68話 家庭教師メアリ
正平は久しぶりに家に戻っていた。震災の後、一旦家に戻り家族に誰も怪我した者の無いこと、家に損害がないことを確認すると、それ以後は、陸軍本部で被害者の救済に努力していたのだ。ほとんどを軍の宿舎で寝泊まりしており、家にかえったのは3カ月ぶりだ。
長男と次男、執事の太助夫婦を集めた。どの顔にも嬉しさが見える。
「お前たちが皆無事であったことは嬉しいことだった。家族の無事であったことを喜ぶとともに、亡くなられた人も多くいたことを忘れてはならない。
太助たちも私がこの家を留守にしていた時、よく守ってくれた。感謝する。」
「いえいえ、当然のことをしただけで、感謝されるほどではありません」
「うん。そして平壽、正司もよく耐えてくれたな。
これからお前たちは、自分の将来のことを考えていかなければならない。
私は12の時に陸幼に入り、それから軍人の道を歩み続けてきた。言って見れば12で将来をある程度決めた。
でもお前たちに私と同じ道を歩けと言わない。どちらかと言えば、違う道に進めと言いたい」
その言葉を聞くと息子達は声こそ出さないが、不思議そうな顔を浮かべる。
「私が順調に軍人の道を歩けたのは、努力もあるが運が良かったこともある。お前たちが私と同じように軍人になっても順調なものになるとは限らない。
それなら、お前たちの努力や才能を発揮できる道を見つけて欲しいのだ。
それで、前に話したようにいずれお前たちにはアメリカ留学をして欲しいと思っている。日本の学校が駄目だとは言わないが、あまりにおしつける教育の仕方が問題だと思っている。お前たちには知識を得るだけでなく、自分に合った職業を、やりたい仕事を見つけて欲しいのだ。アメリカに行って、勉強するだけでなく、アメリカの良さも悪い点も見て欲しい。それを日本に戻り活かして欲しいのだ。
ただ、お前たちは英会話ができない。そこでアメリカ人にお前たちに英会話を習わせようと思っている。私の知り合いのアメリカ人女性が日本に来たがっており、その人にお前たちを教えてもらう約束になっている。お前たちも戸惑うと思うが、彼女も初めての日本でもっと戸惑うと思う。親切にしてやってくれ。
太助たちもよろしく面倒を見てやってくれないか」
息子の二人は力強く頷き、太助夫婦は短く「分かりました」と頭を下げた。
震災から4カ月ほどして、正平はメアリを呼ぶことにした。本当はメアリにはアパートなどを借りようと思っていたのだが、震災で焼け出された人が多く、借家などは払底しており、探すことは諦めた。その代わり家の部屋に手を加え、洋間にして迎え入れることにした。
「正平。有難うこんな素敵な部屋を用意してくれて」
「いや、部屋が余っていたから、改装しただけだ。そんなに感謝してもらうほどではないよ」
執事夫婦の子供たちは皆独立し、良子の使っていた部屋もそのまま残っていたので、まだ3部屋も余っている。
「この部屋に住んでもらい、大学に行く傍ら、子供たちに英会話を教えてくれ。」
メアリは女子大に英語教師の職を見つけており、新年度から教師になることになっていた。
平壽、正司、執事夫婦も身近に外国人に接することはなく、アメリカ人女性にどのように接して良いか分からず戸惑いはあったようだ。
ただ、メアリの明るい性格と息子達の外国への好奇心、執事夫婦の実直ぶりによりほとんどわだかまりやトラブルもなく、家になじんでいた。
子供たちも執事夫婦も英語が出来ず、メアリも日本語が通じなかったが、身振り手振りで意思の疎通ができるようであった。
却ってそれが良かったのだろう、一月もしない間に、家を留守勝ちの正平に比べ、息子達や執事夫婦の方がメアリに親しくなっていた。
息子達の英語能力も格段に進み、そしてメアリも日本語を覚え、日常生活に困らない程に上達し、新年度から大学に教えに行くのに不都合さはなくなっていた。
メアリが家に来て半年ほど過ぎた頃、正平はプレゼントをした。
当時『蓄音機』と呼ばれ、まだ一般家庭では手が届かない高値のものだ。正平は海外経験を活かし、個人的なつながりを商社などと持っていたこともあり、格安で手に入れられた。前から、メアリが音楽好きなことを知っていて、探していたのだ。
「わお。これを使っていいの?」
「勿論だよ。たまには僕にも音楽を聞かせてくれ」
正平は多くの者が異国でホームシックに陥ることを知っている。
(俺はホームシックになった経験はないが、生活の激変によりなってもおかしくはなかった。メアリもそうなって欲しくない)そんな思いからプレゼントした。
「ワタシ、レコードヲサガシマス。」メアリの喜びようは大変な物で、正平に抱き着いてきた。
思わない行動に正平はどうしてよいのか、目を白黒するばかり、無理に身を離そうとしないでそのままにした。
「ごめんなさい。思わず抱き着いちゃった」いつになくはしゃいだメアリに正平はプレゼントして本当に良かったと思う。
しばらくして、休日になるとメアリの部屋でクラシックに耳を傾けている正平の姿がいつものことになる。
「ショウヘイ。この曲分かりますか?」
「うーん。モーツアルトの・・・」
「ケッヘル467の2.アンダンテよ。ショウヘイはいつも覚えないのね」
「あはは。どうも同じ曲のようにしか聴こえないんだよ」
「でも、モーツアルトは好きなのよね」
「ああ、いろいろ聴かせてもらったけど、一番落ち着くよ」
正平とメアリの関係は急速に近づき、そして二人は結婚を誓い合った。
メアリのたっての希望で年が押し詰まる頃、教会で二人は結婚式を挙げることにした。
「仏教徒のあなたが教会で結婚式をすることに抵抗はないの?」
「私は仏教徒のままで良いなら、どこで挙式しようと構わないよ」
「それって不思議」彼女には宗教に頓着しない正平の考えが理解できないようだった。
それでも、満面の喜びでウェディングドレスを着てくれ、身内だけの結婚式をささやかにそしてほのぼのとした中で行えた。
結婚前に親代わりの桑原には報告しておいた。
「お前がまさか青い目の女性と結婚するとは思わなかった」桑原は大袈裟に驚き、からかうように言ってくる。
「本当に、あなたが外人さんと結婚するなんてね」夫人までも笑いながら続く。
「ともかく相手が誰であろうと、男が何時までも一人でいるのはよいことではない、決まって良かった」
親のように思っていた桑原から祝福されたことを嬉しく感じた。
しかし桑原の眼には、「お前出世に響くことを考えないのか?」問いかけもあった。
「出世に関わっても、構いませんよ」正平は眼で答えていた。
「それでよいのだな」桑原の眼は穏やかに言っていた。
アメリカ人女性と結婚することは周囲に波風を起こしかねない。そのことを桑原は懸念する。
そして正平は、周囲のざわめきは気にしないと答えたのだ。
正平が長く独身でいたのは、良子のことが忘れられなかったことと、気の合った女性に巡り合わなかったことに尽きる。
メアリが身近にいて、親しく話すうちに「この人となら仲良くやっていける」そう思ったからだ。
そのために「外人と結婚した」と言う雑音など気にする必要はないと思っていた。




