28話 アメリカ陸軍学校
ワシントンに着くと、大使館にいる駐在武官に面会した。
その武官は小杉と名乗り、立派な鼻髭を伸ばしていたが、少し白髪の混ざる中年であった。
「珍しいな。普通陸軍だとドイツなどヨーロッパに勉強に行くだろう」紹介し合って、すぐに武官が切り出した。
「私は軍事だけを研究したいのではなく、産業や科学の発展性も知らなくてはならないと思っております。アメリカの工業力は一部の分野ではヨーロッパをすでに追い抜いていますし、やがて圧倒的な地位を示すことになると思います。私は今アメリカがどのように発展しているのか知りたいのです」
「うーむ。それなら、まず鉄鋼業を知るのが一番だ。アメリカの鉄鋼生産量は既にイギリスを抜き世界一になっている。鉄鋼の利用状況も各分野に広がっている。特に鉄道関係では多くの橋が鉄製に置き換わろうとしている。
丈夫で壊れにくい鉄橋はこれからわが国でも採用されていくことになるだろう。よく調べて欲しいものだ」
「自動車産業も気になります」
「確かに、今アメリカでは自動車の普及が目覚ましい。おそらく欧州のどの国よりも伸び率は大きいだろう」
「私はアメリカの発展ぶりとその理由を知りたいのです」
「君の言うことはよく分かる。今のアメリカの発展ぶりは目覚ましいばかりだ。自動車はどこにでも走っている。自動車を持たなければ一流の市民と思われないかのように、競って自動車を買っている。この有様は少し異様にも思えるが、この大衆の動きが自動車を普及させているのだと思う」
まだ意識されていなかったが、アメリカでは中流階級が増え始めていた。自動車は上流の金持ちの道楽の持ち物としか思われてなかった。それが大量生産で車が安く作られるようになり、中流の家でも少し無理をすれば車に手が届くまでになっていた。
安いから売れる→売れるからもっと安くなる→安くなれば買える人が増える
そのような循環が回りだしていた。
正平がアメリカに渡った時、大量生産大量消費の波がアメリカ社会に起こり始めた時だった。
慌ただしいほど移り変わる社会に驚きと脅威を感じた。
「これだけの工業力を持っていれば、武器製造も膨大な量を作れる」
日露戦争で弾薬が尽き欠けた日本の実情を思うと、『どのように工業化を進めればよいのか』大きな課題を見つけていた。
その後、小林と相談して正平の英語能力は日常会話に問題ないが、専門的な講義を受けるには不足していると判断された。まず一般大学で英語能力を向上したうえで、軍事大学の講義を受けることになった。
「良子さん。お久しぶりです。
語学学校の入学手続きなどに多忙で、お便りが遅れてしまいました。
私は今、軍事大学の講義を受けるために、活動続けています。
いたって元気です。
良子さんも、お体を大切にしてください」
渡米より5か月してからアメリカ陸軍指揮幕僚大学の面接を受けることになった。この時には正平は日常会話においては勿論、ある程度の大学の授業を理解するまでになっていた。
この学校はアメリカ陸軍で大佐以上の階級になるために、卒業しなければならないほど権威がある。しかもこの学校に入学できるのは、アメリカ陸軍の少佐か中佐で指名者リストに載った現役軍人、あるいは同盟国軍の将校で双方の国から推薦を受けた現役軍人だけという厳しさだ。
正平はまだ中尉であり、その時点では全く資格がなかった。しかも日本とアメリカは友好国ではあるが、同盟国ではない。
面接を受けること自体異例とも言える。これには、山県などからの推薦状が物を言ったのは事実である。
おそらく山県のプッシュでアメリカ駐在の外交官が相当働いてくれたのだろう。
「歴戦の勇士が入学を希望している。とりあえず会うだけは会ってみようではないか」学長は国務省からの働きかけと、正平の経歴に興味を持った。
面接官を始め、学長や教官など5人が立ち会うことになった。
そこで正平の風貌が役に立つ。
面接官たちは入って来た正平の眼帯にまず驚いた。
「君のその目は日露戦争によるものか?」
面接官は受験者の怪我など配慮することなくずけずけ言って来る。そんなことを気にするようでは面接官など務まらない。
「そうです。私は旅順の包囲戦に加わり、砲撃を受け、左目を失くしました」
「何、旅順で?それならどのように戦いが行われたのか説明できるのか?」
「かいつまんで言いますと、日本は包囲戦に不慣れな面がありました。突撃すれば敵陣を突破できると軽く考えていました。
そのために、初回で多くの犠牲者を出してしまい、突撃作戦は失敗した。
その後、28センチ砲を取り寄せて、堡塁を一つずつ破壊する戦術をとりました。この砲撃は効果的で、特に、決定的だったのが203高地を奪取できたことです。これにより旅順港を府眼することが出来、ロシア艦隊のみならず、旅順の市街地を砲撃できたのです」
「28センチ砲が有効だと言うが、そのほかに目立ったことはないのか?」
面接官は軍人上がりで正平の履歴を確認するよりも、旅順の攻防戦のことに関心が移ってしまった。
当時のアメリカの軍人は南北戦争から40年も経ち、最近の戦争と言えばフィリピンの独立を鎮圧したぐらいで、殆ど実戦経験がない。目の前にいる受験生が本物の戦争を体験しており、近代戦を潜り抜けた人物と分かった。
それだけで、軍人として正平の体験したことに夢中になったのだ。
「ストップ。少し我々で協議しようではないか?」学長が待ったをかけ面接が中断した。
別の部屋で少し待たされてからまた呼ばれた。
「ミスター塚田。君はこの学校でゼミに加わることを考えないか?それなら入学を検討しよう」
ゼミとはテーマに沿って、講義するとともに、受講者と共に意見を述べあうシステムだ。単なる講義よりも自由で活発な議論が繰り広げられる。
「勿論です。アメリカ軍人との意見交換は私も願っています」
学長は正平が実戦経験のある人物で、かつ作戦行動にも造詣が深いことを知った。
本来なら同盟国でもない日本の将校の入学を許可出来ないが、正平の体験を聞ける機会を逃したくはなかった。
「ミスター塚田を入稿させるべきだ。彼の体験談は必ずアメリカ軍にとって有効なものになる」学長は面接官に持論をぶった。
ある意味、学長の独断とも言える決定だった。
ただ、それは学校にとって大変有益な物になって来ると確信していた。




