90話 浜口首相襲撃事件
30年11月14日、浜口首相は神戸行き特急「燕」に乗ろうとして、東京駅の第4ホームを移動中、佐郷屋留雄に至近距離から銃撃される。すぐに駅長室に運び込まれ、後に東京帝国大学医学部病院に搬送された。
銃撃された時、気丈にも首相は「大丈夫」と言い、意識もはっきりしていたが、骨盤を砕かれる重傷であった。銃撃の衝撃を強く感じず、ステッキ位のもので強く押し込まれたように感じたといい、「うむ、殺ったな」「殺されるには少し早いな」との言葉を残している。病院にて腸の30%を摘出すると言う大手術の後、一命をとりとめた。
「なんてことなのでしょう」メアリはニュースを聞いて絶句した。
アメリカでも銃を使った暴力事件はよくあることだったし、リンカーン大統領の暗殺事件は特に有名だった。
「日本は銃撃事件が少ないと思っていたのに、こんなことが起こるのね」
メアリは浜口内閣が女性参政権に理解していることを高く評価しており、浜口に同情的だった。
「全くこれは許されないことだ」浜口首相の経済運営には批判的な正平もメアリと一緒で憤慨を隠さなかった。
「まあ、今は総理の一刻も早い回復を願うしかないよ」
「ええ、そうね。祈りましょう」
入院中は幣原外相が首相代理を務め、翌31年1月に退院した。しかし、野党政友会の鳩山一郎は執拗に「登壇しろ」と迫り、3月10日に無理して衆議院に姿を見せた。それでも納得しない野党はしつこく登壇を求め、これを受け18日に登るが声はかすれ、容態の思わしくないことを伺われた。
4月4日に再入院し、5日に再手術を受け、これ以上の続行は無理と判断して、13日に首領を辞任した。
「あれはひどいですぜ。いくら政敵だと言っても、病人を無理やり国会にまで呼びつけ、発言させるなんて人のやることじゃない」2カ月ぶりに訪れてきた安田は会うなり、憤慨をぶちまけてくる。彼の持っている新聞には浜口首相辞任の記事が見える。
「おいおい。俺は鳩山さんじゃないぞ。俺に食って掛かることないだろ」
「いや、すいません。ですが気に食わない奴なら殺してしまう考えは許せません。そして重傷を負った人間に階段を登らせて困らせるなんて、人のやることではありませんよ」
「お前は日頃、不況は首相の所為だと言っていたが、それはどうした」
「それとこれとは違いまさあ。人としてしてはならないことをあの野郎はしたんですぜ。あれで『友愛』なんて、口にしているんだから、開いた口が塞がりませんよ」安田はひとしきり政友会の悪口を言った後、ようやく報告に移る。
今の彼は大学から信頼されるようになり、いくつかの紹介状を持って企業に卒業予定者の就職口を切り開いている。また小間物屋も開いており、そちらからでも食うに困らない程度の収入を得るようになっている。
「女生徒が普通に就職できるようになれば、女性の地位も上がる。頑張ってくれ」正平は労うようにして励ました。
その後の浜口首相は、退院して療養に努めていたものの、8月26日に放線菌症のために死去する。享年62歳。
「残念よね。彼なら女性の地位向上に役立ってくれると思っていたのに」
去年生まれた娘をあやしながらメアリはひどく嘆いた。
こんな時に、正平は二人の妻の違いを感じてしまう。先妻の良子なら娘にかかりきりでまず政治のことなど話題にしないだろうが、メアリは娘も政治も大事と思っている。
良子は京都で生まれ育った『京女』らしくおしとやかで物静かだったが、芯は強いものがあった。政治には全く口を挟まないが、家庭のことは仕切る意思があった。それに比べ、メアリは政治について日頃から口にした。
これはどちらが良いと言うよりも二人の気質や生まれによるものと考えて、正平は好きにさせていた。
なお首相を襲った犯人の佐郷屋は、取り調べで「浜口は社会を不安に落としめて、陛下の統帥権を犯した。だからやった。何が悪い」と悪びれずに言った。しかし「統帥権とは何か」と問われると、答えることができなかったと言う。彼の出生や学歴からして、統帥権を理解していたとは到底思えない。
佐郷屋は満州の生まれで、朝鮮の小学校を卒業した後すぐ家出し、福岡にいた母親のもとに暮らすようになる。水夫などをして各地を転々とした後、上京して右翼団体の黒龍会の渡辺義久の世話を受けるようになった。渡辺が殴打される事件があり、腹を立て彼は仕返しに相手に傷害を負わせ、執行猶予4年の刑を受ける。30年7月に右翼団体の愛国社に入り、そのすぐ後の11月に事件を起こした。
浜口首相が細菌の保有者で、死因がこの菌が傷口から侵入し化膿によるものだったことから殺人罪に問われずに、殺人未遂として起訴される。しかし、33年に殺人罪として死刑判決を受けるも、34年に恩赦により無期懲役に減刑され、40年には仮出所している。
また佐郷屋に凶器の銃を渡した岩田愛之助と松木良勝も幇助の罪で逮捕され、岩田は懲役4年、松木は懲役13年の判決を受けている。
佐郷屋が判決を受けた33年には、作家の小林多喜二が強引な取り調べで亡くなっている。当時の犯罪の処遇には偏りが大きすぎると思うのは筆者だけだろうか。




