29話 大学生活
正平はアメリカの軍事大学で、日本とはあまりに違う校風と授業に驚きとともに、感心をしていた。
とにかく正平に誰もがフランクに接してくれる。アメリカの陸軍大学と言え、階級差、人種偏見は当然ある。上級将校を目指しているアメリカ軍人にとって、同盟国でもない日本の中尉に過ぎない正平が、何で入学してできたのか反発もあると考えていた。普通なら差別をされてもおかしくなかった。
だが、大学の教師や生徒の態度は違った。彼らは正平の戦歴と彼の風貌に尊敬を示した。
生徒と言っても将来のアメリカ上級将校達ばかりだ。それが正平の講義に耳を傍立てた。
彼らには正平が生きる教材に映った。
塹壕でどのように戦ってきたのか、機関銃同士の打ち合いがどうなるのか正平が話してくれた。
「正平は凄いよ。あの若さで、作戦会議にも参列していたんだ」
「うちの学校でも、戦争を知っている人はいない」
「彼の体験はどんな授業よりもためになる」
正平は戦場で体験したことを説明することから始めた。
「日露戦争では、発達した銃器が使われたことにより、短時間で多くの死傷者が出てしまった。これからの戦いは如何に死傷者を出さないよう考えないといけないだろう」
1日だけの戦いで死傷者が5千人を超えることもあった。今までの戦いとは比較にならない数である。
「近代兵器を持った者同士の戦いになれば、それだけ死傷者が増えてしまう。そのためにはどのように銃弾を防ぐかがポイントだ」
これまでの戦いは列強国と植民地国との戦いだった。
それまで列強国同士で戦いを起こしたことはなく、殆ど植民地の住民の反乱を鎮めるための戦いだった。
そのため、欧米諸国は優秀な武器を持った少数の部隊で、圧倒的多数の原住民を殺戮し、鎮圧していた。
それが、日露戦争では互いに、優秀な武器を使用しあうことになり、死傷者が激増した。
「これからの戦いは優れた武器を開発するとともに、防具も用意しなければならない」
正平は銃弾や砲弾から兵士の身を守る、防具があればと感じていた。
彼の念頭には鉄兜や防弾チョッキがあった。ただ、それはまだ具体的の形になっておらず、開陳するまでには至らなかった。
後の大戦でアメリカ軍はヨーロッパに行き、緒戦で多くの犠牲者を出してしまい、鉄兜の必要性を痛感することになる。
正平がこの時もっと具体的なイメージをもっと紹介していたなら、アメリカ軍の防具意識を変えられていたのかもしれない。
正平にとっても学校での体験は有意義だった。
とにかく日本人とアメリカ人の考えの違いが分かった。
例えば日本では「一発筆誅主義」で狙ったものを正確に当てることを重視した。しかしそれは弾薬を出し惜しみすることに繋がる。
一方アメリカは「「相手を圧倒するだけの弾薬を撃ち放て」で、悪く言えば「下手な鉄砲、数うちゃ当たる」
ただ、旅順攻撃でもし日本がアメリカのやり方をもっと取り入れれば、死傷者の数を減らすことが出来たと思っている。
アメリカ軍なら203高地の山が変形するくらいに砲弾を浴びせ続けただろう。
「戦争に勝つ」アメリカ軍はこのことに至上命令だった。
勿論日本でも同じだった。だが、アメリカの工業力を全てつぎ込んでも弾薬を造り、相手を圧倒させる。
日本に工業生産力を増大させ、相手を上回るだけの弾薬を供給させていくような戦略がなかった。
正平はこのことを痛感していた。
ゼミの会が重なるにつれ、将来の戦いにも言及するようにもなっていく。
「日本軍が苦労したことの一つは物資の運搬だ。馬や人力で武器・弾薬を運ぶのはあまりに非効率だった。私は自動車が馬に代わるものと期待する」
正平がゼミで持論を述べた。
すると、すぐに反論が来た。「だが、自動車は余りに故障が多すぎて戦場では使えないのではないか。」
「戦地の荒れた道でタイヤはすぐにパンクする」
「何より、エンジンが戦場で壊れたら、どうにもならない」
その反論はもっともなことだった。当時のエンジンはすぐに故障するし、何より始動すること自体が大変だった。
車体の前にあるクランク棒を、勢いよく回さないとエンジンがかからない。それもただ、力かぎり速く回すのではなく、回すタイミングのこつのようなものがあって、一発でエンジンをかけられるのは熟練者と見なされた。
そんな車を戦地で使うのは少し無謀の考えに思われてもしょうがない。
「車1台で馬の数頭分の荷物が運べる。雨でも夜中でもガソリンさえあれば使うことが出来る、それに自動車は年々進歩している。自動車がなくてはならない物になると思う」それでも正平は譲らない。
20世紀初頭、ガソリン車は蒸気や電気自動車などと覇権争いをしていた。正平が渡米したころは、ガソリン車の優位性が認められだした時期だ。
アメリカのテキサスで大油田が見つかり、ガソリンが安く入手できるようになり、フォードが量産車を開発し、ガソリン車が普及しだした頃である。
ただ、当時の自動車は便利な乗り物だが扱いにくいとされていた。
電動モーターを使ったセルフスターターが開発され一般化されるのは、その十年後のことだ。
「中世の戦いでは馬に馬車を引かせ、戦場を駆け巡っていた。今は銃の発達で馬を戦場に出すことが出来なくなったが、自働車なら可能ではないのか。
ガソリンエンジンなら厚い鋼鉄で装甲して、車体重量が増加しても動かせる。
自働車を戦場で使う方法も開発した方が良い」
正平は戦車のイメージで話したが、それは後の戦いで実現する。
この時は賛否が分かれる。
「すぐに故障し、パンクする車なんて、戦場に持ち込めない。せいぜい運搬に使えればよい」
「いや車を重装備すれば塹壕にいる敵兵もあっという間に片づけられる」
賛否両論で討論が始まり、白熱する。
正平のゼミは研究会の様相も帯び始めるほど受講者に好評だった。
それは何よりも正平が実戦で学び、将来戦いがどのように変わるか見据えた考えだと受講者が理解していたこともある。
正平にとっても年代の近い将校と議論することは意義があった。そして何よりアメリカ人のフランクな態度と合理性、探求性に舌を巻くこともしばしばあった。
(アメリカ人と言う奴は合理性を持ちながら、冒険心も持っている。何事にも慎重な日本人とは考えが違うが、これはこれで面白い)
正平は彼らと打ち解け、パーティに呼ばれるなど親しい友人も出来るようになっていく。




