27話 アメリカ渡航
その後、留学の準備に慌ただしい時を過ごすことになった。
良子とは一度だけ会う機会ができた。
「先日お会いした時に、聞きそびれてしまいましたが、良子さんはどんなものが好きですか?
興味のあるものや趣味をお持ちですか?」
「趣味とは言えませんが、お琴を習っておりました。他にはお裁縫が好きです。気に入った柄のものを縫い合わせて、上手く模様が作れた時は嬉しいです」
「アメリカでお裁縫の道具があるか探して見ますよ」
「それなら、刺繍をする道具や綺麗な糸と布を見つけてください」
「それでよいなら、構いません」
そんなやり取りが正平には嬉しかった。
これまで、男性社会でしか暮らして来なくて、若い女性と話をしたこともなかったのに、良子とは会話が弾む。
それは良子が快活で明るかったこと、何より聡明で正平の話を素直に聞いてくれたからだと思う。
当時アメリカへの渡航は横浜から船でサンフランシスコに行くのが普通だった。
約12日の船旅は今思えば大変な日数を要するものだ。
この船上で正平は出来る限り時間の無駄をしたくないと考えた。
船にはアメリカ人と思しき男性の何人かがいる。
正平は彼らにものおじすることなく話しかけて、英会話の練習相手と考えたのだ。
「グッドモーニング」まず挨拶をするのだが上手く伝わらなかった。
片目の人相の良くない日本人から突然話しかけられ、警戒されたのだ。
それでも言葉が通じなければ身振り手振りで会話を試みていく。
不思議なもので、一度挨拶できるとそれからは話が通じやすくなる。
その中の一人の男性が船上で暇をもてあそんでいたのか、正平の練習に良く付き合ってくれるようになった。
「ノー。それでは分からない」
日本で習っていた英語とは発音が違うらしい。
何度もダメだしされる。
正平は決して社交家タイプではない。どちらかと言えば寡黙で、用もなければ丸一日何もしゃべらずに過ごすことも苦にならない。
だが、必要となればどんな人物だろうと臆することはない。
数日で打ち解け、暇さえあれば付き合って、英語のチェックをしてくれた。
そこで船内の飲み場に誘った。
「正平は面白い奴だな」カウンターで、ちょっとした手品を見せたのだ。
昔、伊豆の町で祭りに手品師が来て、次々と芸を披露していた。
「お金がどっちにあるかわかるか?」集まっていた観客に向かって言った。
手のひらを開き硬貨を置き、そこで握って隠し、左右のどちらにあるか当てさせる芸だった。
「右だ。左だ」大人たちは真剣に答えるが誰も当てられない。勿論正平もどちらにあるか分からなかった。
ところが座って下からのぞき込む様にして見ると男が手の甲に巧みに硬貨を隠し、それを右左に移しているのが分かった。
簡単なトリックだった。それでも大勢の大人が見とれて気づかないでいた。
正平は何も言わず男のトリックをじっくりと真似をし始めていた。
家に帰ると早速弟たちに見せてやった。
「お兄ちゃん凄い」何度もせがまれて困ってしまうくらい、兄妹から感心されたことがあった。
酒場で披露したのはその応用だった。
顔見知りのアメリカ人達を前に正平は手に隠されたコインがどちらかにあるか当てさせたのだが、一度も正解させなかった。
「お前は凄いな。これをアメリカの路上で見せれば一稼ぎできるぞ」
勿論、正平にそんな魂胆はない。ただそれを機会に船内のアメリカ人から気軽に声を掛けられるようになり英会話が上達していった。
そんな船旅をしながらアメリカ本土に突くと正平は手紙を早速に手紙を書いている。
「良子さん。私は今、サンフランシスコに着いて、ホテルで手紙を書いています。
ホテルの受付で、英語のみで会話をしましたが、何とか通じたようです。
戸惑いもなく部屋に案内してくれ、チップも渡すことが出来ました。
12日間の船旅が私にはよい英語勉強になってくれたようです。
ちょっと見ただけですが、サンフランシスコの町は活気に満ちて、大きな建物が連なり、広く整然とした街並みは日本とは大きく違うように思います。
この後、列車で東海岸に向かいます。
日本はこれから寒い季節を迎えますが、お体に気を付けてお過ごしください。」
「良子さん、ようやくニュウーヨークに着きました。
60時間以上もかけてシカゴに着き、更に1日半もかけないとアメリカを横断できないのですから、この国が如何に広大だとお分かりかと思います。
中西部において見渡す限りの広い農地には圧倒されました。線路を何処まで行っても同じ風景が続くのです。
大河を渡る船なども大きな蒸気船が使われており、日本では想像もできない光景でした。
ニューヨークの建物は高く、車も人も往来を行き来していて活気があります。
これからアメリカの陸軍大学を見てくることになりますが、壮大なことにまた驚かされるでしょう。
では、お身体を大切に、風邪などひかぬようお気を付けください」




