247話 御前会議と開戦決定
アメリカがドイツに宣戦布告したことで、正平は世界が変わると思った。吉田外相とも相談して、アメリカとの外交を考えた。
「アメリカが参戦して、日本との交渉に関心を払わなくなったと思うが?」
「そうですね。もうアメリカは日本との外交どころではないでしょう。ドイツとの対戦で手一杯のはずですから」
そしてこの機会を逃すべきでないと考えた。
「アメリカがドイツと戦うとなれば、もう日本に干渉してくる余裕はなくなる。もし日本がソ連を攻撃しても、非難はするだろうが、制裁行動はとれないと思うが」
「そこは確かではありませんが、いまアメリカは戦争準備で大童のはずです。日本を制裁するためなら、何か日本がアメリカに非利益、不誠実な行為がないといけません。ソ連への参戦は不利益な行為と見なされるかもしれませんが、忙しい時に日本への対応など考えないでしょう」
二人の考えは近かった。
アメリカからの経済封鎖を回避するために、ソ連を攻撃する姿勢を見せた。この政策が功を奏して、アメリカは強く日本をけん制するようなことはしなくなった。そして独ソ戦始まり、遂にはアメリカも参戦に踏み切った。もはやアメリカに日本への圧力をかける余裕はないと判断した。
「ソ連との交渉は進展したか?」
「ソ連はドイツと戦って相当困っているはずですが、一向に折れません。ロシア人の領土に固執する気持ちは強いですから、他国に侵略するのは平気だが、自国の領土を失うのは毛頭嫌います。それで、広大な領地を獲得してきた歴史があります。」
「やはり、力で迫らないとだめと言うことか」ため息をつくように言うと吉田がうなずく。
こうして正平のソ連に参戦する気持ちは固まった。
ただ、決断には相当悩んだ。いや、独ソ戦が始まってから悩み続けていた。
「ドイツでさえ、ソ連を攻めあぐねている。日本の兵力でソ連に勝利できるのか、戦争は勝てないならやらない方がいい。勝利の見通しはあるのか?」
前に正平は石原莞爾に、「独ソ戦を想定しておけ」と指示したことがある。
今の状態はある程度、予想していた事態ではあるが、いざ現実となると、重大な決断をすることになる。
独ソ戦が始まって以来、石原や水野、岡田などの軍人たちと何度も協議した。
将校達は皆強気の意見だった。
「ドイツと戦っているソ連なら勝てる」「西から攻めるドイツと東から日本が攻めればソ連も音を上げる」「ここで叩けばロシア人をバイカル湖の向こうに押しやれる」
彼らの意見は勇ましい。しかし、一国の指導者として、参戦の決断は重大だった。
「本当に勝てるのか?」国を背負う重責をこれほど感じたことはない。
戦争を始めてしまえばもう後戻りできなくなる。
蔵相や大蔵省にも戦費調達について協議した。
「今、ヨーロッパの戦争で大いに輸出が盛り上がっており、増収が期待できます。戦争となれば軍事費は増え、国債は発行することになるでしょうが、大量には必要としないでしょう」と楽観的な見通しだった。
馬場には石原たちが試算した、軍事費の要求を事細かに調べさせた。
「国防省の試算に大きな矛盾点はありません」
彼の性格は長い付き合いで良く承知している。彼がそう言うなら間違いないだろう。今年度の軍事予算を増大させ、戦争の準備はしてきた。
だがそれでも悩んだ。
自らが戦地に立ったことを思い出す。自らの死には恐れがなかったが、部下の死には大いに責任を感じた。
「旅順で数多くの者が、目の前で死んでいくのを見た。俺は日本の若者を死地に送ろうとするのか」悩みは1年もつづいた。
国内の世論は、独ソ戦開始から強硬意見が盛り上がっていた。
そしてアメリカ参戦から3日目に、御前会議を内大臣の木戸と諮って、開くことにした。
「シベリア出兵は日本自ら西シベリアに進出しないとタガを嵌めたことです。その為にソ連政府の脅威にならず、ソ連から何の譲歩も得られなかった。最大の失敗は目的を決めずに派兵してしまったことです。最初は国際協力の“チェコ兵を救え”という声のもと、米英とともに派兵が決定された。しかし、肝心のチェコ兵はさっさと本国に帰還し、米英も撤退していったのです。
しかし、日本は撤退できなかった。我が国は撤退の見返りをソ連に北樺太を求めたが、無視された。先ほども言ったように大して脅威もなかった日本軍にソ連は真剣に応じなかった。こうして日本はずるずると撤退を先延ばして、世界から非難を受けてしまった。開戦前に目的が明確でなかったのが、問題だった。
今度の戦いでは、ソ連極東地域の割譲が目的になる。ソ連が割譲を認めれば、戦争は終わる。」
内大臣木戸などと事前に打ち合わせしていたこともあるが、この主張に会議では異論が出なかった。
やはり新聞論調などでの開戦論が幅を利かせていたことがあった。
「首相の決断は評価しますが、もっと早く決断されてもよかったのでは」という意見もあったくらいだ。
しかし、会議中天皇からの御言葉は遂になかった。




