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旭日に顔を上げよ  作者: 寿和丸
最終章
251/257

251話 総選挙

日本の領土は急拡大し、何よりも欲しかった地下資源が豊富で、沿海州やハバロフスク州からは石炭と鉄が産出され、そして北樺太には油田がある。

実際に採掘調査しないと量や質がどの程度か分からないが、これまで日本に絶対的に足りてなかった物が手に入るのは大きい。

正平がこの地を欲しかったのはそれだけでなく、人口が少なく、人口密度も低いからだ。

新たな領土になる住民の数も調査してみないと正確でないが、400万以下と見られ、これは700万を超える台湾と比べてもはるかにすくない。それだけ統治が容易になると考えた。

「朝鮮半島はあれだけの小ささなのに人口が2430万だ。それを統治するために、多数の役人や軍人、警官を置かなければならないし、多額の予算をつぎ込んでいる。併合してから、30年も超えるのに、いまだに税収面では大赤字になっている。何のために併合したのか分からない。

それに比べ、台湾は統治が楽で、大きな税収が上がっている。これは人口が少なくて、インフラや治安維持に多額の予算を投入しなくて済むからだ。今度の極東地域にも同じことが言えると思う。

当面は、税収は期待できず、インフラ整備に金がかかるだろうが、恵まれた地下資源と広い国土を利用すれば農業・林業も期待できる。税収がインフラ投資を上回るのはそんなに遠くないだろう」と正平は勉強会で発言している。


日本がソ連に勝利し、国土が3倍にもなったことは国民を熱狂させた。

各地で戦勝祝賀行事が催され、帰還して来る兵士は英雄として歓迎される。

今度の戦争で戦死した兵士の数は1万を少し超えただけで済み、多くの若者が故郷に無事な姿を見せた。

正平にとってもそれが一番の喜びだ。

戦争を始める時悩んだのは、多くの若者を戦地に行かせることだった。

「旅順で俺は多くの兵士が死んでいくのを見てきた。今回は1万の若者を死地に追いやることになった。本当は誰も死なせはしたくなかった。」

死を怖れないために軍隊では精神を徹底的に鍛えられる。

当然正平も、戦場での死は覚悟して戦った。だが、自分が死ぬことと、部下を死なせることは全く違う。

指導者として、避けて通れないこと、決断しなくてはならないことはある。

「戦争の道を選んだが、やはり1万の若者を死なせてしまった」悔悟を含んだ勝利でもあった。


戦勝報告を天皇に奏上した時、天皇から喜びのお言葉を告げられた。

戦争反対の意思が強い天皇の気持ちに反してまで踏み切ったことは、正平にとって大きな負担だった。それだけに喜びの言葉を掛けて貰え、肩の荷が下りた。

だが、天皇のお気持ちを考えれば、戦争を決断してしまったことは大いに反省することだ。

「もう、戦争はやるまい。やらせまい。これからの政策はどのように戦時体制から富国政策に舵を切ることだ」

正平は次の政策を考えた。

「大勝利したことは良かったが、これは勝ちすぎた。信玄は戦は6分か7分の勝利がちょうどいいと言った。おそらく勝ちすぎれば、味方が驕り慢心の気持ちが高まるのを憂慮した発言だろう。今の日本の状態も那時と言える。

ここまで勝ってしまうと国民も軍人も勝利に酔い、“日本はどことやっても勝てる”と思い込んでしまう。

しかし、戦争なんて絶対に勝つなんてありえない。負けるリスクは必ずあるものだ。何でも戦争で解決できると考えるのは思い上がりだ。

日本には広い国土が手に入った。外国との貿易に頼らなくても、資材を国内で調達できるはず。

国民の気持ちを国内政策に向けさせるのが今一番やらなければならない。」


この考えを勉強会のメンバーに伝えると、それまで勉強会のメンバーも勝利の余韻に浸っていた顔が、皆神妙な顔つきになる。

「塚田さんは戦争に勝った後でも、そのような考えをお持ちなのですか」陸軍の水野があきれ顔で、そして直截に言う。

「戦争に絶対のことはあり得ない。勝利も絶対ではなく、負けることだってある。いまのまま、国民が勝利に浮かれていては、何でも戦争で解決しようと言う空気になる。それは実に危険だ」

「塚田さんの気持ちは分かります。戦争でいつも勝てるとは限りませんからな」海軍の岡田も頷きながら言うと、他のメンバーも同調する。

「それで、何を考えているのですか?」安田は正平が次の手を考えていると読んだ。

「衆議院を解散して、総選挙を行う」こう言い放った。


正平は42年の12月、より権力を固めるために、自由党の勢力を拡大しようとして、衆議院を解散して総選挙に打って出た。ヨーロッパへの輸出が引き続き好調で景気が良く、ソ連との戦争に勝利した直後で、国民の人気が高い時に行えば選挙に勝てると踏んだからだ。

自由党の勢力を拡大して、新たな政策を実行しようとした。


総選挙で訴えたのは「国民の宥和」と「地方自治」だった。

「戦争に勝って領土が広がり、多くの外国人が日本人となる。言葉も風習も異なる、異国の人々を我々は受け入れないといけない。国内で言葉や風習が異なることで、互いに相手を誤解し、軽蔑あるいは怖れていては皆が豊かになれない。互いに仲良くし合わなければ良い社会が築けない。国民同士の宥和こそこれからはもっと必要になる。

そして、東京や大阪だけが繁栄するようでは国全体として良いことではない。地方にも東京や大阪に負けない街づくりをしないとならない。そのためには地方の経済を発展させることが何より重要だ。しかし、現在の行政政策は東京や大阪に権力が集まり、地方が独自の政策を採れない。

自由党はこれらの政策を実現するために、人権を尊重する法案や地方自治の法案を作っていく。」

その結果、自由党が過半数を占めることができた。これで正平の考えが実現できる。

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