38話 大戦勃発
新しい章の始まりです。
少し日本から世界のことの話が多くなっています。
1914年6月、オーストリア=ハンガリー帝国の支配下にあったモンテネグロの首都サラエボで銃声が響き渡った。
銃弾の犠牲者はオーストラリアの皇太子夫妻であった。この瞬間からヨーロッパは戦争の幕が開けることとなった。
「大戦(THE WAR)」ヨーロッパの人々は今でも戦争と言えば第一次大戦を指す人が多いと言われる。
それだけ人々に死の恐怖を与えたのがこの時の戦いだった。
この大戦は当然日本にも影響を与え、正平の活動にも関わることになるだが、ここで、大戦になる前のヨーロッパの状況を振り返って見よう。
フランス革命からナポレオン戦争までヨーロッパ全土を巻き込んだ戦争が終わると、しばらくの間平和な時代を迎えた。
そしてイギリスにおいて、蒸気機関が生まれた。外から石炭を燃やして、水を熱し蒸気に変えるだけの簡単な機構でありながら、そこから発生するエネルギーを馬の何十倍、何百倍ものエネルギーを取り出すことが出来る。人々はこのエネルギーで多くの様々な機械と一度に大量に人や物を運べる列車、船を動かすようになった。今まで、家内工業的なやり方で生産されていた繊維は、紡績、織機が自動化され多くの人が工場で働き、大量で安い製品を作れるようになる。蒸気機関車や蒸気船の登場で人々は高速で安い乗り物を使い、風などに頼ることの無い交通手段を手に入れた。産業革命と呼ばれるものは蒸気機関から始まった。そして多くの産業が次々に起きていく。
まず石炭や鉄鉱石を掘り出す鉱山業、それから鉄を生産する鉄鋼業、その後に石炭をより高付加価値にする石炭化学業、鉄を加工し様々な機械製品を生み出す機械加工業、鉄道に付随する事業や蒸気船製造も巨大化して行く。人類は新しく得られるようになったエネルギーを使うことによって、後に産業革命と呼ばれる時代に入ることになった。そして多くの工業製品を安く作れるようになって、富を蓄積していく。特に、列強国と呼ばれるようになる、イギリス、フランス、ドイツ、オーストリア、ロシアでは原材料の、安価な労働力、生産される工業製品の消費地として、海外の植民地を次々と開拓していくことになる。
イギリスはスペインやポルトガルに続いて海外に植民地政策を展開しており、エジプト、南アフリカ、インド、マレイシアとシンガポール、オーストラリアとニュージーランド、カナダと言った「日の沈まない帝国」と呼ばれるほど広大な地を確保していった。またいち早く産業革命を起したことで、繊維産業、鉄鋼業、造船業が興隆していき、科学技術力も他国を圧倒するまでになっていた。ただ、余りに広大な植民地を維持するために国内の人材を割くとともに、また植民地の住民の反発などを生んでいた。セポイ兵の反乱、ボーア戦争など鎮圧は出来たが後に、大きな影響を与えることになった。そして中東、清国での利権を争う形で列強国のロシア、ドイツとし烈な競争をするようになっていた。
フランスはイギリスに続いて産業革命を導入し、同じく早くから植民地政策に乗り出した。イギリスとはたびたび植民地争奪戦を行ったが、多くで敗退しイギリスほど広大な植民地は手に入れられなかった。それでもアフリカの北や、中西部、マダガスカル、インドシナなど地下資源や人口の豊富な場所を確保していた。フランスのしたたかな所は何度か手痛い敗戦を受けながら、国土を大きく削減や分割統治されるようなこともなくブルボン王朝から20世紀初頭まで至っていると言うことだ。それは外交戦において決定的な戦略ミスをしなかったことでもある。またフランス革命で国民が国家意識を持ったことで、近代化するうえで必要な市民権利と契約精神があった。国家を守る意識から国軍の編成、徴兵制を一早くから始め、陸軍の近代化も進んでいた。
ドイツは小国が分立していて、プロイセンが盟主となって国内統一するのは19世紀半ばになってからだ。そのプロイセンでは産業革命を早く取り入れ、国力を増し、軍隊の育成にも努めていた。そしてフランスとの国境地帯を争い、普仏戦争に勝利して、列強国の中に躍り出る。ただ、海外の植民地はすでに目ぼしい所をイギリスとフランスにとられ、南西アフリカを確保したこと、太平洋の南洋諸島をスペインから購入できただけだった。そこで衰退が始まった清国に目を付け、山東半島の青島を99年間の租借という形で手に入れていた。また中東にも食指を伸ばそうともしていた。ただ産業革命への取り組みは本家イギリスをも凌駕している面もあり、機械。化学などの技術では他国を引き離すほど発展する。また普仏戦争において勝利したことはドイツ軍がいち早く近代化を成功していたことを示した。
オーストラリアは永らくトルコのヨーロッパ侵略に対する防波堤の役を担い、ヨーロッパ盟主の地位にいた。ただ、神聖ローマ帝国の流れを汲むほどの長い歴史の為か、国民の中に保守的な面があり近代化への欲望が少なく、産業革命への取り組みにも熱意がなかった。ヨーロッパ中央に位置し、長く他国を睥睨していた驕りが新しく起こった波に乗り遅れた感は否めない。それでもトルコ衰退によりバルカン半島への浸食を図り、ヘルツェゴビナ、モンテネグロを併合しており、その影響力は列強国の名に恥じるものではない。ただ、国内にハンガリー民族を抱え、国民に国家意識があまりないこともあって、国防への関心は他国よりも薄く、国軍の近代化は進んでいなかった。
ロシアはヨーロッパの辺境の地にあり、それだけ産業革命に遅れ、国軍の近代化も進んでいなかった。ただ、ヨーロッパからアジアにまたがる広大な国土からもたらされる富は大きく、その富を国の近代化に回し、シベリア開発にも努めていた。さらにトルコ衰退に乗じてカスピ海沿岸まで支配下に置くなど中東に進出し、東アジアでは清国から沿海州を奪うなど領土拡大への野心を隠さなかった。国王の支配体制と言う面では列強国の中で一番強固で、国王の意思が何よりも優先されてもいた。
以上の5か国は列強国と呼ばれ、19世紀以降ヨーロッパの政治を動かしていた




