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旭日に顔を上げよ  作者: 寿和丸
11章 混乱の幕開け
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89話 統帥権問題

浜口内閣で持ち上がった大問題として、「統帥権干犯」論争があげられる。

明治憲法の第11条に「天皇ハ陸海軍ヲ統帥とうすいスル」とだけ記されていた。統帥権と言う用語はこのことから始まり、憲法を創案した伊藤博文も天皇を補佐する機関を何も明記してない。つまりこれでは「天皇は陸海軍を統べたもう」存在となる。

その権限は陸海軍の組織と編制などの制度、および勤務規則の設定、人事と職務の決定、出兵と撤兵の命令、戦略の決定、軍事作戦の立案や指揮命令などとされた。特に規定がなければ国務大臣が天皇に助言することとなっていたが、憲法に明記されてなかった。それで慣習的に軍令(作戦・用兵に関する統帥事務)については国務大臣ではなく、陸軍では参謀総長が、海軍では軍令部総長が補翼することとなっていた。このあたりの役割の規定があいまいなことが解釈に異論を生む元になっていたのだ。しかも、参謀本部は天皇直属のものとされ、実質上軍令の最高機関となっていた。

このために、前に書いたようにシベリアからの撤兵に際して、内閣や陸軍大臣の意向にも参謀本部は従順に従わなかった事態も発生した。


ロンドン軍縮会議において、補助艦の保有量が議論される。補助艦とは戦艦以外の駆逐艦や潜水艦のことを指し、海軍はアメリカとの比較で保有量7割を確保しなければならないと主張していた。しかし、イギリス、アメリカは7割未満を主張しており、日本政府は両国に多額の借金をしていることから強く反論できなかった。それでも0.025割を削ることによりイギリスとアメリカに対して、6.975割とする妥協案にこぎつけることが出来た。この案に海軍省内部でも賛成の方針であったが、軍令部は重巡洋艦保有量が対アメリカ6割に抑えられたことと、潜水艦保有量が希望量に達しなかったことの2点を理由に条約拒否の方針を唱えた。

統帥権干犯かんぱんとは内閣が、軍縮条約において、海軍軍令部の明確な同意を得ずに署名したのは、統帥権を侵害することを意味する。


昭和天皇もこの軍縮案には反対ではなかった。

だが、それがどうして統帥権干犯の問題になったかというと、浜口首相と加藤海軍軍令部部長との意思疎通ができなったによる。

軍事費の決定は財政問題でもあるため、本来なら政府と軍部との協議で決めることになっており、浜口も加藤には削減交渉の同意を取り付けていたのだ。海軍でも海軍大臣の財部彪たからべたけし、元海軍大臣の岡田啓介は条約に賛成していたのだが、明治憲法の規定のあいまいな点がここでも露出し、海軍軍令が反対に回ってしまった。

浜口の加藤への配慮が足りなかったこともあるが、加藤たちの軍令部は政府に押し切られたように思ってしまった。そしてわずか0.025満たないことで反対することになったに回った。これに政友会が加わり、倒閣運動の為に統帥権をことさら持ちだし、更には天皇を絶対と考える右翼主義者までが、反対論を唱えだして、大論争に発展してしまった。


30年4月から始まった帝国議会はロンドン軍縮会議の批准を巡り紛糾する。

野党の政友会は「軍令部の反対意見を無視した条約調印は統帥権の干犯である」と政府を攻撃した。

とにかく海軍や右翼主義者と政友会は統帥権を拡大解釈して、自分たちに有利な方に論争を持っていこうとした。

「政治家が統帥権を握れば幕府政治が再興されるのではないのか。軍が党利党略に利用される恐れもある。」などと主張し、更には「楠木正成が湊川の戦いで戦死したのも、軍事に無知な公家によって作戦を退けられたからだ。軍事知識のない政治家に軍令を負かすことは出来ない」少し突拍子の意見まで飛び出す始末だった。


「呆れた奴らだ」宇垣は思わず口に出る。

彼はワシントン軍縮会議やロンドン軍縮会議などを通じて、協調外交には総じて賛成だった。

「国家予算には限りがあるし、軍の近代化を図るには、少ない予算をどう効率よく割り振るかを考えねばならん」

「海軍のやつら、ほとんどゼロに近い減額に目くじらを立てるくらいなら、もっと近代化することに頭を向ければよい」

この統帥権論争に冷ややかに見ていたし、陸軍首脳も同じ意見だった。

正平が「大戦後の列強諸国の軍事が大きく様変わりして、機械化が進んでいる」という提言に頷いていた。

「戦車と飛行機を拡充させなければならない」それが二人の考えとなっている。

「海軍でも飛行機を活用しなければならないだろうに、何で、0.025に拘るのか訳が分からん」

このころの陸軍は宇垣がほぼ実権を握り、参謀本部は彼の息のかかった者達で占められていたこともあり、陸軍側からは表立って統帥権への論評は出なかった。


条約の批准権は昭和天皇にある。

浜口首相は反対論を押し切り条約は帝国議会で可決され、その後、昭和天皇に裁可を求め上奏する。10月1日には枢密院でも可決され、翌日昭和天皇は裁可する。

結局、反対運動を繰り広げた加藤海軍軍令は抗議のために辞職し、この論争は終わる。


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