9話 幼年学校(改)
このころ中学に進学する者は金持ちの子供だけで、正平も小役人にすぎない父親の給与では中学を半分あきらめていた。
「幼年学校に入っても金がかかる、まず、丁稚奉公をしてからだ。うちは貧乏人の子沢山で、弟たちがもう少し大きくならなければいけないだろう」
彼を筆頭に下に5人の弟と妹がいた。
「俺が、働きに行かないと弟たちがろくに飯を食えない」吉岡からどこに行っても勉強は続けるように言われてきた。
(いまここで上の学校に行けなくても、いずれ働いて金を溜め、学校に行く)そんな決意があった。
そんな彼に転機が起きた。進学をあきらめた正平を残念に思った吉岡が正平の進学を両親に説得しに来てくれたのだ。
「正平君はまれにみる頭の良い子です。このまま丁稚奉公で市井に埋めさせるのは勿体ない」
「ですが、家ではとても正平を中学にやれる金がありません」父親は余計な口を効くなと言わぬばかりの対応だった。
「私の先輩が東京にいて、正平君のことを話したら、学費や生活の一切の面倒を見てくれると仰ってくれています。
先輩の桑原さんは政府の要人で、屋敷も大きく使用人も多くいて、書生を何人も抱えております。子供一人を預かるのは何も負担にも感じません。あの人に預ければ何の心配はありません」
桑原というのは内務省の政務官で辣腕をふるっており、有力な政治家の一人に数えられていた。吉岡から正平のことを聞いて子供の金の面倒ぐらいなら見てやると言ってくれたのだ。
「でも、正平はまだ子供です。もう少し大きくなってからでも遅くはないですか?」母親が心配そうに言い出した。
「正平君は利発で将来の見込みがある。田舎の学校で学んでいたのでは経験できないことが多い。この田舎では正平の頭は抜きんでているが、東京に出れば普通でしょう。同じくらいの能力のある子どもと触れ合った方が、正平の向学心もより高くなり、正平の将来のためになります。」
「なるほど、そうですな」父親は大きく頷いた。金の心配がなくなると父親は気楽に考えを変え始めた。
吉岡が去った後、両親は正平の気持ちを確認した。
「でも何で陸軍ですか。他にだって学校はありますよ」母は息子が将来兵隊になることに不安を抱いていた。
「私は強い兵隊になって、日本がよその国に負けないようにしたいのです」正平の頭には強ければ外人たちに馬鹿にされない、日本人が外人に対してもっと堂々とできるという思いが変わらずにあった。そして日本が清国と戦争をして勝利したばかりであり、当時の子供たちにとって軍人は憧れの的でもあった。
「その通りだ。お前は武士の血を引いている。今の武士は軍人だ。強い軍人になってお国のためにがんばるんだ」父親は息子の決意を単純に褒めていた。父親には武士のころの憧れが残っていた。
「でも、お前は家を継ぐ気はないのですか」母親には息子が家を出ることになお惜しむ気持ちがある。
「良助に継がせてください」良助は3つ違いの弟である。
家を出る決意が子供の正平にはあった。そう言われると母もそれ以上のことは言えなくなった。
「うむ、うむ。お前の考えは立派だ」
父は軍人と武士の違いをどれほど認識していたか分からなかったが、父親は単純に正平の考えが立派だと言い出して正平の陸幼行きは決まった。
陸軍用学校(陸幼)は将来の将校候補者すなわち陸軍士官学校の予科として入校する制度だった。
13歳から16歳の若年を対象にして、旧制中学校相当の全寮制であった。将来の陸軍将校の道がほぼ約束されており、しゃれた制服に身を包み、規律正しい集団教育を受ける陸幼生徒は当時の尋常小の男子にとって羨望の的だった。志望者は大変多く、入学試験は毎回高倍率であった。
その試験を受けるために、桑原の家に住み込むことになった。
「吉岡から話は聞いている。陸幼に一発で入れ。入らなかったら、俺の所で召使としてこき使ってやるから心配するな」
桑原は挨拶に来た正平にそう豪快に言ってくれた。
確かに桑原の言う通り、屋敷は大きく使用人を多く雇っており、正平一人が住み込んだところでどうってことない状況である。
受験の準備など特別なこともしないで、桑原の家で暮らすことになった。
「何もしなくても良いからね」桑原夫人にも言われていたが、やはり居候の身分で遊んでいられる訳はなかった。
言われない前に庭や廊下の掃除をしていた。何事も徹底的にやるのが正平の性分だ。廊下の雑巾がけでも目の届かない障子の裏まで、手を抜かなかった。
「なかなか、気の利くよい子だね。うちにずっといてもらってもいいわ」
塵一つない廊下を見て、奥様がくすりと笑いながら褒めてくれた。
桑原だけでなく夫人からも同じことを言われ、正平は少し慌てた。
「桑原さんの召使になるために東京に来たんじゃないぞ。俺は陸幼に入るぞ」
強く決心をした。
試験は10数倍にもなり大変難関ときかされていた。
「1回ぐらい失敗したって諦めるな。桑原さんの所に住み込みで働き、来年また受験すればよい」吉岡からもそう言われていた。
だが、いざ受けて見ると試験は予想外に簡単なものだった。吉岡の授業の方が、大人でも理解できないような難解なものまであったことに比べれば、答えに困ることはなかった。
正平はこの試験に見事合格した。後で聞いたことだが、好成績だったようで、3歳も年上の受験生も混じっていたことからトップではなかったが、それに近かった。
桑原の所に合格の挨拶に行くと少し驚いていた。
「陸幼の試験に簡単に入るとは吉岡が教えていただけはあるようだ。これからは休みの時には家に遊びに来い。旨いものを食わせてやる」桑原は鷹揚にも何の条件も言わずに学費など支援を約束してくれた。
寄宿舎に入るとは言え、近在の子は休みの時は実家に帰るのが普通だ。
伊豆出身の正平には勿論帰れるような時間と金がない。
桑原の言葉は東京に何一つの身寄りのない正平には大変心強いものだった。
この後も、桑原は正平に何くれと援助や助言を与えてくれ、良き理解者・後援者になってくれた。