73話 昭和時代幕開け
皇太子裕仁親王が践祚して昭和に改元となる。
時の首相は若槻禮次郞だった。
彼は松江藩の下級武士の子で、借金しなければ上京できないほど極貧に苦しみ、東京大学を首席で卒業し、大蔵省に入った。主計局長、次官を歴任した後、12年大蔵大臣になった。その後、16年に加藤高明と共に憲政会を結成し副総裁になる。加藤が護憲3派内閣で24年に首相になると、彼も内務大臣として入閣するのだが、その加藤が26年1月に死去してしまう。前にも書いたが、この時の内閣は3派護憲連合が瓦解して、憲政会だけで支える少数与党になっていた。
元老の西園寺の判断で、首相に任命されたのだが、その国会運営には不安を抱えていての船出だった。
本来なら、選挙をして国政を預かるものが誰なのか問わなければいけないものだった。
それを西園寺は「首相の病死と言う、政治問題ではない理由で政権交代は望ましくない」と言う理由で、若槻を任命したのだ。
昭和はこのように政界も混乱するなかで時を迎えた。
陸軍大臣は引き続き宇垣が留任している。
その宇垣から「新年会に顔を出さないか」と言われた。前から派閥の会合(飲み会)には行かないことにしている。
「私は山県さんからお前の様な大酒飲みは会合に来るなと言われていました。ですから宇垣さんの会合に行きませんよ」
会合とは言うが、飲み会を意味している。
「塚田の飲みっぷりは聞いている。何でも田中さんを飲みつぶしたそうじゃないか。俺の所ではそんな豪快なことをしなくてもいいよ」
「何か、誤解されているかもしれませんが、私は田中大将閣下とは飲んだことありませんよ」
「それは分かっている」宇垣が笑いながら返した。
笑われたのには意味がある。昔、一度だけ、山県から「会合」に誘われたことがあった。その席で余興が始まり、正平も何か芸を披露しなければならないはめに陥った。
何の芸も持ち合わせていないで、困った正平は手に持っていた杯を高く上げ、「これから私が日本男児の心意気をお見せする。注がれた杯を飲み干すので、どなたか相手になって欲しい」と言ってのけた。
それに呼応したのが田中と言う中佐だった。これは勿論田中儀一とは違って、熊の様な大男であった。
「よし、俺が相手してやろう」その熊男は正平の前に胡坐をくんだ。
正平は杯を干し上げると、熊男に杯を出した。熊男もその杯をすぐに飲み干し、杯を正平に返す。
周囲は生意気な新入りよりも田中に応援をする。だが、先に飲みつぶれたのは熊男だった。
田中は正平の飲む速さについて行けず、その場であおむけに倒れた。
店の女将がその場の状況を見て、すぐに対応してくれたので良かったが、熊男は急性アルコール症に陥りかけていた。
幸い女将の機転により、大事ならなかった。だが、後で山県からはさんざ言われた。
「お前など。もう飲み会には呼ばんからな」後にも先にも山県から言われた唯一の小言だった。
それ以来、正平は他人の飲み会にはいかないことにしている。
その上、田中と飲み比べして、正平が酔い潰したという話は、陸軍で後に尾ひれがついた。
「あの田中(田中儀一)さんを酔い潰したと言うのか?」「とんでもない奴だな」
デマと言うものは面白い方が広がりやすい。長州閥を率いている田中(儀一)が酔い潰されたなど格好の話題だ。
そんな噂が、田中儀一の耳まで届いたのかもしれない。田中儀一とは相性が悪くなったのも事実である。
「田中さんは変な噂で俺に機嫌を損ねたのかもしれないな」そのころの正平はまだ若く気にも留めなかったが、部下として接するようになるとやりにくさを感じていた。
酒席は断る。それを承知してもらって、宇垣派になったのだ。宇垣の新年会には断りを入れる。
ただ宇垣には戦車開発の状況について逐一報告し、説明している。毎日とは言わなくても、週に2,3度は宇垣に会っている。そんなこともあって、宇垣もそれ以上の会合への出席に拘ってはいない。
宇垣派と目されていても、正平がべったりとは思われなかったのも、そんなことが評価されていたのかもしれない。
若槻内閣での宇垣の軍縮は少し将校には厳しいものだった。軍縮は世界的な流れだった。
ただ、将校まで大幅に削減したことによって、陸軍内部には不満が溜まっていた。
ドイツでも軍縮をしていた。ただそのやり方は違っている。
「兵士は半年もあれば訓練できる。将校が一人前になるのは数年かかる。だから、兵隊の数は減らしても将校を減らしてはならない」
宇垣は軍事費を削るために将校の数まで減らした。
それが陸軍内部に不満に思われている。
「宇垣さんはもっとやりようがあるはずだ」だが正平はそんな意見を口に出さなかった。
正平には軍人、官僚としての心得がある。
「上司の命令がたとえ不条理であっても、こなしていくのが軍人の役目だ。
やがて、自分が上役になった時、その不条理を改め、部下を指導していけばよい。
自分が不条理を押し付けなければ、やがて軍隊の規則は質されていく。
軍人は規則と上司には服従しなくてはならない。」正平は黙々とそれを実行していた。




