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旭日に顔を上げよ  作者: 寿和丸
7章 シベリア出兵
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52話 大戦終了

陸軍の一部には、兵站を軽んじる雰囲気がある。

「武器弾薬を兵隊に渡さないで、どうやって戦うと言うのか」

「それは精神力で補えばいい」

「食料の支給を考えないでは戦えないぞ。腹を空かして戦になるか」

また中堅若手将校の中には日本軍を過大に評価し、ソ連軍を侮る傾向があった。

「シベリアなんてすぐに制圧できる」彼らは10年前に日本がロシアに勝った記憶が残っていた。

「どうせ、すぐ勝つのだから、食料や武器をそんなに準備しなくてもよい」声さえあった。

このことに参謀室でも問題になって、正平が呼びつけられた。

「塚田、シベリア出兵の兵站をやってくれ。」予てから、兵站の必要性を説いていた正平が目についたらしい。

それから軍需物資の手配などに奔走していたのだが、あっけなく職を外された。


でも、正平は出兵が国内に大きな影響を与えていることに関心を寄せていた。

「兵屯部から外されても、国内問題には着目してなければならない。富山での米騒動を見ても軍隊を海外に送るとなれば、食料や軍需物資の需要が増える。それを見越して商人は買いだめに走るし、思惑から値段も上がる」政府の調達は何よりも優先されるので、騒動になってもコメ不足の心配はないが、米騒動は全国に広まったのだ。戦争をただ軍隊同士の戦いと見てはならないのだ。

出兵に絡みこれだけのしわ寄せが国民に及ぶものだと、正平は痛感する。

「戦争にはどのような悪影響がでるか、予測し、事前に対処しておくべきだ」

(日本はすでに世界でも強国と見られているし、日本に戦争を仕掛ける国はまず見当たらない。戦争が起こるなら、日本が仕掛ける時だ。それなら事前にどんな準備をしておけばよいか。米騒動は一つの教訓だ)そんなふうに考える。


これよりも前に、兵站の業務をしていた時、シベリア駐留部隊からある情報が届いた。

ソビエト政府のモスクワから逃げ出してきたロシア人に元軍人将校だった者いると言うのだ。

その名簿に思いがけない名前を見つけた。

キミレンコだった。旅順でロシア文学を語り合い、トルストイの作品をどのように思っているかと聞いてきた奴だ。

「あいつが収容所にいた。なんでだ?」その疑問がわきおこる。

丁度、兵站の業務は正平がいなくても問題なくやれていて、現地の様子を見に行こうと考えていた頃だ。

ウラジオから鉄道を使って、チタに入った。そこにはやつれが見えるキミレンコがいた。

「どうして、お前がモスクワから逃げてきたんだ?」キミレンコの出身地はモスクワと聞いていた。何故、離れてきたのか解せない。

「革命政府に旅順の降伏は国家への裏切り行為と見られたのだ。除隊させられただけでなく裁判にかけられそうだった。混乱で監視が緩んでいたので、東に逃げてきた」

彼だけでなく、旅順で将校だった者達はほとんど裏切り者扱いだった。死刑になった者もいた。

「西は戦争中だから東に来るしかなかった。それに日本で、随分手厚い扱いを受けた。日本なら俺達を受け入れてくれると思った」

情報を集めたら10人近くの元旅順将校の名前を見つけることできた。

正平は彼らを集め、日本に呼び寄せることにした。

上司の許可もとり、日本での生活の面倒も見てやろうと決意した。

11名の元ロシア将校の住まいを提供し、仕事を与えないとならない。彼らは専門の軍事家だが採用は出来ない。

山県や桑原の力も借りて、大学や中学などのロシア講師に押し込むことができた。

後に、彼らを招きささやかな歓迎会を行っている。その挨拶でキミレンコが言った。

「正平には非常に感謝している。我々で役に立つなら何でも協力する」彼らと固く手を握り合った。


18年は世界史的にも大きな節目となる。

ドイツはそれまで自国領をほとんど戦場にすることなく、外国で戦ってきた。

そしてロシア帝国が倒され、替わりのソビエト政権は国内優先の為、講和に応じてきている。残るはイギリスとフランスだけとなり、戦いは有利になるとみられていた。

そこでドイツは西部戦線で大攻勢を仕掛ける。

ただ、この決行は、ドイツが内外に大きな問題を抱えてのものだった。

18年1月にオーストリアで小麦配給の削減に抗議するストライキが50万にも膨れ上がった。それがドイツにも波及して、ベルリンの軍需工業労働者が無賠償・無併合の即時停戦を呼び掛けてストライキを起こした。それが全国に広まり100万をこえたともいわれるほどの大規模となる。ドイツ政府はこれを徹底的に弾圧して、何とか抑え込んだが、戦争を早く決着しなければならない状況に追い込まれていたのだ。

さらに、アメリカが参戦して、同盟国のオーストリア、トルコ、ブルガリアが脱落していく。ドイツはそれまでの戦いで疲労困憊なのに、アメリカは戦い始めたばかりだ。アメリカが本格的に介入する前に決着を着けたかった。

18年3月ドイツは大攻勢をかける。ドイツの戦い方は「ハンマーで壁を壊す」というやり方で、敵の弱い所を叩き、敵が防御を固めたら、別の弱い箇所見つけ攻撃する。それまでの塹壕戦で守備を固めながら前進を試みるやり方と正反対だった。それだけ、ドイツはこの攻勢に勝負をかけたのだ。

その決着は戦闘に勝ったが、戦争に負けた。

イギリス軍を破り、敵陣を占拠したドイツ兵の見たものは食料品の豊かさだった。終戦のころのドイツ兵の1日当たりの摂取カロリーは参戦国のなかで一番低かったと言われる。ドイツ兵は腹ペコ状態で戦いを強いられていた。あまりのイギリス兵の食料が豊かなことを知ったドイツ将校は「これでは勝てない」と思わず述懐してしまう。ドイツ兵は敵情を知ったことで、却って落胆し戦闘を続ける気が失せたのだ。

西部戦線では、戦車などの機動部隊に翻弄され、ドイツは多くの捕虜を出してしまうこともあったが、それでも何とか戦線は維持できていた。アメリカやイギリスにも多数の損害も与えていた。

しかしドイツの国民も兵士も戦争にうんざりになってしまった。

そして遂に18年9月国王フリードリッヒ2世は講和を受け入れる。


ようやく戦争が終わった。ドイツが負けた以上、チェコ軍団を助け東部方面の戦線を構築する必要はなくなる。勿論シベリア出兵の必要もなくなった。

だがそれでも、出兵は終わらなかった。

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