46話 シベリア出兵要請
シベリア出兵について私はほとんど知識がなく、その多くの知見を麻田雅文著『シベリア出兵』から求めました。個別に引用した個所はひとつづつ上げておりませんが多くの箇所を、名著を参考にさせていただきました。コピペを避け、私の解釈を多く書いたつもりでおりますが、浅学のことであり多くの非難間違いを指摘されるのは今から予想できます。文中での間違いを見受けられたら、その非は全て私にあると思ってください。
「シベリア出兵」は日本人にとって屈辱を呼ぶものだったのか、あまり多く語られてないように思います。ただ、後の日本が誤ってしまった過程で見られたことが、この事件では同様にあったことを覚えておくべきではないでしょうか。
是非お手元に麻田氏の名著『シベリア出兵』を置きながら、読んでいただければと思います。
アメリカは開戦以来中立を守っていた。
国民に「ヨーロッパの国同士で戦っていればいい」という雰囲気があって、参戦には立ち上がれなかった。それどころか戦争による特需で海外から、農産物から工業製品まで需要が増し、未曽有の好景気を謳歌していた。
「戦争なんかしないで、このまま金儲けが続けていけばいい」戦争を望まない人が多かった。
ところがドイツが無制限の潜水艦攻撃を始め、アメリカの商船にも被害が及ぶとアメリカ国内に、ドイツへの反感が生まれた。
特にイギリスからドイツがメキシコと手を結び、アメリカへの戦争を企んでいると情報が入ると、アメリカ国内はドイツ嫌悪感が一気に増した。
イギリスはドイツの暗号文を解して、それは「ドイツ外相がメキシコ政府にアメリカへの参戦をしてくれる条件にアリゾナやテキサスなどのかつてのメキシコ領であった州をメキシコに返還する」と提示したものだった。
これにはウィルソンも激怒して、遂に17年4月にドイツに宣戦布告する。遂にアメリカが動いた。
だが、ウラジオへの出兵は応じない。
イギリスなどからすれば、アメリカは参戦が遅れたので、国力に余裕があり、ウラジオストックにも派兵できるだろうと見られていたのだ。
でもウィルソン大統領は既に「14か条の平和原則」を高らかに発表していた。
「民族自決」が彼の信条だ。
「世界の諸国は、ロシア領内から撤兵すべき」と言っていたのだ。英仏から要請があっても簡単にシベリアへの出兵に「うん」とは言えなかった。
そして日本も青島を占領しただけでほぼ戦闘は終わり、戦力に余裕があるとイギリスなどから見られていた。
『大戦』の舞台に立ったが、ほとんど脇役のままである。ウラジオへの派兵は重荷にならないはずだった。
その日本はロシア革命を対岸の火事として座視はしていられなかった。
当時の日本は南満州を勢力圏にしていて、北満州を押さえていたロシアとは地続きだ。
それだけにロシア革命政府とどのように接するかは、安全保障に関わる重要問題になる。
英仏の要請に応じるべきか、アメリカに歩調を合わせて自重するか、判断しかねた。
その判断を元老が決めることになった。
元老とは明治維新の功労者で、天皇陛下の相談役として、首相を推挙できるなどの権限を与えられていた。
その筆頭が山県有朋で、彼は慎重意見だった。
「剣を抜くときは、まずどうして鞘に納めるかを考えないとならない。それを考えずに刀に手を掛けてはならない。
シベリアに派兵するなら、どうして撤兵するのか?その案をまず考えているか?」
更にその意を受けた寺内首相も「出兵には大義が無く、戦局に深入り出来ない」と言うようになった。
一方の寺内内閣でも本野外相と田逓信大臣が出兵に積極的だった。
「日本がバイカル湖以東のシベリアを勢力下に置けば、大戦の覇者がイギリスだろうとドイツだろうと、戦後になれば協力を求めて来る。西シベリアに兵力を送る必要はないので20万から30万はですむ」とそう主張した。本野は大戦後を見越して、「英仏に協力してこそ、列強国の仲間入りができる」と発言している。
また「ドイツが大戦に勝利すれば、東に進出するのは目に見えており、これを防止するためにも積極的な防衛が必要」と述べている。
だが、山県は「大戦でフランスに請われたイギリスのように出兵していたら、2年にも3年にもなり、兵力は100万を必要とする」と本野たちの考えを一蹴した。
「大義名分が正しければ人々を奮い立たせ、多数の敵に立ち向けるものだ」それが有朋の考えだった。
国内世論も出兵について湧いた。特に出兵論を展開したのは『出兵9博士』と呼ばれ、パンフレット『出兵論』に寄稿した大学教授たちだ。
当時の日本にはドイツがオーストリアと同盟を組んだことで、極東に進出する野望を持っていると怖れていた(独墺東漸論)。それを防止するのがシベリア出兵の目的と言っている。
特に戸水衆議員が過激で、「領土的野心を持たないでシベリアに出兵するのは無意味」とまで言い切り、シベリアへの領土拡大を主張している。彼は日露戦争の時にも開戦を唱えた筋金入りでもある。
同じパンフレットで学習院大の志田教授は「領土的野心はない。ロシアが復興すれば直ちに撤兵すべし」と言っている。
9博士の考えは出兵後のビジョンは異なるが、独墺東漸に備え出兵は必要としていた。
一方反対論も盛んだった。石橋湛山、吉野作蔵、与謝野晶子が代表だ。
晶子は「ドイツの脅威を口にして、シベリアへの出兵は積極的防衛と言われるが、大義がありません。私たち国民はそのような幻惑に騙されてはなりません」と言っている。民間人の彼女が『大義名分』を山県同様に口にしているのが実に面白い。
正平は「広大なシベリアに兵力を送り治安を確保するなら、兵隊は50万を必要する。それを輸送するにはシベリア鉄道を利用することになるが、貧弱すぎる。食料、武器弾薬を運ぶには鉄道だけに頼れない。トラックなどが使えれば良いのだが、今の日本の工業力では供給が不足して無理だ。出兵は非常に困難」と考えていた。
その時の正平と山県は同じ考えだった。




