93話 陸軍大臣就任
31年4月に浜口は健康回復が難しいことから首相を辞任する。銃で襲撃されてから5カ月のことだ。
彼については、史上最悪の総理大臣と評する人もいる。確かに世界恐慌の最中に無理な「金解禁」を行うのは、あまりに日本経済を危険にさらす行為だった。これにより日本は昭和恐慌と呼ばれる未曽有の最悪経済状況に陥る。
昭和恐慌の時に、アメリカへの絹製品の輸出がほとんど途絶え、それの原料を生産していた農村は疲弊しきった。農民の中には娘を売なければ食べていけなくなった者までいた。30年代初期の頃、日本の農民の数は全人口の半分ほどだった。明治維新の頃は85%も占めていたのだから、相当減少していたのだが、それでも国全体の半分を占めていた。当時の生産額では農業など第一次産業は全体の30%にもならない。全人口の半分もいて30%しか生産できなかったので、いかに農家の生産性が低かったのかが分かる。農民はそれだけ貧しかった。
そして農家が痛手を負えば、都市にまで悪影響は広がる。都市には失業者が溢れて自殺する者も多く発生した。浜口内閣で「金解禁」をしなければ、娼婦に身を落とさない女性や死なずに済んだ人もいただろう。彼の日本を過去最悪の経済に陥らせた責任は重い。
そして、経済の悪化が浜口内閣の評判を落とし、襲撃事件を引き起こしたとも言える。浜口の評判が良ければ、襲撃事件が起きなかった可能性もある。
ただ、私は軍部の力を制限しようとした点は評価している。軍部の暴走が日本を破滅に導こうとしていたのだ。これを何としても防ごうとしたことに着目しても良いのではないのか。彼の内閣で軍事費の予算は削られている。
それと、彼の時に女性参政権が衆議院を通過している。貴族院で反対され日の目を見なかったが、彼が襲撃を受けていなければ女性参政権は早期に実現していただろう。
浜口の辞任を受け、西園寺は立憲民政党の総裁になった若槻を首相に任命する。
第二次若槻内閣の始まりだ。
若槻はほとんどの閣僚を前の内閣から引き継いだ。ただ宇垣が辞任した陸相と商工大臣だけを変えている。
陸軍大臣には塚田正平が任命された。
「俺の後を頼んだぞ」宇垣はそう言って正平を後押しした。それは軍の近代化、つまり戦車と飛行機の導入を意味する。
正平の陸軍近代化策は次の回に話すとして、まず評判を見てみよう。
新聞各紙は新内閣の顔ぶれで、異才の風貌の正平をまず取り上げた。
「昭和の伊達政宗」「陸軍の柳生十兵衛」「独眼竜塚田正平」と異名を与える。
正平の片目になった理由やアメリカ人と結婚していることにも好奇の目で紹介された。
中には関東震災後に、正平がいち早く現地を見回り、救助などを行っていたことにも触れていた。
特に簡易宿舎に被災した住民を住まわせたことに好意的に扱っていた。
「あの時、塚田閣下のおかげで寒い冬も凍えずに迎えられました」と住民の声も載せている。
「私は神様のように手を合わせましたよ」正平とあったことのある老婦人はそのように言った。
勿論、身内は大喜びだ。
メアリは正平の乗っている新聞記事を切り抜きスクラップにしている。
また安田は真っ先にお祝いに駆けつけてくる。
「やりましたね。流石にうちの大将です。これで、私も鼻が高いです」と泣き出さんばかりの喜びようだ。
彼が運動している女生徒の就職口がこれで少しは多くなれば、良いことは違いない。目に見えて増えるとは思えないが黙って聞いていた。
そして正平は桑原に挨拶に行く。その日は桑原夫妻揃って迎えてくれた。
「まずはおめでとうと言いたい。だが、大事なのはこれからだな」
にこやかにお祝いを述べる夫人とは対照的に、桑原本人は厳しい顔つきだ。
二人きりになると、初入閣した事情を訊いてきた。
「お前の後ろ盾は宇垣か」少し苦虫をかじった表情で言ってくる。
桑原は政友会に近い。元来宇垣も政友会には近いとされていたが、立憲民政党に近づき、陸相になるなど桑原は良く見てない。
「宇垣は出世を求めて、民政党に鞍替えした」と思っていた。
だから、我が子のように思っている正平が宇垣と親しいのはどうも釈然してない。
「私の考えを実現するためには宇垣さんの力を借りたいです」桑原が気難しい顔をしても、正平はそう答えるしかない。
「それは分かるが、今の民政党では長く持つまい」
官僚としての経験から、近い将来の桑原は政権交代を感じ取っていた。
「今の民政党は評判が悪すぎる。正平が民政党内閣の大臣になったのはよいが、それが将来良いことになるとは思えない」
親心と老婆心で桑原は心配していた。
浜口内閣の失政とも言える経済策で世の中は不況で真っ暗だった。
浜口が銃撃されたのは、統帥権のことが引き金であるが、根底には不景気で政府の評判が悪かったことにある。
ところが、いまだに民政党は有効な経済対策をしようとしない。頑なに健全財政をぶち上げていた。
「こんなやり方では長く持つまい。できれば塚田も深入りしない方がいい」
桑原は民政党と深く関りを持つことで正平の経歴に傷が付くのを怖れてもいた。
「はい、分かりました」苦言に頷くしかなかった。
実際には若槻内閣の陸相には宇垣の直系、南次郎大将が就任している。
この話をしていくとどうしても史実に反することになります。
その点についてあまり鋭い突っ込みはどうかご容赦ください。




