82話 張作霖爆殺事件
満州の軍閥だった張作霖は日本軍の後押しで勢力を伸ばし、北京をも伺っていた。
それでは北伐を目指す蒋介石とぶつかり合うことになる。
満州の日本軍(関東軍)は張作霖を説得して、北京から撤退を決めさせた。
28年6月4日の早朝、満州に帰還する途上にあった張作霖を乗せた南満州鉄道の車両が、奉天付近を通過中に、橋脚ごと爆破された。張作霖は重傷を負い、2日後に死亡し、また警備・側近ら17名も死亡した。
その後の調査で関東軍高級参謀の河本が計画立案をし、現場警備を担当していた独立守備隊の東宮鉄男大尉及び朝鮮軍から分遣されていた桐原貞寿工兵中尉らを使用して実行したと判明した。
以上が事件のあらましだ。
日本から派遣され張作霖の軍事顧問をしていた儀我誠也少佐も同乗していたがかすり傷程度で難を逃れることが出来たが、彼は、「列車は全部で20輌であり、張作霖の乗っていたのは8輌目であったが、爆破によりその前側車輌が大破し、先頭方の6輌は200メートル程走行して転覆し、列車の後半は火災を起こした。」と証言している。
これからもどれだけ爆発が大掛かりであったことが推測される。
そして事件当初から関東軍の関与は噂されており、奉天総領事から外相宛の報告では、現地の日本人記者の中に関東軍の仕業であると考えるものも多かったと記されている。
なお現場で張作霖は虫の息ながら「日本軍の仕業だ」と言い遺したという。彼がどのようにその考えに到ったのかは分からないが、早くから日本軍は疑いを掛けられていた。
事件直後現場に行って、事件に関わった安達隆成から詳細な話を聞いた工藤鉄三郎が急いで帰国し、小川平吉鉄道大臣に対し、口頭で説明する。
その後、書簡「奉天に於ける爆発事件の真相」でも説明している。田中首相なども説明を聞いたが、白川義則陸軍大臣がなかなか信じなかった。このため田中首相・小川鉄相・森恪外務政務次官が連携して、「特別調査委員会」を設置する。ここで陸軍にも調査を促した結果、峯憲兵司令官が派遣され、現場で発見された「中国人2人」の死体は実は日本側の工作であったことなどが確認された。工藤は、田中首相・小川鉄相・白川陸相・森次官のいずれとも関係があった人物であり、工藤の報告は田中内閣の実情調査・事実確認で決定的な意味をもった。峯憲兵司令官も朝鮮にて桐原中尉を尋問、事件の主犯は河本大佐ら日本側軍人であるとの確証を得、その旨を田中首相に報告した。
調査の内容は次の通り。
関東軍司令部では、国民党の犯行に見せ掛けて張作霖を暗殺する計画を、関東軍司令官村岡長太郎中将が発案、河本大作大佐が全責任を負って決行する。
河本からの指示に基づき、6月4日早朝、爆薬の準備は、現場の守備担当であった独立守備隊第四中隊長の東宮鉄男大尉、同第二大隊付の神田泰之助中尉、朝鮮軍から関東軍に派遣されていた桐原貞寿工兵中尉らが協力して行った。
現場指揮は、現場付近の鉄道警備を担当する独立守備隊の東宮鉄男大尉がとった。2人は張作霖が乗っていると思われる第二列車中央の貴賓車を狙って、独立守備隊の監視所から爆薬に点火した。そのため、爆風で上から鉄橋(満鉄所有)が崩落して客車が押しつぶされた上に炎上したものである。
関東軍が張作霖暗殺を実行した背景には次のように言われている。
満州が国民政府の手中に落ちてしまうことを恐れた関東軍は、張作霖では蒋介石に対抗できないと思っていた。そこで張作霖なしで満州を支配する方法を模索するようになり、軍隊を動かして満州を独立させることを目論んだ。
しかし軍隊を動かすには天皇の裁可が必要で、この案は実現不可能に思えた。
そこで関東軍の河本大作は、張作霖を国民政府が暗殺したかのように見せかける方法を考える。
日中両軍の衝突を誘発し、満州の治安状態を悪化させ、それに乗じて関東軍を出動させ、満州を一挙に武力占拠することを思索した。
こうして、張作霖を、国民政府の仕業に見せかけて、乗っていた列車ごと爆破する。
河本自身は、事件の数ヶ月前に東京の知人宛に送った手紙において、「張作霖の一人や二人ぐらい、野垂れ死にしても差し支えないじゃないか。今度という今度はぜひやるよ。……僕は唯唯満蒙に血の雨を降らすことのみが希望」と書き記している。
この手紙には、意味不明で違う解釈もあり、明確に殺害の意図を持っていたのかは不明だ。
だが、この計画には稚劣な面もあった。
河本らは、予め買収しておいた中国人アヘン中毒患者3名を現場近くに連れ出して銃剣で刺突、死体を放置している。
「犯行は蔣介石軍の便衣隊によるものである」と発表し、この事件が国民党の工作隊によるものであるとの偽装工作を行っていた。
しかし3名のうち1名は死んだふりをして現場から逃亡し、張学良のもとに駆け込んで事情を話したため真相が中国側に伝わってしまっている。
張学良は張作霖の息子で、後に蒋介石に加わるようになる。
正平は事件直後、事件の真相について知っていなかった。
ただ、現地の日本軍が深くかかわっていると言うことは推測していた。
張作霖と言う重要人物が爆破された列車に乗車していた情報は多く知られてないはず。
橋脚を大破するほどの爆薬を仕掛けるのは軍事関係者でないとできない。
現場で活動できる軍隊は奉天軍閥か日本軍以外ない。
以上を考えると日本軍への疑いを向けざるを得ない。
「なんて、乱暴で血烈なやり方だろうか。たとえ日本軍の仕業でなくても、疑いは真っ先に日本軍に向けられる。どうしてもっと他のやりようを考えなかったのか、」
「これが支那との関係をこじらせなければよいが」憂慮を深めるしかなかった。




