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旭日に顔を上げよ  作者: 寿和丸
4章 アメリカ留学
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25話 山県有朋

桑原にはアメリカ行きを希望し、それについては質問もなかった。おそらく桑原もアメリカ行きを望んでいたのかもしれない。

その代わり別の話が持ち出された。「山県さんがお前に興味をお持ちのようだ」

山県有朋は日本陸軍を創設した大村益次郎の亡き後、陸軍を仕切って来た人物だ。後々、彼により陸軍には長州閥と呼ばれる勢力が幅を利かすようになり、反発した陸軍大学出身者が対抗するようになる。派閥争いの火種を作った人物とも言えるが、日清戦争や日露戦争で日本を勝利に導いた一人でもある。この当時の山県は陸軍では絶対的な存在と言えた。

その人物に興味があると言われては、挨拶に行くしかない。


向こうからの話ではあったが、相手が大人物でもありすぐには会ってくれないだろうと覚悟していた。ただ、屋敷を訪問すると意外にも簡単に応接に通してくれ本人が現れた。

「桑原君から面白い若者がいると前から聞かされていた。そして乃木からも片目を失っても前線に出ると駄々をこねた奴がいると聞いている。どんな男か見て確かめたかった」

そう言って、品定めをするように正平の顔をじっと見てきた。

正平も畏れずに見返す。

「いい面構えだ」どうやら気に入られたようだ。

山県は桑原から「俺の子飼いが陸幼から陸士までトップで卒業した」といつも自慢話を聞かされていた。

それだけなら、「頭の良い秀才上りなら何人でもいる」と鼻で笑って興味を持てなかった。

ただ、乃木将軍から旅順での正平のことを聞き、興味を覚えた。

「片目を失っても、すぐに前線に出ると言い出しました。それにロシア将校にも適切に対応してくれました」

それを聞いて(怪我しても戦場に出ようとは気骨がある奴)と感じた。

幕末から明治維新まで、何度も修羅場を潜って来た山県は、怪我などをして挫折した連中を多く見てきた。

心意気は高くても、いざ危険となれば逃げだしてしまう者も大勢いた。

『高杉(晋作)さんが功山寺で決起した時、多くの者が尻込みをした。

あの時、皆死ぬのが怖かった。それでも高杉さんについて行こうとした者は、本当に気骨を持っていた。誰だって死ぬのは怖い。それでもあの時、高杉さんの情熱に突き動かされた』

目の前の畏れもなくこちらを見つめる若者に、志士として活躍した時代を思い起こすものがあった。


「今度の戦争をどのように見る。世間は講和条約に暴動騒ぎだが、お前はどう考えている」

日本はアメリカの仲介でどうにかロシアとの和平にこぎつけられた。ただ勝利したにも拘らず、賠償金は貰えず、獲得できた領土は樺太の南半分だけだった。

勝つために日本国民は一致団結し耐え抜いた。ようやく勝利できたと言うのにあまりに見返りが少ないことに国民は怒ってしまう。

ほとんどの新聞が日本政府の弱腰外交を詰り、小村寿太郎外相を糾弾した。

そして一部暴動化した市民が日比谷公園に集まり焼き討ち騒ぎに発展した。

「日本は何とか引き分けに持ち込めた状況です。講和は当然だと思っています」

正平にも暴徒の心情は分かった。実際に戦い仲間や部下を失い、左目までも失ったのだ。もう少し勝利の成果が欲しい気もする。

だが、日本陸軍の残っている武器弾薬はほとんど尽き欠けていたのも知っている。

「もうこれ以上日本は戦う力を持っていない」それが戦地で戦いを見ていた正平の実感だった。

引き分けの形にでも持っていければ、交渉は大成功と見ていたのだ。

「交渉の結果、ロシアはもう朝鮮半島に手出しできなくなったし、南満州の利権まで手に出来たのだから満足すべきです」本音で思っていた。

「お前もそう思うか」

山県はこの答えに満足した。

(こいつは軍事馬鹿ではない。日本の状況をよく見ている)

それに乃木からロシアとの交渉でも適切に動いたと聞かされた。

(頭が良いだけでなく、目端が効き、度胸もある。こいつを手元で見ておこう)

そしてすぐに話題を変えた。

「アメリカに行きたいそうだな。何故だ」

「アメリカは近い将来一番発展し、強大になる国だと思っています。そのアメリカを見たいです」

「よし分かった」すんなり話は通った。

山県との面会は面接試験の様なものだった。そして正平はこの試験に合格した。


山県は軍事強硬派と思われがちだが、日露戦争の時は慎重論で終始している。

日本陸軍の創立者と言っても良い位、陸軍の実権を握り続けていたし、政治面においては民権運動を叩き潰した人物である。

ただ、現状認識では非常に現実的で、ロシアとの戦争を不可避と認識しつつ、回避も模索していた。

そして、薩摩閥への対抗心も大いに燃やしていた。

「海軍が薩摩に握られているなら、陸軍は長州が取る」そんな考えで長州(山口県)出身者を大いに重用した。

それが陸軍を長州閥の巣窟にしてしまった。

彼にすれば薩摩との対抗心で陸軍を多く長州出身者で固めただけだった。

それが後々、陸軍、日本の運命を決めかねない状況に陥らせることになる。

正平を手元で使おうとしたのもそんな軍閥の勢力争いを考えたからかもしれない。


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