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旭日に顔を上げよ  作者: 寿和丸
11章 混乱の幕開け
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92話 3月事件

前話での国会議員による呆れた所業を見たエリート将校達は具体的な行動を考え始める。

31年3月20日を期して、日本陸軍の中堅幹部はクーデターを目指して行く。


以前から陸軍の高級将校の中、橋本欣五郎中佐、長勇ちょういさむ少佐、田中清少佐、支那課長・重藤千秋しげとうちあき大佐らが、政治結社「桜会」を結成していた。これと民間の右翼思想家の大川周明とが結びつく形で、クーデターを決意する。

この中でも大川は積極的に動いた。彼は山形県酒田の出身で、東京帝国大文学部(印度哲学科専攻)を卒業し、漢学の素養がありながらキリスト教に帰依するなど幅広い面がある。英語、フランス語、ドイツ語、サンスクリットの各言語に通暁するほか、中国語、ギリシャ語、アラビア語などにも習得を目指したと言われるほどその知識は多方面に亘る。また貴族院議員の徳川義親侯爵とから金銭的援助を受けており、クーデターの時も徳川候からの資金援助を期待していた。


破壊活動は大川が計画する。これに永田鉄山てつざん軍事課長、岡村寧次やすじ補任課長ら当時の陸軍上層部や社会民衆党の赤松克麿かつまろ、亀井貫一郎、右翼活動家の清水行之助らも参画したと言われるが、永山や岡村たちは計画に反対だったとも言われ正確なことは分からない。

その計画とは次の通り。

まず3月20日頃に大川、亀井らが1万人の大衆を動員して議会を包囲する。

さらに政友会、民政党の本部や首相官邸を爆撃する。

この混乱に乗じて、第1師団の軍隊を出動させて戒厳令を敷き、議場に突入して浜口内閣の総辞職を要求する。

浜口に代わって宇垣一成陸相を首班とする軍事政権を樹立させるという計画だった。


以上見ての通りこの計画は綿密に練られたものでない。

まず1月あるいは2月の頃、大川は宇垣の真意を確認するために会ったとされている。

そこで大川は婉曲に「東京で暴動が起って、首相への出馬を要請されたらどうするか」と尋ねるのだが、そんなことで宇垣が本心を打ち明けてくれると言うのだろうか。宇垣は、「国家に有事があれば身命を捨てて乗り出す」と当たり障りのない答をするにとどまった。これを受けて大川は宇垣が計画に賛成したと判断したとされるのだが、これで真意を聞けたと言うのならあまりに抜けているだろう。

しかも2月に社会民衆党などが、事件の予行演習として、日比谷で内閣糾弾演説会を開いて、議会に向けてデモを行うのだが、動員された人数は予想よりもはるかに小規模であった。これで大川のいう「1万人デモ」など実現の見込みなどない。桜会内部でもクーデター計画の中止する意見が出るほどとなった。


永田鉄山などはこの計画に「時期尚早」と反対をしたとも言われている。

さらに第1師団長の真崎は、3月15日にクーデターの計画を聞き、永田に警告している。警備司令官に対しても、「もし左様な場合には、自分は第一師団長として、警備司令官の指揮命令を奉じない。あるいは大臣でも次官でも、逆に自分が征伐するかもしれんから、左様ご了承を」と通告しているのだ。出動させようとする軍隊の団長が真っ向から反対するのだから、ほぼ不可能だ。

3月6日に大川は宇垣に「混乱した現在の日本を救う者はあなたしかいない。(…)政党からも出馬を願うだろうが、腐敗した政党などにかつがれるな。」という意味の書簡を送っている。ただ、このくらいのことで宇垣の心が動くとは思えない。大川は博識もあり、国に対して熱い思いもあったのだろうが、人を動かす、あるいは人を使うことには不得手のようだ。

そして最終段階に至って宇垣がクーデターに反対してしまい、計画は立ち消え、決行予定日直前の3月17日になって撤回された。

以上が3月事件のあらましだ。


事件は極秘にされ関係者は何のお咎めもなく処分なしにおわる。昭和天皇にも半年も経ってから知らされた。

陸軍でも参謀本部の一部や宇垣の側近の将校には知らされている。だが、正平は全くの蚊帳の外だった。

それだけ、正平が派閥争いや人事抗争には無関心の裏返しと言える。

その後の事件の影響だが、これで陸軍将校達の暗躍は消えずに新たな事件が起こるのだが、それは又後で話す。


そして事件の一方の当事者であった宇垣陸相は、事件の責任を感じたのか辞任して、朝鮮総督になった。

宇垣がどの時点でこの計画を知ったのかは不明だ。計画立案の頃から知らされたという説から最後の段階で知らされたと言う説まである。

ただ、宇垣がクーデター計画に乗る気にならなかった理由は分かる。

彼は当時立憲民政党とは非常に近く、総裁の就任も視野に入っていた。政党の総裁になれば首相の座は自然に転がり込む。そんな時に敢えて、非合法の手段で首相になろうとはしないだろう。

ただ、これは宇垣にとっての人生の分かれ目でもあった。


これ以後、陸軍における宇垣の影響力は急速に衰えていく。

宇垣はもともと軍縮に積極的で、陸軍将校の数も減らしている。これに伴って、同僚や先輩が首を切られた陸軍将校には彼に対して不満があった。

それでも宇垣の軍縮は陸軍の近代化を促進する目的があったため、不満は抑えられていたのだ。

しかし、今度のクーデターで担ぎ上げられようとして、神輿から降りてしまった宇垣に対し、陸軍将校の評価は一気に落ちてしまったのだ。

「肝心の時に、逃げてしまった。あれでは信頼できない」

陸軍の中で宇垣派の基盤が崩れることになり、それが今後の陸軍内部に地殻変動を巻き起こすことになる。


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