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旭日に顔を上げよ  作者: 寿和丸
23章 新たなる展開
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229話 スターリンの“冬戦争”

ここで日米のことから少し離れソ連スターリンが引き起こした戦争について言及します。

話は遡るが39年9月にヒットラーがポーランドに侵攻し、二度目の世界大戦が始まった。この混乱に乗じて、スターリンも野望をむき出しにする。

それまでスターリンは国内の権力争いに手一杯で、批判者や潜在的な対抗者を粛清するために多くの時間を割いてきた。その国内闘争も30年代にはあらかた終わり、この頃にはスターリンの独裁体制は確立する。

ただ、外交戦略は停滞していた。資本主義国の社会主義に対する警戒感が強くて、進展できなかったのだ。

社会主義を世界に広めることはソ連の革命政権ができてからのソ連指導部の悲願でもある。


レーニンは先の大戦が起き、ロシア革命が成就した時、こう断言した。

「資本主義は戦争が不可避である。資本主義が成長進化したさきが帝国主義であり、帝国主義国同士が領土・資源を巡り国益がぶつかり、勃発したのが世界大戦なのである。“帝国主義は死滅しつつある資本主義を意味する。”それがレーニンの考えだ。

レーニンの目にはヨーロッパ諸国は革命前夜であり、やがてヨーロッパ全土に社会主義が波及していくと見ていた。これがソ連指導部の考えとなり、スターリンの基本的理論となっていた。

「資本主義、帝国主義に替わり必ず、社会主義を世界に広まっていくだろう」

これはレーニンと、それを引き継いだスターリンの描いていた世界感であった。強欲に駆られた資本主義国は互いに争い、混乱疲弊しやがて滅びていくだろう。その時になれば革命が世界各地で起こり、社会主義が広まっていく。そのような青写真を考えていた。

しかし彼たちの思い描いた世界はなかなかやって来ない。19年に一度目の世界大戦が収まるとヨーロッパは秩序を取り戻し、人々は革命に興ざめした。西欧諸国は従来の資本主義に戻り、社会主義はどこの国からも迎え入れなかった。ソ連は国際的に孤立していた。


スターリンも様々な外交を行っていた。国際連盟に加入し、アメリカにも認められた。だが、社会主義の革命が世界的に起きるような気配は感じられない。スターリンはコミンテルンなどを使って、各国に工作・謀略を交えて働きかけるのだが、ほとんど成果は得られてない。それどころか世界各国は社会主義に警戒感を強め、ドイツではヒットラーが台頭し社会主義への嫌悪を露にしていた。

そこに転機が来たのが39年に交わされた独ソ不可侵条約だった。それまでヒットラーはソ連に敵意をむき出しにしており、スターリンもドイツとの戦いをある程度覚悟していた。農民の暮らしを犠牲にしてでも、軍事予算に金をかけ、戦争準備をしていたくらいだ。

そこにイギリスがポーランドの独立を保証したことで、ヒットラーはソ連よりもイギリスに敵意を向け始めた。すかさずスターリンはヒットラーに不可侵条約を持ち掛け、巧くヒットラーの目を西方に向けさせることに成功する。これにより、スターリンは必須と思えたヒットラーとの死闘から免れ、心置きなく周辺国に手出しできるようになった。

まず東では日本と38年に張鼓峰でぶつかり一旦は退くが、翌39年に今度はノモンハンで再度戦争を始めた。ここでも負けるがそれでも懲りることなく、今度は東欧や北欧国に牙を剥く。

39年9月にドイツがポーランドに侵攻すると、すぐ後に続いて侵略し、ドイツとポーランドを東西に分割した。そしてバルト三国、フィンランドに対し、相互援助条約を迫り、ソ連軍の駐留を要求した。9月28日にエストニアを、10月5日にラトビアを、そして10月10日にリトアニアを次々と屈服させ、条約を締結し、ソ連の要求を呑ませた。国内総力を軍事予算につぎ込めるソ連はこの時までには、世界の強国になっていた。大国ソ連の前では小国は言うことを聞くしかなかったのだ。


勢いに乗ってフィンランドに圧力を掛けるのだが、フィンランドはソ連への基地供与とカレリア地方の分割要求を敢然と拒否してしまう。

メンツをつぶされた格好のスターリンは激怒し、11月30日にフィンランドに侵攻を開始する。この方面だけで24万の兵と、1000両もの戦車を投入した。これに対し、14万の兵力と60両の戦車しか持たないフィンランド軍では勝負になるはずもない。スターリンは短期間でフィンランドを蹂躙できると考えていた。ところが、祖国の防衛に燃えるフィンランド兵士は勇敢で、深い雪と地の利を利用して果敢に挑んできた。予想もしない反撃にソ連軍は混乱に陥り、思わぬ苦戦を強いられることになる。短期戦と思われた戦いは、果てしなく続くと思われた。

結局この戦は翌年に持ち越され多数の死傷者を出しながらもソ連軍は無理攻めを敢行する。これに対して数で劣るフィンランド軍は次第に劣勢となり、40年3月になってようやくカレリア地域などの割譲をフィンランドに呑ませ、終結する。だが、ソ連軍は12万から13万の死者と26万4千以上の負傷者を出したのに対し、フィンランド側は2万3千の死者、4万3千の負傷者だった。明らかに勝敗ではソ連の負けだった。

更にスターリンはフィンランドにコミンテルン出身者に政権を執らせ傀儡政権をつくるつもりでいたのだが、フィンランド政権は持ちこたえこの目論見も潰えてしまった。この作戦は明らかに失敗だった。


後に開かれた国内会議で、スターリンは「レニングラード防衛のためにはバルト海進出の玄関口となるカレリアを押さえることは重要であり、必要なことだった」と強調する。しかしこれは言い訳に過ぎず、この後、彼はこの話題を持ちだすことはなく、忘れ去りたいこととして残ったようだ。

フィンランド侵攻は“冬の戦い”と呼ばれ、スターリンは苦汁を呑んだ上、ソ連は国際連盟から除名処分を受けることとなった。


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