24話 留学先
吉岡には当然のこととして挨拶しに行った。彼はすっかり健康を取り戻していたが、復職して元の公務員に戻ることは諦め、地元の中学の教師になり嫁も迎えている。
その奥さんは優しそうな人で、少し気難し気のある吉岡ににこやかに接していた。10歳以上も差のある夫婦だが、円満な家庭の雰囲気が漂っている。
その夫人からお茶をすすめられた。
(先生も随分変わられた。俺と会ったころは病気治療のためか、神経質にも見えた。考えてみても、先生からお茶をいただいたことなんてなかった)
そんな思いが顔に出たのだろう。
「何をおかしそうに笑う」吉岡に突っ込まれた。
「いえ、先生の家でお茶をいただくのは初めてでしたから」
「そんなはずはないが」きょとんとした表情で吉岡が否定する。
「いえ、先生から難しいことばかりで教わっていて、お茶をいただくことはありませんでした」
「そうだったか?」否定しようとしたが、吉岡にもお茶を出した記憶がない。
「ぷ」たまりかねて、傍で聞いていた夫人が噴き出した。
几帳面で、礼儀正しい夫がまさか客人にお茶も出さなかったことにあきれ、そして笑ったのだ。
「ああ、わははは」吉岡まではつられる様に笑い出した。
(先生はよい方を奥さんに迎えられた)吉岡が明るい家庭を築いたなと感じた。健康に不安を持っていた恩師が、ここまで明るくなっていて思わず胸が熱くなるのを覚える。
そんな雑談の後本題に移った。
「実は、桑原さんから留学の話があります。どこに行こうかと悩んでいます」
「だったら、アメリカに行けばいい」即座に言い放った。
それは少し意外な言葉だった。当時陸軍ではドイツの人気が高かった。
ドイツは新興国でありながら、産業が目覚ましく発展し、科学も多数のノーベル受賞者をだすほど進んでいた。
特に普仏戦争に勝利をして以来、陸上戦を学ぶならドイツだと考えられていた。
日本陸軍はドイツ陸軍を参考にしており、ドイツ人のメッケルを招聘して近代化の教えを請いてもいる。
その影響から、最も多くの留学生を日本はドイツに送り込んでいた。
一方、「軍人馬鹿になるな」と言う桑原の望みからすれば、軍事だけを勉強しに行くのは論外だ。
正平の頭にはこのドイツ以外にイギリスを留学先に視野にいれていた。
イギリスはこの頃の最強国であり、政治、外交、軍事を主導する国である。
まして先の戦いで勝利できたのもイギリスとの同盟があったからだ。
イギリスが世界をどう見ているか、外交面から留学する価値があると思った。
でもアメリカに行くことは考えて見なかった。
アメリカは世界政治の中心地のヨーロッパから離れており、政治や外交の勉強のためになるか疑問と思えた。
「桑原さんが広い目で世界を見るように言われたのは、政治や軍事だけでなく、世界の動きも見ることだと思う。
アメリカは広大で、ヨーロッパ全土と同じくらいだ。人口も多く、地下資源も豊富だ。
そしてまだ若い国だ。
年老いたヨーロッパの国よりも経済発展する可能性は十分にある。
ロシアとの戦争で日本が苦しんだのは武器や弾薬が補充できなかったからではないのか?
日本に武器を作る産業がまだ育ってなかったから、戦いに苦しんだ。
これからは産業・経済を含めた国の総合力で政治や外交、軍事が動くことになる。
イギリスやドイツには自国で賄えるだけの食料生産も地下資源が不足して、他国から輸入しないとやっていけない。
それに比べ、アメリカは全て自前で賄える。
人口も多いし、これから産業が一番発展する可能性があるように見える。
多分、今後の世界はアメリカを中心に回るのではないのかな。
アメリカに行って、どのように変わっていくのか見に行けば良いと思う」
正平は吉岡に言われるまで、アメリカに関心を示さないでいた。
日本が明治維新をしていた頃、アメリかも南北戦争で内乱状態だった。
ペリーが黒船で来航したとはいえ、ヨーロッパの列強国から見れば新興国に数えられていた。
正平がドイツとイギリスだけを留学先に考えていたのは当然だった。
ただ吉岡の言う通り、イギリス、ドイツ、フランスを束ねるよりも国土が大きく、資源も豊富だ。
何よりも国が若く、発展の可能性は高かった。
近い将来世界の指導国になることはあり得る。
吉岡の指摘に大きく頷いた。




