257話 大団円
正平は70になった。その祝いでもなかったが、アメリカの陸軍学校から招待されることになった。
日本とアメリカとの関係は吉田が首相になって、随分改善する。これは正平が軍人出身で日本を軍事独裁国家のイメージが常にアメリカから持たれていたのに対し、外務官僚上がりの吉田になって悪いイメージが払しょくされたことが大きい。
もう一つはアメリカとソ連の関係悪化が影響したことも見逃せない。
ルーズベルトは45年に病死し、その後を継いだトルーマンも容共姿勢で、ソ連とは友好関係が続いた。しかし、第二次世界大戦の後、ヨーロッパに大きな勢力を持ったソ連は次第にアメリカと対抗する姿勢が見せるようになる。
46年にイギリス首相を退任したチャーチルがアメリカでの講演で、「バルト海からアドリア海まで、ヨーロッパ大陸を横切る“鉄のカーテン”が降ろされた。中部と東のヨーロッパの歴史ある首都は、全てその向こうにある。」と言ったのは有名な話だ。冷徹にチャーチルは現状を表現した。
勿論、アメリカの保守派も黙って見ているだけではない。共産主義者を懐疑的に捉え、ソ連を危険と感じるようになる。更に、アメリカ政府の高級役人がソ連政府の意向を受けて活動したことで逮捕され、これが決定的となった。アメリカ国内で“マッカーシ旋風”と呼ばれる過激な赤狩り(共産主義者を糾弾する運動)に繋がっていく。米ロ関係は急速に悪化し、冷戦状態と呼ばれる時代になった。
アメリカは外交方針を大きく変え、社会主義勢力に対抗するために、自由主義国に結束を呼び掛ける。この情勢を吉田首相はうまく捉え、日米外交を同盟関係にまで強化させていく。
この頃、日本はアメリカに次ぐ西側での経済力を持っており、軍事力でも存在感をしめしていた。アメリカも日本を重要視するほかなかったのだ。
日米関係が友好的になると、アメリカの政治軍事専門家の正平への人物評は「日本の軍事独裁者」から、「第二次大戦を世界で一番うまく乗り切った指導者」と変る。
戦争に加わった国の中で、最も戦死者が少なく、唯一国力を増やしたのは日本だけだった。これを指導したのが正平であり、なおかつ統制国家から民主主義にと政治体制を変えたと評価された。
アメリカにはメアリと同伴する。首相を辞めてから国内の旅行は何度もしているが、夫婦での海外旅行はこれが初めてだ。
「飛行機なんて怖いわ」と最初は尻込みしていたメアリも半日程度のフライトで中継地ハワイに着くころには、すっかり気が変わっていた。
「なんて早いの。船なら12日もかかるのよ」と興奮を隠しきれない。
二人で浜辺を散策すると、自然に手を握り合って、恋人気分に浸る。
「あなたとこうして散歩できるなんて、夢のようね」
「ああそうだね。長旅で疲れただろう。少し休もうか」
砂浜に腰掛けていると何時しか正平の肩に頭を預けてくる。
横顔に夕日が映え、正平はこんな美しい妻を始めて見たように感じるのだった。
楽しい思いをしたハワイを発ち、東海岸に着くと、次男の正司も空港に出迎えていた。
次男はアメリカで物理を学び、そのまま博士号を取得し、遅くなってアメリカ女性と結婚しアメリカ国籍になっている。
「お父さん、お母さんようこそ」物腰はすっかりアメリカ人になり切っており、学者の顔になっていた。
そのままホテルに着くと「グランファザー、誕生日おめでとう」3人の孫たちがケーキを持ってきてくれた。孫たちとは初対面と言って良いが、物おじしない。
「随分大きくなったな」
「あなたは随分おじいちゃんになってよ」
隻眼からは鋭さは消えていた。
すっかり次男夫婦のもてなしで寛いだ二人は戦略大学を訪れた。
正平が1年と少しの間、過ごした学校はアメリカ陸軍最高学府であり、殆どの卒業生は大佐以上に昇進するエリート養成校だ。
机を並べ討論した学友達は将校の勲章を胸にして駆けつけてくれ、中には総合司令官にもなった顔まである。
彼らの前で、正平は卒業証書を渡された。
「ミスター塚田は在学時に、ヘルメットや防弾服の重要性、自動車や飛行機が戦場で多くの役割を果たすなどと先進的な提言をしていた。我が国陸軍はこの提言を受け入れ、新兵器開発に大きく役に立った。
更に第二次大戦では日本の指導者としてソ連と戦い勝利した。その功績を称え、卒業証書を授けるとともに、名誉教授の称号を贈ります」
あまりのことに、「これほどの名誉はありません」言葉少なに謝意を言うのが精いっぱいだ。
卒業証書の返礼にスピーチをした。
「共産主義とは革命と言う名を借りた帝王主義です。共産党のトップになれば、生涯独裁者として君臨し、まず引きずり降ろされることもない。国民は独裁者のために働かされ、奉仕することを強要される。共産主義と言う美名のもとに、国民は独裁者の奴隷に陥ってしまう。共産国家とはそのようなものだ。
スターリンを見てみよう。彼は30年以上ソ連の独裁者であり、反対する者は粛清されるか、シベリアに送られた。私はソ連と戦った際にシベリアの政治犯を多く釈放したが、彼らの証言で共産主義国が一握りの上流階級と大部分の奴隷階級に分かれていると知った。
自由主義者の中には共産主義と共存できると主張する者もいるが、それは完全に誤りだ。自由主義と共産主義は決して相容れる関係ではない。
共産党は契約を守らない、守るのは共産党に都合の良い時だけです。このことに世界は気付かないといけない。この世から共産主義を駆逐しなければ世界の平和はやって来ない。
しかし、これの解決策は戦争ではありません。経済の効率性は自由主義経済の方がはるかに優位です。時が経てば経つほど、この差は歴然となり必ず、共産主義経済は行き詰まります。
自由主義国は共産主義国を力でねじ伏せることをしなくても勝てます。自由主義国は勤勉に経済を回していけば必ず勝てる。時間だけの問題なのです」
このように締めくくると万雷の拍手に包まれた。
このスピーチにはジャーナリストも駆けつけており、後でいくつかの質問を受けることになった。
「あなたは軍人ながら国の指導者になりました。その経験から学ばれたことがありますか?何が指導者として大切ですか?」
「確かに私は軍人でありながら、日本の首相に就いた。多くの業務を行った中で、いくつかの失敗もした。だが、私は失敗を失敗と認め、それを覆い隠そうとしなかった。失敗を糊塗しようとすれば、いずれ矛盾が生じ、白日の前で露見する。指導者として最もしてはいけないのは、失敗を糊塗しようとして、より大きな失敗を重ねることだ。そうなれば国民からの信頼が損なわれる。
指導者として何が大切かとの質問ですが、国民からの信頼だと言い切れます。国民の信頼を失った指導者は、潔く退けばよい、替わりの者が国家を指導する。それが民主主義の良さと思っている。」
「自由主義経済が共産主義経済より勝ると言われましたが、ソ連経済の成長は目覚ましいと思います。この点はあなたの話と矛盾しているように思われますが?」
「ソ連の発表を鵜呑みにすれば、ソ連経済は大いに発展しているのでしょう。しかし、何一つ具体的な事実に基づいておりません。西側諸国と東側ではほとんど貿易が行われておらず確認しようがないのです。しかし、ソ連から亡命した者や収容所から解放した者達の証言によるとソ連経済がうまくいってないことが分かります。また彼らの作った品物などを入手しましたが、西側では不便で使えないものがほとんどだった。これを見ても、ソ連経済は上手く行っておらず、発展していると誇大に宣伝していると分かります」
その後、ひと月近くアメリカを旅行し、多くの要人とも会った中に、元大統領のフーバーがいる。
フーバーの私邸を訪れ、始めて会った時と同様、二人だけで長いこと話し合った。
「日本は非常に上手く立ち回ったな。日本がアメリカに牙を剥けなかったのは両国にとって非常に良かったよ」
「前回貴方の示唆が非常に役立ちました。そこで貴方にお聞きしたいのは、アメリカは何故参戦したのですか?ドイツとソ連が戦い始め、アメリカにとってこれほど好都合はなかった。あのまま、両国に死闘を続けさせれば、どちらも力尽き滅んでしまうことも考えられた。アメリカが参戦したことで、ドイツは両面作戦を展開し、ソ連が勢いづかせることになった。アメリカがあまりに早く参戦したことでアメリカ兵士は多く死に、戦費も膨らんでしまった。」
「確かにアメリカの参戦は早すぎた。参戦した理由は一人の女性歌手が殺されたからです」
「ですが、どんな人気歌手でも国家の存亡にまで左右することなのですか。何より不思議なのは彼女が危険を冒してまでイギリスに渡航しようとしたことです。彼女はイギリスに渡る必要があったのですか?」
「勿論、一人の女性歌手より、国家の安全が重要だ。アメリカが参戦する必要は何もない。私もどうして彼女が海を渡ろうとしたのか知りませんし、これが誰かの陰謀であったのかも知りえないのです。ただ陰謀にアメリカ大統領が寄与してないと信じています。」
最後の言葉には苦渋が滲んでいた。彼は陰謀論を否定しながらも、どこか疑いを抱いていると正平は受け取った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
帰国しても正平夫婦は良く旅行にでかけた。黒い眼帯を付けていかつい顔立ちの老人と金髪で長身女性のアベックはどこにいても目立つ。
「あ、塚田首相だ」周囲でそんな声が囁かれた。
だが、もう二人は慣れっこになって、気にする様子もない。警護の者を断って、どこに行くのも二人だけで気ままな旅行を楽しんでいる。
箱根の宿で休んでいる時だった。メアリとお茶をすすっている時にふと話しかけた。
「日本に来る前に、小説家になりたいと言っていたよね。どう傑作を書けた?」
「何なの昔のことを言い出して。そうね、そんなことも言ったわよね。でもね、私は傑作を書けなかったけれど、日本で最高の舞台を見られたわ。」
そんな演劇が日本にあったのかといぶかし気にすると、「震災で打ち砕かれた国家が立ち直り、世界有数の国家になっていった。その国を指導した者が夫で、私は悩みながらも活躍する姿を目の当たりにできたわ。そんな舞台を見られたなんて、最高だと思わない」といたずらっぽく笑った。
終わり
最終回は話を詰め込み過ぎて、長くなりました。極東地域の開発、財閥の存在、朝鮮の独立問題など、まだ語りつくせないことがありましたが、ここらで終わりとしました。
この話は、歴史の中に如何に主人公を入れ、活躍させるかを考えました。どのように話を創れば無理な展開にならないか、史実になるべく沿うように、ジグソーパズルをする気分で書きました。
資料などを見ながらでしたが、私の浅学に皆さんからのご指摘や批判も数多くあり、その度に赤面した次第です。コメント返しをしませんでしたが、文中で答えていくつもりでした。
本当にここまで読んでいただきありがとうございました。
なお年明けから、新しい話を投稿していくつもりです。題名は「私の中の怪物(仮題)」を考えています。できればこちらにも興味を持っていただければ嬉しいです。




