わなければならない。それが政治では思うようにならない。
「みんな、何で首相に逆らうのか?」日増しに憂いは深まっていく。
それは傍目でも分かるほどの衰弱ぶりだった。
「これ以上、首相に負担はかけられない。ここは政友会とも協力して乗り切るべきではないのか」安達健三内相はこう提言した。この考えに若槻も傾いていく。だが、簡単にことはまとまらない。
「そんな、政友会と連携してはこれまでやって来たことが無駄になる」井上準之助蔵相は断固として反対したのだ。
井上にすればそれまでの緊縮財政を維持したい気持ちだった。政友会との連携は緊縮財政蜂起に繋がるからだ。
そして幣原外相も協調外交を維持するためにもあくまでも単独内閣に拘り、さらに正平も金谷も若槻内閣に協力していく方針に変わりない。結局、若槻は安達に政友会との連立を拒否する意向を示した。
ところが、安達はそれで引き下がらなかった。
11月21日に安達が「協力内閣を樹立する」と記者会見で声明してしまう。彼は既に政友会の久原房之介政友会幹事長と協力内閣の取り決めをしていたのだ。若槻に言われたから協力内閣を引っ込めますと言えなかった。
そして、安達は周辺の議員を誘って、屋敷に籠ってしまう。若槻は安達に内相辞職を迫るが、安達は拒否する。
この当時の内閣では首相に他の閣僚への罷免権はない。閣僚の誰かが反対を貫けば、内閣不一致で総辞職しなければならない。
安達が自身の辞職だけに留まらず、内閣総辞職まで突き進んだのかは理解に苦しむ。
彼は党人派の代表人物で、立憲民政党では若槻に次ぐ地位にある。彼が単独で辞職したなら、党にそのまま居続けられたし、巻き返して党総裁にもありつけた。だが、総辞職に追い込んだことで安達は党を除名され、その後再び、政治に深く関与できなくなった。
彼の側近の行動で彼の野望をある程度推測できる。彼の側近の一人、中野正剛はたびたび一夕会と仲が良かった荒木貞夫教育総監部本部長と度々接触していた。あるいは荒木と中野との間で、政友会が政権を取った時、荒木に陸相を、そして安達には要職を与えられることになっていたのかもしれない。
しかし、それはあくまでも推測でしかない。安達の強情な姿勢で、若槻内閣は世間に不一致を露呈することになり、政権を維持できなくなる。
12月11日、とうとう若槻内閣は総辞職することになってしまった。
これによって、正平の目論んだ陸軍から一夕会を一掃する計画は危うくなる。




