96話 正平の対応
満州事変の急転により、正平は金谷参謀総長と協議して、今後の対策を練った。
「こんな関東軍の独断専行など許さない。」それが正平の考えだった。
「ただ、事態は急変しており、もはや関東軍の行動を抑えきれなくなっている」
「それは分かっている。ただ、今度の騒ぎは一夕会の仕組んだものだ。一夕会を締め上げれば落ち着くはずだ」
「ええ確かにそうです。次の交代人事で、もう彼らの勝手にはさせません。」
陸軍上層部や参謀本部はもうすぐ人事交代する時期になる。この時期を捉えて二人は一夕会に加わる者達を失脚させる構想だ。
一夕会は陸軍大学卒の若手軍人の集まりだったが、この時期になると陸軍中央と参謀本部に、主要な地位を占めるようになっていて、陸軍を左右するまでになっていた。そして満州事変はこのメンバーが企んだことと、二人は見ていた。
「もう一夕会に好き勝手させてはならない」それが二人の認識だった。
二人は宇垣派に所属して、何度も話し合って考え方が多く一致している。
宇垣は政府に協力して、国際協調を進めながら陸軍の近代化を推し進めようと考えていた。その考えに多くのメンバーも共有しており、現政権に近い二人は協力し合う仲でもある。
「首相には、直ちに撤兵するのは現実的でないことを説明する。その上で、これ以上の戦線を拡大しない対策を執ると説明しよう」
「私は参謀本部内の一夕会メンバーを洗い出しましておきます」
「それには水野雄二を当てよう。それと宇垣さんとの連絡も頼む」
盧溝橋事件の詳細が分かるにつけ、関東軍による破壊工作を確認できるようになっていた。それなのに事件直後に行われた会議では碌に調査をすることもなく更なる造兵迄決めている。明らかに国内の参謀本部と関東軍の一部とが事前に示し合わせていたとみて良い。
この責任を追及したいのはやまやまだが、満州での事態は急変しており、人事にすぐ取り掛かれない。それで二人は当面満州での戦線拡大を防ぎ、事態が収まったところで人事に手を着けることで一致した。それには若槻内閣に関東軍を強引に抑え付けるのではなく、ある程度現状を認めて置き、事態が収まった段階で責任追及と人事に着手する方針を認めさせることだった。
その足で正平は首相と協議した。
「今度の事態は関東軍の独断によるものです。彼らの責任を糾弾しなくてはならない」若槻は強い口調で言った。
「今それを持ち出せば軍部は割れます。軍部の強硬意見は大勢を占めており、ここで独断越境を持ち出せば収拾がつかなくなる」
「陸相の考えは分かりますが、中国政府が国際連盟に提訴する動きを見せている。このままでは日本は世界から非難を浴びる。」
若槻は国際協調を外交基軸に据えており、欧米からの非難は獄力避けたい方針だ。それでなくとも中国政府は満州事変で国際連盟に日本軍の行動を非難し、訴えてもいた。
また宮中に働きかけ、「陛下の軍隊(関東軍)が御裁可なしに出動するようでは、政府に止めることはできない」と苦境を訴えてもいた。だが、宮中の重臣は「内閣が一丸となって取り組めば、軍部を追いさえ切れるはずだ。この難局に際し、首相が陛下の力に頼るのは『他力本願』である」と答えた。
つまり若槻は欧米や中国政府からの反発を受け、しかも宮中からは見放される形になっていた。
若槻は内外共に八方ふさがりで、事態を強引にでも押さえつけなければならなくなっていた。彼は関東軍の独断越境を処断し、即時停戦、撤退にしなければならないと固く考えていたのだ。
だが、正平の考えでは、関東軍は既に南満州の鉄道地域から、北満州などに進撃しており、これを直ちに撤退させるのは無理だった。さらに陸軍の責任まで問いただすと収拾がつかなくなるのは目に見えている。
「関東軍は緒戦の勝利で浮き上がっている。彼らを説得し、撤退させるのは難しい。いまここで即時停戦を命じても彼らの中に聞く者はいません。ならば、ある境界線を今からも敷いて置いて、それを関東軍が踏み越えてしまえば、断固とした処置をとるのです。責任はその後からでも追及できます。今はこれ以上の拡大をどうやって防ぐかに力を注ぐべきです」
「それでは、今までの関東軍の行動を黙認することになる。関東軍の行動は明らかに軍紀に反している。それを黙って見ていろと言うのか」
「出兵してない前なら、まだ収集は出来ます。出兵後に、その経費を出さなければ、兵は一日も動くことは出来ません。これを引き返ともなれば、満州において、1個師団ぐらいの兵力ではとても保てません。満州を手放し、邦人の居留民の財産と生命が脅かされます。それでも良いのですか?」
「うーん。」若槻は苦渋しながら同意する。
10月22日の閣議で、これまでの関東軍の行動と朝鮮軍の派遣が追認され、必要な経費も認められた。それを踏まえて、「これ以上の戦線拡大を絶対防止すする」姿勢で一致した。そこで若槻は関東軍の独断越境には言及をしなかった。
更に天皇から「戦線不拡大」の方針が示された。これにより正平たちは一夕会の企みに歯止めをかける名分を得ることができた。
正平は直ちに、北満州と錦州への進軍を絶対防止する方針を掲げる。北満州はソ連との国境に近いうえ、ロシア時代からの影響がなおもあり、現在もなお中東鉄道には、ソ連政府の権益が残っていた。ここに進撃すればソ連との紛争に繋がりかねない懸念がある。また錦州は満州奉天と北京の間に位置し、軍事・交通の要衝で、張作霖の息子の張学良が拠点にしていた。張学良は蒋介石と連携しており、これ以上の中国政府からの反発は受けたくなかった。しかも錦州にはイギリス資本で作られた北寧鉄道があり、国際関係にも影響を及ぼすと考えられた。
11月になって、関東軍は北満州黒竜江省の省都チチハルに進撃する。チチハルには馬占山が黒竜江省の警備をしており、衝突する。厳寒の中で死傷者200名を超す激しい戦闘が行われ、馬占山を撤退させた。ここで金谷参謀長は自ら乗り込んで、関東軍司令官以下の更迭も考えるとの強い意思を示した。これには関東軍も命令に従うしかなく、わずかな守備兵を残し撤退した。
さらに11月26日になって、土居原奉天局長の策謀によって、天津で日本軍と中国軍が衝突する。関東軍主力はこれを支援するため、錦州に向かう。ここでも建川作戦部長が「関東軍がみだりに中央部の意図を蹂躙して、裏を掻くような行為は絶対容認できない。それに反するようなら大いなる決断を考える」と関東軍上層部の更迭を匂わすように電文を発する。これによって関東軍の錦州進出は食い止められた。
正平たち宇垣派は一定の範囲で関東軍の暴走を食い止めることが出来た。それは一夕会への反撃にもなる。
このまま事態が収まれば、次の人事で一夕会を粛清する。
勿論、正平も金谷も関東軍の暴走を止められなかった責任を負う覚悟であり、退任するつもりだ。その後任の陸相と参謀総長は再び宇垣派が握れば良いと言う考えだ。
一夕会のメンバーも一緒に巻き込んで辞退に追い込み、主なメンバーは予備役に回してやる。
正平と金谷が目論んだ構想はほぼ実現しかかっていた。




