66話 被災住民
「危険は取り除く」それが建物だけなら良かった。ただ、人々の噂には戸を立てることはできない。
流言飛語。震災などの直後には人々の不安をあおるように被害が誇張されて伝わり、それがまた嘘や噂を呼び起こす。
その一つが「朝鮮人暴動」と言うものだった。
朝鮮人にとってこれだけ大きな地震は経験したことがなかった。不安になり、同じ朝鮮人同士で集まるのは自然だった。
だが、不安に思っているのは日本人も同じだ。そこに言葉遣いや服装も違う者達が集まって行動すれば、目立ち良からぬことを企んでいると誤解される。
「朝鮮人が暴動を企んでいる」これがどこから出たのかもはっきりしない。それでも人々はそれを信じた。
普段は善良な者達でも、不安が高まると自分や家族に被害が及ぶのではないかと恐れ、排他的になる。そして排他の的が朝鮮人だった。
「朝鮮人を捕まえろ!」勝手に自警団が組織され、挙動不審な人物に目を光らせるようになった。
「ぱ行とバ行を言って見ろ」朝鮮人にこの使い分けが難しいとされ、日本人との判別にも使われた。
そして聾唖者の学生が自警団に捕まり、手荒い扱いを受ける被害も起きた。
これは一般人だけが噂を信じたのではない。
警察、軍隊までも流言飛語を一部信じられてしまい、しかも新聞にも「朝鮮人暴動」などの記事が出たように震災後、どこの報道機関も正確な情報を発信できていなかった。
一方で正平は震災直後に火災が広がるのを見て、被災者が相当多くいる者と見て、素早く手をうった。
「空き地にテントを広げ、医療班を常駐させろ」被災者は怪我や火傷を負っているはずだ。これだけの被災者がいれば町の病院だけでは対処できなくなるとの判断だった。
次に焼け出される者が相当に上ると予測し、直ちに空き地の確保を行っていた。
「簡易宿舎は何棟用意できるか?」
「はい。30棟までならすぐ用意できます。」
簡易宿舎は正平がシベリアで体験をいかして休息をとるために考え出したものだ。あらかじめ壁、床、天井などの面を作って置いて、現地に移動、設置、組み立てが容易にできるようになっていた。一枚の面は規格が統一されて、連結するだけで簡単に組み立てられる構造になっており、棟と言っても完全な箱型であり、屋根に当たる部分は防水対策こそされているが、瓦などの屋根材も使われてないトタン拭きであった。
夜行列車の寝台とほぼ同じ造りで、兵士がただ寝るため横になれるスペースを確保できれば良いと設計された。今はシベリアで使うよりも国内用として考えられており、兵士がひと月近く野営してテントよりもより休息できる為に作られている。「たこ部屋」「ウナギの寝床」と評されることもあるが、デコボコの地面にテントを敷き、その上に毛布や寝袋にくるまって寝ることを考えれば、はるかに安眠がとれた。
そして、意外なほど外からの冷気熱気を防ぎ、物音も遮断できるので、兵士たちには受け入れられた。導入の仕立ての頃、「野営ではテントで十分」との声もあったが、実際に使うとやはり、建物の中で眠れる安心感は代えがたいものがあり、陸軍で少しずつ採用されていった。
そのために予備の宿舎が備蓄されていた。
緊急医療テント、簡易宿舎建設は正平のその場の判断で行ったものだ。独断専行であり、批判されることは覚悟していたが、上司は黙認してくれた。
「焼け出される者を、一時的に収容する場所を設ける」陸軍では追認するように、災害救助の対策が打ち出され、簡易宿舎が次々と建てられることになった。
兵隊の野外訓練のためなら短期間であり、食堂やトイレ、風呂などは野外で済ますことも出来る。兵隊は青空の下でも、飯を食べ、便をし、川で体を洗うことなど日頃から訓練している。ただ、一般人なら外でのトイレや入浴は人目もあって、それは出来ない。共同の食堂、トイレ、風呂も急遽併設することとなった。
宿舎と言ってもトイレも食事をするのも全て外で出なければならない、ただ寝るだけの場所に過ぎない。それでも8人までの家族なら一棟に寝泊まりでき、何よりも壁で囲われた安心感があって、好評だった。
「ここで長く住み続けていくのは無理だが、ひと月ぐらいならここで暮らしていけるだろう。その間に余裕のある者から家を探すなり、建てて欲しい」正平は一時的な休息の場を用意してあげれば、あとは民間で自立していくだろうと思っていた。だがこの見通しは甘かった。
焼け出された者の多くは焼け残った廃材を集めて、掘っ立て小屋で暮らすよりなかった。当然、雨や風を防ぎきれない。家を失った者から見れば、簡易宿舎は「ウナギの寝床」どころか豪華ホテルのベッドに相当した。宿舎が建てられる傍から入居希望者が列を作っていく。
「これでは埒があかない」軍の備蓄だけでは追い付けない。
すぐに、業者に資材を注文したいのだが、軍の予算も決まっている。政府に緊急の予算措置を申請するが簡単に降りそうにはない。
「とにかく、うちの課でやれる範囲のことはしていこう」
年度の半分が終わる時期で、予算の多くは使い終わるか充当されている。その中から、簡易宿舎に振り向けられるものはほとんどない。それでも焼け出された者達のことを思うと部下達も懸命になって、資材集めに奔走してくれた。
年末までに正平が手配できた宿舎は100に過ぎなかったが、それでも多くの家族が休息できる場所を提供できたことは大きい。
被災した住民からすれば、わずかな者達にしか供給したに過ぎなくても「陸軍が助けてくれた。」という記憶が残る。
「軍隊は国民あってのものだ。国民を助けられるなら、予算を削っても住宅に回したい」
そんな思いが部下の中にも伝わり、部下達も懸命に資材の調達に走り最初の見積もりより多くの宿舎が建てられた。これは今後の被災活動への指針になるものだったといえよう。
それもあって、正平もなるべくこの避難所に来るようにしていた。
「本当にいろいろありがとうございます」
日が落ちるのも早くなり、木枯らしが吹き始めるころ、いつものように正平が立ち寄ると、一人の老婆が手を合わせるように言って来た。
「兵隊さんのおかげで安心して暮らせますよ」白髪皺だけの頭を何度も下げてくる。
「おっかさんも、風邪などひかないよう、早く宿舎に入りなさい」余りの感謝の仕方に戸惑い少し乱暴に言う。
「えーえー。ありがとうございます。兵隊さんがこちらのお偉いさんだと知って、一度でもお礼を言いたかっただけです」
何度も頭を下げながら、帰宅する老婆を見送りながら、正平の胸に篤いものが込みあがった。




