83話 田中首相辞職
張作霖爆殺事件発生から半年経過した、28年12月24日田中首相は昭和天皇に次のように上奏している。
「やはり関東軍参謀河本大佐が単独の発意にて、その計画の下に少数の人員を使用して行いしもの」と河本大佐の犯行を認めている。
その上で軍法会議を行うとまで言った。
また、12月26日からの第56回帝国議会の貴族院委員会においても、事件の真相を明らかにする旨の答弁までも行っている。
ここでは田中首相の決意が示されている。
閣内で国際的な信用を保つためにも容疑者を軍法会議によって厳罰に処すべきと主張し、その旨を天皇にも奏上しても、陸軍の強い反対に遭ったため果たせなくなる。
しかし田中の思い通りにはならない。
一部の閣僚が、国際的な恥をさらし、満州権益を失いかねないと反対した。
更に、陸軍首脳部も事件の真相発表と実行者の厳罰には反対した。
田中自身陸軍大将や陸軍大臣であったにも拘わらず、陸軍を説得できなかった。特に腹心の白川義則陸相は3回にわたって、天皇に関東軍に大きな問題はないとまで上奏している。また村岡関東軍司令官は「軍紀は正したいが、政治責任もある」と反論し、自身が責任を一身に負って、辞職しようとする。陸軍は軍法会議を何としてでも阻止し行政処分で済まそうとした。
そして陸軍が29年5月14日付けで河本高級参謀を内地に異動させるに至って、田中首相は河本を含めた事件関係者の処分を断念するしかなかった。
当然、これに野党は厳しく追及する。
立憲民政党の中野正剛は「尼港事件の際に田中が『断じて臣節を全うす』と称して陸軍大臣の職を辞したことは国務大臣として責を負うたのは適切であったが、満洲事件を村岡司令官に帰したことは厚顔無恥である」と非難した。
この批判に対して田中は「この如き事に責任を負うたら総理大臣は何万居っても足らぬ」と豪語したところ、中野は「政略出兵の責任を軍部に転嫁するような総理大臣がいたら日本帝国の国軍は何百万人居っても足らないこととなる」と鋭く切り返されてしまった。
それでも野党に追及されてもここまでは田中は強気だった。
6月27日に、田中首相は次のように奏上する。
「白川陸相が奏上いたしましたように、関東軍は爆殺には無関係と判明しましたが、警備上の手落ちにより責任者を処分いたします」と行政処分だけで済ますとした。わずか半年前の奏上と全く反対の内容だった。
これに対して天皇は「それでは前と話が違うではないか」と田中を面罵した。
思いの外強い天皇の語気に触れ、田中首相が恐縮して、弁解しようとしたが、天皇は聞き入れようとされなかった。
更に天皇は奥の間に移られても怒りが収まらなかったようだ。
鈴木貫太郎侍従長には「田中総理の言うことはちっとも判らぬ。再び聞くことは厭だ」とまで心情を吐露された。
これを鈴木がそのまま田中に伝えることとなり、田中は涙を流したとまで言われている。
田中の落胆ぶりは傍目にも分かるほどで、辞表を決意する。
まず7月1日、村岡長太郎関東軍司令官を依願予備役、河本大作陸軍歩兵大佐を停職、斎藤恒前関東軍参謀長を譴責、水町竹三満州独立守備隊司令官を譴責とする行政処分を発表した。
そして翌7月2日に内閣総辞職する。
歴代の内閣で田中が天皇の不信任で辞職した唯一の首相となった。
だが、これほどの大事件を引き起こしたにもかかわらず、河本は軍法会議にかけられることはなく、予備役に編入されるという人事上の軽い処置に留まっている。その後、彼は関東軍時代の伝手を用いて、32年に南満州鉄道の理事、34年には満州炭坑の理事長となる。 更に35年2月には、南満州鉄道の経済調査会委員長にもなっている。
白川陸相たちが、真相究明、責任者処罰に反対したのは、満州における日本の権益を守るためなのは間違いない。
それと同時に陸軍を守るためでもあった。
組織と言うものは、存続するために最大のエネルギーを使うものだ。
陸軍で言えば、国の防衛よりも組織の防衛に動いたのだ。
「満州の地方軍閥とは言え、支那満州の実力者である張作霖の爆殺を現地の派遣部隊が企て勝手にした」
国際上許されないことは明白だ。それを日本陸軍の将校が独断で行ってしまった。
「これが公になったら、陸軍は持たない」陸軍首脳部の頭にはまず組織存続が先に出る。
陸軍首脳部は事件の重大さよりも組織の存続に走ったのだ。
白川陸相は田中の子飼いとも言える存在だ。その白川が田中に反旗を翻した形になる。
「事の真相を出してしまえば、陸軍は国民から袋叩きにされる」白川は真相究明にも消極的になる。
調査により関東軍の関与が明白になると、隠蔽工作にも出る。
それどころか昭和天皇には「関東軍は事件と無関係です」と何度も奏上する。
そして河本が主犯だと確認されても、最後まで彼を軍法会議にかけようとはしなかった。
白川としては選択肢はなかったのだろうが、今思えば事件を明るみに出せば、その後の陸軍の暴走を止められたかもしれない。
真相は闇の中に葬られ陸軍内部でもわずかなものにしか明かされることはなかった。




